「以和爲貴」
この17条の憲法が
和(わ)をもって貴(とうと)しとなす
とするのと
和(なごみ)をもって貴(とうと)しとなす
というのではだいぶニュアンスが違って感じるが
(どちらが正しいか知らないけれど)
どちらかと言えば後者の方だといいな、と思ってしまう。
同様に
魔の山(トーマス・マン著)も
魔法の山
となると、のんびりした印象になるように思える
魔の文字がらみでは
魔笛(モーツァルト)も
魔法の笛
となると、どこか締まりはないけど、
よりメルヘン的な感じは強いような気がする。
クラシック音楽では、あだ名がついている曲に人気が偏りがちだけれど
そのあだ名がイメージするものと曲とが
一致してないものだってあるように思えてならない。
もっとも、交響曲第・番とか・・協奏曲では
聴く気も起きないかも知れないから仕方ないかもしれない。
つまり、人は内容よりイメージに左右されることが多い
イメージだけで、知った気になることの多い今の風潮は
少し怖いな、と思う今日この頃なのでした。
この17条の憲法が
和(わ)をもって貴(とうと)しとなす
とするのと
和(なごみ)をもって貴(とうと)しとなす
というのではだいぶニュアンスが違って感じるが
(どちらが正しいか知らないけれど)
どちらかと言えば後者の方だといいな、と思ってしまう。
同様に
魔の山(トーマス・マン著)も
魔法の山
となると、のんびりした印象になるように思える
魔の文字がらみでは
魔笛(モーツァルト)も
魔法の笛
となると、どこか締まりはないけど、
よりメルヘン的な感じは強いような気がする。
クラシック音楽では、あだ名がついている曲に人気が偏りがちだけれど
そのあだ名がイメージするものと曲とが
一致してないものだってあるように思えてならない。
もっとも、交響曲第・番とか・・協奏曲では
聴く気も起きないかも知れないから仕方ないかもしれない。
つまり、人は内容よりイメージに左右されることが多い
イメージだけで、知った気になることの多い今の風潮は
少し怖いな、と思う今日この頃なのでした。