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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新聞がなくなった都市で起きたこと(あっても起きていること)

2016年07月11日 05時01分34秒 | あれこれ考えること

参議院選挙が終わった
テレビ局は軒並み速報番組を放送
もしかしたら、普段政治に関係のない人も
勝負事としては関心をもったかも知れない  

昨日、たまたま見た動画に興味深い話があった
プリンストン大学で行われた「新聞がなくなった都市に起きたこと」
という調査の結果だ
地方紙が衰退・無くなっていったアメリカの話で
特徴的なのは新聞が無くなって明らかになったことは

●投票率がダウンした
●現職の再選率が圧倒的に高くなった
●市の財政状況が悪くなった
●首長・議員の報酬が高くなった

新聞が無くなって監視・批判機能、及び良質の情報の提供が
無くなったために起きたことだと発言者は解釈していた

ところが、問題は日本では新聞は存在しているのに
これと似た現象が起きている
となると、ある見方からすると、新聞は(あるいはメディアは)
その役割を果たしていないのではないかということになる

公平公正の報道の名のもとに批判的視点からの報道の欠如
調査報道ではなく圧倒的に多い発表報道
これらのことは、政治だけのことではなくいたるところで見られて
それが変だということすら気づかない状況だ

もっとも、上記のプリンストン大学の結果は
新聞が無くなったためだけで起きたことではないかも知れない
もっと複合的な理由かも知れない
ただ、新聞(メディア)が大きな影響を与えているのはきっと間違いない

本当に、最近のメディアには強い違和感を感じる
少しまじめに「戦争と新聞」「太平洋戦争と新聞」
「安倍政権にひれ伏す日本のメディア」などを読んだりすると
本当に今のままで良いのかと思わざるをえない

そのメディアを経済的に支えているのは自分たち大衆だ
との声も聞こえそうだが
 

 

コメント (1)
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