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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

曲を聴くか、演奏の違いを聴くか

2020年02月15日 08時48分07秒 | 音楽

NHKラジオの「まいにちドイツ語」応用編では、3人のウィーンの音楽家の
インタビューが題材として扱われている
ウィーンフィルのコンサートマスターだったライナー・キュッヘルさん
若手のオペラ歌手の方(名前が聞き取れなかった)、ピアニストの
パウル・バドゥラ・スコダさんがその3人だ

一週間遅れでネットで聞いているが、最初のキュッヘルさんはなかなか興味深い話があった
それはカラヤンとのエピソードで、怖い人のイメージがあったカラヤンだが
キュッヘルさんが親知らずの痛みをこらえてリハーサルに臨んできたのを見て
リハーサル終了後に彼を一人呼び出して
「何かあったのか?」(家族に不幸でもあったのか?)と心配気味に聞いてくれたことが
あったという(イメージと違う)
また、カラヤンといえば目を閉じて指揮するシーンが思い出されるが、晩年になって
ウィーンフィルを演奏するようになった頃は目をしっかり開けて
ブルックナーの8番を指揮している時は涙を浮かべていた
と当事者でしかわからない話が紹介された
カラヤンにそんな一面があったとは少し驚きがあり
この応用編のシリーズを聴き続けようという気になった
(関心はドイツ語よりも音楽に関することで)

インタビューは、この話の後でウィーンらしさとかコンサートマスターの資質・役割
作曲家と演奏家等の話題に広がっていったが、興味を持ったのはこの人の最後の
2回のインタビューの内容
ウィーンフィルと他のオーケストラとの違いを尋ねたところ、キュッヘルさんは
そのことではなく、現代は「演奏の比較」の時代になっていると答えていた

ベートーヴェンの時代はどのように演奏されるかよりも
できたての音楽のその内容や質、訴えるものが(つまりは曲自体が)興味の対象であったのが
現在では、演奏家がどの様に演奏するか、解釈するか、
つまりは演奏家間の比較が音楽の聴き方になってしまった!というのだ
これはまさに実感する
録音媒体の発達のおかげで、我々は一つの曲を多くの人の演奏で聴くことができるようになった
そうすることによって分かってきたのは
楽譜に残された音楽は演奏家によってかなり印象が異なるという事実
そしてそれは好きな曲、嫌いな曲が存在するように
演奏にも好きな演奏、嫌いな演奏というものが存在する
(何故好きか嫌いかを言語化できるとは限らないが、とにかくそういうことはある)

音楽(曲)を聞いているのか、演奏の違いを聴いているのか
そのどちらのほうが良いのかは難しい問題で
たくさんの演奏を聴いててしまっていると、どうしても記憶の中の演奏(の印象)が
ナマの演奏会の最中でも頭に浮かんでしまう
これは楽しみ方の一つでもあるし、時間をかけて身につけた技術でもあると思う

でも自分は基本的・個人的には曲が要求する内容・効果をしっかり伝えてくれる演奏
つまりは作曲家の意図が聴けると感じるような演奏が好きかな
だからこそ聴きにいきたい演奏会は「プログラム」次第で、つまりは曲が聴きたいということ

ただし、自分が田舎にいなくて、いつでもナマの演奏会が聴ける状態だったら
この選択基準は演奏家中心になっているかもしれない、、

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ベートーヴェンのアダージョ(緩徐楽章)

2020年01月30日 18時49分27秒 | 音楽

ねずみ年の今年はベートーヴェン生誕250年
いろんなベートーヴェン絡みの企画が予定されているらしい
ベートーヴェンといえば運命が昔の定番だったが
現在は年末の第九かもしれない

だが自分のイチオシの交響曲は「英雄」(エロイカ)だ
押し付けがましくなく、若々しく、変化に溢れ、劇的で完成度が高い
ウィーンのハイリゲンシュタットにはエロイカガッセという道がある
その少し先にはベートーヴェンガングと名付けられた田園を作曲した時に
歩いたとされる小川に沿った道がある

ところが田園をレコードで聴いてもこのあたりの風景は頭に浮かんでこない
そのかわりピアノ協奏曲「皇帝」の第2楽章を聴くと
ハイリゲンシュタットの町並みが浮かんでくる

ブルックナーはアダージョの作曲家と言われるがベートーヴェンの
緩徐楽章も印象的なものが多い
エロイカの第2楽章の葬送行進曲もできが良いし、第九の第3楽章も
しみじみと頭の中の楽器群を鳴らすかのよう

