パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

通説を疑ってみる?

2015年10月11日 08時09分45秒 | あれこれ考えること

資本主義と社会主義
その長所と短所について、当たり前のように挙げられること
それらが本当なのか
布団の中でフト思ったら気になって仕方なくなった

それは社会主義についての説明で
平等が最優先とされならば、一生懸命働いても働かなくても
同じ評価(対価)なら人は働かなくなり生産性が悪くなるという点

これはいたるところで使われるし
何の疑いもなく同意されるようだ
しかし、人が真面目に働くということは 単純に労働対価の面
だけで判断して良いのかと考えると
そんなに単純なものではないのではない気がする

もちろん優先順位としてはかなり高いことは容易に想像できる
しかし、少ないかもしれないが、同じような評価しかされないとしても
依然として真面目に働く人達も存在するのではないか

まじめに働くと言う規則が自分の中の基準として
きっちり出来ている人は、何があろうとも
時に不満を覚えたとしても投げやりにならず 
自分のできることを実行するのではないか

家族の一員が病に倒れて長い間リハビリ生活をしなければならず 、
個人としての生活がサポートに費やさざるをえない人を見かけることが多くなった
幸い自分の知っているこの人達は、弱者に対する優しい眼差しを持ち続けていられるので
当たり前のように対価のない(?)仕事に真面目に取り組んでおられる

この人達たちは何故エンドレスに続くかもしれない作業に
つきあっていられるのか
それは個人の記憶の中にある今は弱者となった方々への感謝とか愛とか
に由来するのかもしれない

こういった例だけではなく、一緒に同じ仕事をしている中でも
「みんなのために真面目に働きなさい」と教えられてきた人びとは
対価が多いに越したことはないが、やはり当たり前のように働くのではないか

だから教育が大事だなどと言うのではなく
どういうわけか、世の中にはこうした人びとも存在して
その人たちのおかげで、人生は生きるの値すると肯定的に
感じることができる

資本主義は格差を生む
弱者となっているのは自己責任
成功者となっているのはその人が努力したおかげ
と、こうした説明もあるところでは当たり前とされる

この場合の成功者とは経済的なことをいうが
果たして現実的な話として経済的な成功者は
本当に自分の努力だけでその位置に至ったか

ピケティは(最近全然話題にならないが)「21世紀の資本」の中で
経済的な成功は、その人が努力をした、運が良かった、そして
危ない橋を渡ったのいずれか、またはその混合(?)といったようなことを
さらりと挿入している

実はこれが本当の姿ではないか
経済的な成功を収めるためには、どうしても国とか政治との
関わりが多くなってくる
その時に目的を達するためにすることといえば
今手元にあるお金を合法的(あるいはばれずに効果的に)使うこと
(お金がない場合には、また工夫して規則ギリギリで集めようとしたりするかもしれない)
これらを含めて努力したおかげで成功したとするのは
一度も成功者の立場に立ったことのない者の僻みかも知れないが
何か違うのではないか

以上は昨日見たテレビ番組「池上彰のニュースそうだったのか」から触発されて
思いついたこと
相変わらず、どうでもいいことかも知れないが
世界中がテクニカルな問題に単純化されて、人間に対する考察部分が
抜けているような気がしてならない
(と、地方で一庶民があれこれ言ってもどうにもならないけど
  今できることと言ったら、こうした愚痴をアップすることしかない
  それは自分にとって少しは意味があるかもしれない )
 

 



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