パンセ(みたいなものを目指して)

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瀬戸内寂聴さんと小保方晴子さんの対談記事

2016年05月24日 19時04分20秒 | あれこれ考えること

メディアは今日の少しの扱いで終了するのか
それとも、美味しい話題としてもう少し引っ張るのか
一体どっちなのか興味深いのが 小保方さんのこと

5月24日発売の婦人公論で瀬戸内寂聴さんと小保方晴子さんの
対談記事が掲載され、とりあえず今日はそれがいろんな番組で紹介された
瀬戸内寂聴さんは若いころある作品でバッシングを受けており
同じようにバッシングを受けた小保方さんを他人事とは思えず
声をかけたらしい

人生論的な話があったかどうかは読んでいないので分からないが
部外者にとって、興味があるのはSTAP細胞についてのマスコミの報道

先日の神戸地裁でES細胞の盗難の疑い、訴訟については
そもそもそんな事件があったとすること自体が疑わしいとの判断が出ており
小保方さんを限りなく怪しいと思わせるようなメディアは肩透かしを食った

そして、盗難事件があった事自体が疑わしいと
しぶしぶ(?)メディアは伝えることによって
ようやく冷静な報道をし始めたようだ

そして渡したマウスと違うマウスの遺伝子を持つものが
帰ってきて実験自体が何をしているものかわからないとして
若山さんの論文撤回理由のポイントとなった件については
若山さんの関係者の行った遺伝子解析が信用できず、またその後の詳細な
調査によると、渡したものと違うものが帰ってきたとは言えない可能性があった
ということも、今になってやっとチラチラ報道されるようになってきている
 

理研の再現実験で再現されなかったからSTAP細胞はなかったと
報道している面についても、再現実験では確率は予想より少ないが
いわゆるSTAP現象は見られたとしているが、あまり報道されていない
ただ細胞が存在するかどうかの判定はキメラマウスが必要で
これは当初から若山さんがいないとできないから、あの再現実験で
キメラマウスができないのはある意味必然だ

STAP細胞とSTAP現象 この2つの言葉を多分素人は混同している
そして残念なことに小保方さんは自分はわかっているので良いのだが
他人に伝えるときにこの言葉の使い分けを正確にしていないために
誤解を招くことになっている

メディアは正確なことよりもわかりやすいということを優先する
技術者が正確な事を伝えるために前提や概念の説明・正しい理解の仕方などを
丁寧に説明をすると、それがために素人にはより分かり難くなって
素人であるメディアの人間は自分が理解できないので面倒になって
自分が理解できる範囲内での理解の仕方をしてそれにしたがって報道する

この理解については、メディアの人もそれなりに勉強すれば良いのだが
大半の場合、分かるように説明してくれない学者や技術者が悪いからと
開き直って、わかりやすいかもしれないが間違いを起こしやすい表現の仕方をする

自分がよくわからない場合
その道のオーソリティーと言う人を引っ張ってきて話を聞くことになるが
この時の人選が既に公平なものとなっていない可能性がある
というより、2年前のSTAP細胞騒動では最初から偏った見方しか
存在していなかった
まずは疑いの目、仮にそれは仕方ないとしても、相手の人の言うことを
まずは聞いて確かめるということもなく、ただひたすら疑うばかり
そしてその視点からばかりの報道をする

それが刺激的であればあるほど、メディア自らも興奮して
リリースしていく
しかし、あの時期の情報の元が2ちゃんねるや掲示板で
それをそのまま信じたメディアのリテラシーも情けない限りだ
そしてこのリークをした人、どうも瀬戸内寂聴さんとの対談では
「男の嫉妬」と言う扱いとなっているようだ
この嫉妬していた男が誰なのか、ネットの世界は怖いもので
現実にはそれも明らかになっているようだ

STAP細胞とかSTAP現象
これが本当に存在するかどうか、自分にはわからない
ただ分化した細胞が、もう一度初期化されるかもしれない
ということについては、漠然とあるかもしれないと思ったりする

進化論が突然変異によってうんぬんとする理屈も
生物には何かの加減で初期化して最初からやり直す機能があるとして
それが細胞単位に話を置き換えるとこういうことだったとすると
何かしっくり来るような気がする
(素人だから何を言ってるかわからないかも知れないが)

とにかく、このSTAP細胞の報道は変だった
少なくとも疑わしきは罰せず!と言った態度ではなかった
疑わしいいか、疑わしくないか、それの丁寧な判断をすることなく
一方的に決めつけて思い切り叩いた

でも、多分メディアは反省などしない
今まで自分たちがどのように報道してきたかを忘れて
一旦風がそちらになびいたら徹底的にその風にのる

メディアは批判することが役割のようなところもあるが
メディアを批判する存在も、知恵も、知識も
庶民には必要ということなのかもしれない
 





 

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