その他にも少し思い出すだけでも
弦楽四重奏曲のラズモフスキー一番の第3楽章も忘れられない

ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 作品59の1「ラズモフスキー第1番」
アルバン・ベルク四重奏団 1989 Live


後期のハンマークラヴィーアソナタの第3楽章も考えるアダージョっぽい

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調「ハンマークラヴィーア」第3楽章 内田光子 2007


年齢を重ねるとベートーヴェンの音楽が熱情とか感情のおばけみたいなものではなく
極めて理屈っぽい技術的な音学家だと思うようになってきた
いや理屈と思索が一致しているような、、、
そしてアダージョが心にしみる


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録画しておいた第九を見た(聴いた)

2020年01月09日 19時14分48秒 | 音楽
録画しておいた年末のNHK交響楽団の第九を見た(聴いた)
シモーネ・ヤングの指揮でSNS上は高評価が多かったが
知り合いの方はケチョンケチョンの評価だった

そうした評価が耳に入るとなかなか冷静に聴けない
どうしてもどちらが自分の評価と似ているか考えてしまう

さてその結果は、、、、
この演奏をナマで聴いた人は幸せだったろうな!
単純にそう思った
ということは、気に入った演奏だったと言える

その次に感じたことはNHK交響楽団はうまいな!
ということ
音色もテレビを通して聴くだけだが、柔らかでトゲトゲしたところはない
特に個性的な感じはしないが、上手くついていく感じ

その次に感じたことは、年末にCDで聴いたディヴィッド・ジンマンに少し似ている気がした
もっとも似てると言っても全体の雰囲気で、それは現代の指揮者のパターンなのかもしれない
それぞれの楽器の音がよく聴こえて、スピーディで、活気があって
音響芸術としての交響曲を体験している感じだった

第九は最終楽章が注目されるが現時点の自分はむしろ第三楽章が好きだ
晩年の考えるような沈潜した音楽が聴ける
この音楽はどうしてもフルトヴェングラーのそれと比較してしまう
フルトヴェングラーの指揮する音楽はゆっくりしている
でも遅いのではなくしみじみと思いを告白しているかのよう
不思議なのは音を聴いているのだが、それは外で響いている楽器の音というよりは
自分の体の中、頭の中でなっているような感じがすることで
音楽が始まってしまたら自然に流れていくようで指揮という行為を感じない
そして2回奏されるファンファーレの効果、音色、感じることは
とても同じ楽譜の曲を聴いているとは思えない感じがする
(実はこの感覚が何度も聴くと薄れてしまうそうでフルトヴェングラーの演奏は何度も聴けずにいる
そしてその記憶の中の演奏で十分だとも思っている)

フルトヴェングラーの指揮は別格に凄いが、シモーネ・ヤングのそれもそういう表現があるのか
それも良いかも、、と感じさせるもので、今度近くにシモーネ・ヤングがきたら
聴きに行こうと思わせるものだった

それにしてもつくづく思ったのは、大好きなブルックナーの8番は
ベートーヴェンの第九の影響がしっかり残っているなということ
各楽章の性格付け、第三楽章の静的なピーク
最終楽章の力技によるまとめ方
でも時代と個性の要求するものが違うので、表現されるものは随分違う

今年はベートーヴェン生誕250年で彼に関するいろんな企画があるらしい
彼の作品は、エロイカ、ピアノ・ソナタ32番、弦楽四重奏曲14番がとっても大事な曲だが
ラズモフスキーの一番のアダージョほか考えさせるアダージョも捨てがたい
せっかくの記念イヤーだから滅多に生で聴けない音楽を聴きに行こう(あったならば)


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苦手な演奏(音色?)

2020年01月04日 18時29分45秒 | 音楽

音楽で感じたことを人に伝えるのは難しい
料理の味を伝えるのと同じで、いくら想像力を刺する表現でも
現実には食べてみないことにはわからない
以下のことが果たして他人に伝わるか(自分の中ではとても重要なことだが)

2日に購入した中古レコードを早速聴いてみた
まずはアシュケナージの弾くモーツァルトのピアノ・ソナタ17番とロンドイ短調
音が出るやいなや、「やっぱりな、、」という思うが頭に浮かんだ
アシュケナージはこういう音だ、鋼鉄の弦を叩いているようなよく響く音
ロシアのピアニズムの音と勝手に思っている音で、どちらかと言えば好みではない
A面を聴いたあとB目のK310のソナタを聴くのは気が乗らず止めてしまった
予想できたことで仕方ない

ピアノ絡みで次にバックハウスのベートーヴェンの11.12.15番のピアノ・ソナタを聴いた
「やっぱり、この音の方が好き」
音が聴こえるやいなや実感したのはこのことだった
余裕綽々でバリバリ弾いている感じ、妙な感情移入はないが肝心なところはきっちり把握してるような印象で
粒だった音は和音でもひつつひとつの音が聴こえるかのよう
これはAB面聴くこととなった
この中で「田園」と名付けられた15番のピアノ・ソナタの第2楽章は印象的な音楽で
ちょっとシューベルトを想像させるようなところがある
この曲は今まではグルダを聴いていたが、聴き比べるとものすごく印象が違うのに驚いた
今回のバックハウスは真面目一本で背筋を伸ばして聴くことを要求するようで
構造的なところに気を配っているようなイメージ
一方今まで聴いてきたグルダの方はウィーンの街の音楽のイメージ
音楽表現はいろいろあるものだ、、と実感
バックハウスもいいけどこの曲はグルダのほうが好きかも

その後で聴いたのがベーム指揮ウィーンフィルのヴァーグナーの管弦楽曲
最初にマイスタージンガーの第一幕の前奏曲を聴いた
オーケストラがベルリン・フィルではなくてウィーンフィルなので少々輝かしい音の演奏と
予想していたが、針が降りるやいなや想像したものよりも数段輝かしい音が耳に入った
「やっぱりベームとは相性が良くない」
予想通りとは言え少しがっかり
自分には金管の音がバランス的に表に出過ぎの印象

それにしても、不思議だ
明らかに苦手な演奏家は存在する
指揮ではベーム、アーノンクール、ピアノではアシュケナージ、マレイ・ペライア
の演奏はどこか居心地が悪くなってしまう

依然として何故そうなのかはわからないが
そういう事実があるということは、益々身にしみて感じるのだった

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今年も中古レコードを買いに行った

2020年01月02日 18時27分06秒 | 音楽

今は元日から店が開いているが、自分が小さな頃は殆どの店が休みだった
「一年の計は元旦にありと言って、最初の日にお金を使うと
  一年中使うことになるから、使わないようにしなさい」
と祖母や母から言われたものだった

それが効いているかどうか微妙なところだが、今年の出費は
まずは神社のお賽銭、次にモンスターたちのお年玉
それから新城の桜淵公園で行われているイベント会場でチャリティだけで
財布の紐はゆるくはない

去年の1月の出費を見ると2日に中古レコードの出費があった
ほの国百貨店で行われた「中古レコード・CD大売り出し」で3枚で2140円使っている
始末しなきゃいけないが、このくらいなら今年も良いか!
と、今年で閉店してしまう地元で1軒だけの百貨店に出かけた

そういう見方をしているせいか、百貨店はどこか沈んだ感じだ
中古レコードがブームになりつつあると言っても
現実には自分の欲しいクラシック音楽のレコードは絶対量が少ない
凝ったものは東京までいかないと手に入れられないので
少しでも心に引っかかったものを買おうと探す

流石にオーケストラ絡みはカラヤンが多い
でもカラヤンは今は心に響かないのでパス
カラヤンの同時期で比較的評価の高いベームの指揮する良い組み合わせの収録曲の
アルバムもあったが、どうもベームは自分と相性が悪い
ブラームスの一番もモーツァルトのドン・ジョヴァンニもベートーヴェンの序曲集も
結局途中で針をあげてしまう(なにか違うんだな、、と)
唯一ヴァーグナーは面白いかもしれないと思っていたので
今日の一枚はベームの指揮するヴァーグナーの序曲・前奏曲集にした
(タンホイザー、リエンチ、マイスタージンガー、パルジファル収録)

全部で4枚購入したが、残る3枚は
ブルックナー交響曲1番 ヨッフム指揮  ベルリン・フィル
バックハウスのピアノでベートヴェンのピアノ・ソナタ11.12.15番
(バックハウスは思い入れもなくサバサバと弾いているが、音色と曲の把握ができてるようなところが好き)
アシュケナージのモーツァルトのピアノソナタ8番のイ短調と17番ニ長調、それとロンドイ短調
(アシュケナージも相性が良くないが、大好きなロンドイ短調が収録されているので)
この4枚でかかった費用は2380円
百貨店の駐車場代もでない出費だ

家に帰ると「全部で2380円だったよ」
と、言い訳するように同居人に伝える
このくらいの金額だと笑うだけで難しい顔はなし
今年最初の買い物は、、、聴いてみないとわからないが、、まずまず、、かな

 

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今年最初に聴いた音楽

2020年01月01日 17時42分30秒 | 音楽

昼にモンスターたちがやってきて、その前に近くの神社に初詣して
台風が過ぎ去ったあと毎年恒例の人たちがやってきて正月の初日は過ぎていく

いつもと同じ光景だが、いつもと同じということが肝心でセブンイレブンのオーナーも
同じように家族との時間を過ごせたらと思う
そのためには世の中が多少の不便も受け入れる世界になればいいと心底思う

ところで年始めに聴く音楽は少し慎重になる
一年の計は元旦にあり!の諺ではないが、はじめに聴く音楽を間違えると
一年中冴えない経験をしそうで気になって仕方ない

慎重に検討した結果、今年はこれにした

ビートルズのアビーロードだ
現在3枚あるこのレコードの中から、つい最近手にしたばかりのものを選んだ
この有名なアルバムを、ロックの分野としての音楽の聴き方というよりは
クラシック音楽を聴くような態度で聴いた
聴こえる音は何も逃さないように
楽器間の掛け合いとか裏方になっている音の意味とか、それと大好きなポールのベースとか

やはり傑作アルバムだと思うし、今年最初に聴いたのは正解だった思う
今日はジョン・レノンの担当の音楽が気に入った
カム・トゥゲザーの印象的なベースと効果的なドラムス
アイ・ウォント・ユーの繰り返しの凄まじい効果
メドレーのミーン・ミスター・マスタードからポリシー・パンの疾走感のある盛り上がり
ジョン・レノンも大した才能の持ち主だと思う

でもやはりゴールデン・スランバーからキャリー・ザット・ウェイト、そしてジ・エンドは
美しいと思えたり、合わせて歌いたくなったり、最後には
the love you take is equal to the love you make
の歌詞で考えさせられたり
このアルバムは有名だから評価されるのではなく、評価されるべくしてその地位を保っていると思う
今のビートルズを知らない世代にも聴いてほしいと思う

ところで年始めに聴く音楽をここ数年の分を調べてみた

2016年はモーツァルトのK364のヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調
2017年はバッハのロ短調ミサ曲からサンクトゥス ベートーヴェン ミサ・ソレムニスからグローリア ブルックナーのテ・デウム
2018年はモーツァルトの魔笛
そして去年の2019年は プーランクのフルート・ソナタ モーツァルトのK285のニ長調のフルート四重奏曲

それぞれ良い選択だったと確信している

ところで今年は、びわ湖ホールでの「神々の黄昏」が最初の生演奏を聞く機会になりそうだが
きっといい音楽体験ができそうな予感

 

 

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第九のシーズンなのでCDを聴いてみたら、、、

2019年12月10日 10時45分29秒 | 音楽

夜のひととき、以前ならテレビを家族で揃って見て時を過ごすこともあったが
最近は見るに値しない番組ばかりで、テレビから退散して音楽に耳を傾けることが多くなった

この時期は第九のシーズン
安易に聴ける曲ではないが、思い立ってデイヴィット・ジンマンの指揮する
チューリッヒ・トーン・ハレ管弦楽団のベートーヴェン交響曲全集のなかから第九を引っ張り出した
以前聴いた時は現代的な活気のある演奏の印象

久しぶりに聞いたら新鮮で驚きを覚えた
テンポが速いだけでなく音楽が合奏を楽しむような趣で
いつもならあまり良く聞こえないような音まで聞こえる
でもそれはベートーヴェンが望んだ音なのかな、、、と思うこともあったが
これもありかな、、と楽しんだ
第一楽章は13分くらい

これを聴いてる最中に、フルトヴェングラーの演奏を今聴くとどんな感情を持つだろうか
と頭に浮かんだ
それで、1942年の戦時中のベルリン・フィルとの演奏で比較した

まず明らかに違うのは演奏時間、こちらは18分位かかっている冒頭の音が、音形が表現するものが違う
ジンマンの演奏は交響曲の主題、これから発展する要素の提示のような感じ
あくまでも音楽的な要素以外はあまり感じない
ところがフルトヴェングラーの音は、何かを感じる
闇の中から音が生まれるような、現れるような、、そしてその音は
フルトヴェングラーの意識とか思いを現しているような気さえする

フルトヴェングラーの演奏は、大づかみにされた巨大なものを感じる
それは音楽というものではなくて、なにか別の体験をしているような気になる
それはある種の儀式のようなものに参加しているような

再現芸術としての音楽は、どの様に演奏するかが演奏家の腕の見せどころと言われるが
フルトヴェングラーは「何を表現するか?」を求め続けた人との評価がある(吉田秀和氏だったかな)
それに思わず納得してしまう
指揮者のあるべき姿も時代とともに変遷していく
それは時代の求めるものが大きく作用して、今はフルトヴェングラーが表現したものは
もはや過去の遺物とか、昔はこのような表現もあったとの例としか存在していないのかもしれない
そんなふうに思ってしまうのは(自分のような彼の演奏で特別な体験をした者は)もったいない音楽体験だと
思うのだけれど、商業的な視点からは注目されないフルトヴェングラーは若い人には存在すら
認知されていないかのよう
(今の人は古くてもカラヤン、バーンスタイン、クライバーくらいが関心領域かな)

フルトヴェングラーの演奏で今でも思い出す体験は、第九以外にもいくつかあって
そのひとつにマタイ受難曲でキリストが息を引き取ったその後に歌われるコラールがある
その始まりは音楽ではなく「うめき」「慟哭」のようなザワザワしたもので、それは
楽譜では表せないなにかのように感じたものだった
これはどの様に表現するかではなく、まさに何を表現するかのよう(ただし録音は極めて悪い)

第一楽章だけ比較するのはもったいなくなって、第三楽章も聴き比べると
フルトヴェングラーの沈潜した思考とか忘我の瞬間は、、凄い
そして凄すぎるために、一度体験したらそれで十分とさえ感じてしまう

フルトヴェングラーのことばかり考えていたが、もう一つ頭をよぎったのは
ブルックナーの8番の交響曲はベートーヴェンの第九の影響をもろに受けていると感じたこと
神秘的な開始、勇ましいスケルツォ、思索的なアダージョ、そしてすべてを統合するような第4楽章
結局のところ、ベートーヴェン、ブルックナー、フルトヴェングラーは同じメンタリティを
持った人間たちでなのではないか、、、と勝手に思ってしまった





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ベースとドラム、二人だけで奏でる音楽

2019年11月25日 09時33分22秒 | 音楽

何かと(遊ぶ方で)忙しかった11月も昨日の友だちのライブで一旦終了
(会場は新城市内で音響装置のしっかり揃ったフィールドエスコート)
あとはちょっとした恒例の行事が残るだけとなった

地元出身のため同級生に声がけをしたが、みんないろいろ予定・都合があるようで
会場にどのくらい集まるか不安だったが、まずまずの入で一安心

大学を中退して音楽の道に飛びこんだ彼に、親御さんは当たり前のように
不安定な生活を心配する
期限を切ってその時までにものにならなかったら止めると約束させたり
占い師に見てもらうとか、その手の話をいろいろ聞いている

昨日の5時半から始まったライブは友人のベースとドラムの二人だけの組み合わせ

メロディを奏でる楽器ではない二人でどうなるか、、と思われるところだが
今回はブルースハープを用いて主だったメロディを奏でている
数年前のこの二人の演奏は時々ブルースハープを用いるくらいで、大半はベースとドラムだけで
メロディも奏でるようなアクロバティックなことをしていた
ふたりだけで何故こんなことができるのかと実演を聴くたびに思ったものだ

ベースとドラムだけでメロディも奏でる方式は、それを可能にする編曲
演奏を身につける練習、そしてその技術を維持する日々の訓練が大変で
それに時間を費やすので結果的に新しいレパートリーが増えない状況になってしまった
そこで彼らはやはり同時にいろんなことをするならばメロディをブルースハープで奏でる方法を選んだ

プログラムはラテン(コーヒールンバ・テキーラ・キャラバン)や
ビートルズナンバー(イン・マイ・ライフ、ノルウェーの森、エリナー・リグビー、ガール、オー・ダーリン、ヘイ・ジュード)
変わったところでは演歌の与作、クラシックの楽曲からはアルビノーニのアダージョ
面白かったのはバッハのカンタータ147番を最初に奏でていてコラールのメロディーが
流れると思いきや、流れてきたのはテネシーワルツとつながってこれは面白かった
(昔メリークリスマショーというクリスマスイブの特別番組で、鈴木雅之が「ブラック・マジック・ウーマン」
 を歌っっていたら、途中でアルフィーの桜井賢が急に「別れても好きな人」を歌いだしたシーンを思い出した)
二人でできる音楽を演奏上だけでで追い求めるのではなくて、こうしたちょっとした遊びみたいなものも面白かった

それにしてもプロ(この二人はプロ)は凄いな
熱気が違う
演奏による会場の盛り上げ方もコントロールしているかのよう

その他、聴いてる最中は、そうかこの手があったかとか
原曲よりブルース色が強いな、、とか
弾き込んでいるのはこの曲だなとか
いろんな気づくことがあった

会場は同級生が多く集まったが、実は名前が出てこない人もいた(女性の中に)
顔は見覚えがあるが、聞くチャンスをのがして、そのままにした(誰だったかな?)

それにしても今月11月は、本当にいろいろ感じるという経験をした
考えるのではなく感じる
秋は何かと感じやすい季節だから、それが拍車をかけているかもしれないが

※ところで、メリークリスマスショーの笑える動画は
Black Magic Woman & 別れても好きな人/MERRY X'MAS SHOW 1986

※アルフィーの桜井賢とすべきを米米CLUBの石井竜也と間違えて記述してしまったので
 途中で訂正しました

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明日はベルリン・フィルのブルックナー

2019年11月12日 10時33分04秒 | 音楽

11月7日はメンタルのコンディションも整えて、全身で音を浴びたティーレマン指揮
ウィーンフィルのブルックナーの八番
いよいよ明日は同じ会場(名古屋の芸術劇場コンサートホール)で
ベルリン・フィルのブルックナーだ
指揮はズービン・メータ

ブルックナーの八番の実演を聴いたのはメータが初めてだった
第一楽章の弦のトレモロが弱音で奏される中、管楽器群の第一主題のやり取りは
空間的な効果が際立って、生の会場でしか味わえないもので
今回も(ウィーンフィルの時も)最初の聴きどころだ
それから、フォルテになったときの全体の音の印象が、各楽器が目立つ音か
それともブレンドされてなる音か、これも確認事項

あとは演奏中に、指揮者はブルックナーが好きなんだな!と感じられるかどうか
ヴァントとかアイヒホルンは聴いていてそのように感じる瞬間があって
それでこちらも無条件に受け入れられる気がしてくる

7日は早めの夕食を済ませておいても眠くはならなかった
だからといって調子づいて今度はアルコールを入れるとなると
これはあかんだろうな

無理やり予習をしないでお預け状態のこの音楽(八番)
楽しみ、、、

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若い時に感じたもの(その経験)

2019年11月11日 09時42分51秒 | 音楽

先日のティーレマンのブルックナーの8番の印象は若い人の感覚に沿ったもの
と思ったが、そうではなくて案外現代的な演奏だったのかもしれない
と思うようにもなった

人は多分一番感じやすい若い時に感じたものをいつまでも記憶に留める
今の若い人は、ベルリン・フィルではカラヤン・アバド・ラトルの演奏を
若いときに聴いて、それをベースに他の演奏を比較する

ところが、自分の若い時はもう一つ前の世代の人々から深い感動を得た
その筆頭がフルトヴェングラーで、テンポの変化が激しすぎてブルックナーらしくない
との批判が多い8番も、初めて聴いたのがこれだったので、そんなものか!
としか思わなかったし、聴いた時は圧倒的な感銘を受けた
特に第三楽章などは、忘我の瞬間や音のカーテンが迫ってくるような錯覚を覚える瞬間など
他の指揮者からは感じられない何かを得ることができた

若い時はいろんなものが新鮮に感じられる
知識はなくても感じることはできる
知識をカバーするような感覚は案外独りよがりではなく
本質をついているようなときもある

そこで、思うのだが感じやすい今の若い人たちが、録音は悪いが
フルトヴェングラーのブルックナーやベートーヴェン、トリスタンや
マーラーの「さすらう若人の歌」を聴いたらどんな印象をもつか聴いてみたい
(多分聴いていないだろうから)

聴いたら、古臭い時代がかった演奏と思うのか
それとも時代を超えて良いものは良いと感じるのか
自分はその体験をしただけで、ずいぶん得したと思っているのだが、、

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