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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

地域自治区に関する会議の傍聴

2018年06月05日 10時40分58秒 | 市政、市議会に関することなど

自分の住む新城市の話題
別のブログのコピペから

土曜日(6/2)月曜日(6/4)の二日間、新城市でなにかと話題の地域自治区の
地域協議会の傍聴に行ってきた
この文章で、すでに「何のことか?」と思われる新城市民も少なくないと思われるが
大雑把な説明としては、新城市には地域自治区制度というものが5年前から存在する
新城市を10の地域自治区という単位に分けて、そこで地域の課題を自分たちの判断で使えるお金で
解決しようとする試み
解決するには地域のメンバーで話し合うことになるが、それが「地域協議会」という組織で
これは法律で、地域自治区制度を導入する場合は設けなければならないとなっている

そのメンバーは、各地域自治区ごとに選ばれる基準は違うが、多くの場合区長さんが地域協議会メンバーとなっている
(兼任することになる区長さんは大変だ)

ここで今年度の地域自治区制度に関する市の予算を見ると


表に、地域自治区予算69.807千円 地域活動交付金30.000千円 とある
これは新城市全体の費用なので、これを各地域自治区の人口等を鑑みて分配している
この後者の「地域活動交付金」というのが今年3月以来新聞紙上で問題となっているもので
これは各地域自治区によって違うが、なにか地域のためにいいことをしたいと思う有志(複数人)が
これこれのことをしたいが、お金が必要なのでお金を工面してほしいと、決まった書式に則って書類を提出する
申し出が多くて手持ちの予算オーバーとなるといけないので、申し出を行った人たちの心意気・計画を直に言葉で聞き(プレゼンを聞き)
どれに予算を使うか決めることになるが、土曜日(6/2)に行ったのはこのプレゼンを聞くため

ところで、この数ヶ月新聞紙を賑わせている問題は、この交付金による事業のこと
ある有志が、ホタル再生のために川周辺の整備を行う、、という事業を提案し、行った(?)が
その報告書に添付される領収書に問題(日付・金額)が存在し、かつ、その報告書には委託業者の事業の前・後の報告がなく、
果たしてその作業が本当に行われたのか疑わしい、、とも思われること
この件は、まだ3年目(3年間行われた)が調査中で、交付金プラス罰則金(?)が支払われた2年についても
市議会議員が関与していた事業なので、市議会でも「政治倫理審査会」が開かれることになっている

今日は、しつこくこの問題にツッコミを入れるということでなく
傍聴した地域協議会で直に感じたことを!
その前に先程の予算表には報酬 25.734千円とある
これは地域協議会という会議に出席すると、メンバーにはいくらか報酬が支払われることになっているので
この費用の合計などのこと
一回一人の金額は、時間を費やして出てくる人にとっては大したものではないかもしれないが、
10箇所の地域自治区、各地区20名くらいのメンバー、10回くらいの会議となれば総額はこの様なものになる
ちなみに他の地域自治区を採用している飯田市では、こうした報酬は支払われないことになっている
(法的にはどちらでもいいらしい)
地域活動意交付金が30000千円、その使いみち等を考えるための費用が25734千円、、
少しばかりバランスの悪い配分ではないか、、と思う人の声が聞こえてくるのも事実だ

ところで、地元で行われた地域活動交付金の各事業予定者によるプレゼン
新規事業は7分、継続事業は5分の時間が与えられたが、正直なところ、そしてそれは無理も無いと思うが
あまり褒められたものではなかった
時間に収まらないとか、ポイントが何なのか、その費用は具体的何に使うのか、、
が、事業者予定者の方はわかっていても、初めて聞く人にはよく伝わらない事が多かった

そのプレゼンを聞いて評価点をつけるメンバーは、わからない点について質問をすることになるが、
残念ながらこの質問をする人は数人の限られた人物がするだけだった
そして評価点はどの様な具体的項目で行われるかわからないが、平均30点を超えないと申請は受けられないのだそうだ
プレゼンを聞いて評価する  というようなことを初めて行うようなことになると、多分、印象で判定することになると思われるが、
それが仕方ない、、としても、その時現場で自分が感じたことは「活動交付金」と言う名がついているお金の使い方としては、
メンバーの具体的な「活動」に対してお金を要求する事業の方が、事業に要するインフラ等に使われるべく請求よりも素直に良いものとして聞けた

この日のプレゼンを聞きに来た人の中に、新城市のほとんどすべての地区の活動交付金のプレゼンを聞きに来てる人がいて、
その人が言われるには「活動交付金」というものの、どうもその趣旨とは異なると思われるようなものが(例えば公民館のエアコン)多いし、
また質問する人も数人ということで、どうやらこれはどの地区でも同じらしい

プレゼンは新規と継続があったが、大半は継続事業
継続事業となると、当事者たちは次の年も!と計算に入れてしまうから、いくら良い事業だとしても偏ることになりそうなのは
少し問題があるかもしれないと思ったりする(この人達のやる気には頭が下がるが)

でも、問題は昨日の「自治区予算」についての会議の方
これがどういうものか?
という基本的なことが、どうも共通認識として地域協議会のメンバーの中に存在していない
だから会の最初に市の職員が、その概念やら予算が実際に実行されるまでのシステムの紹介を行った
だが、職員とか官僚さんの話は、慣れていない人には一体何を言っているのかわからないということが多い
この日も地域協議会、自治区予算分科会、地域計画分科会、、これらの言葉が出て、メンバーはそれぞれの分科会に属しているのだが、
その分科会の必然性とかを理解せずに単に割り振られただけ(のように思える)なので、自分たちは一体何をすればいいのか、、
そしてこの日は何をするのか、今後何をするのか、、がほとんどわかっていないようだった
まして地域協議会のメンバーが区長さんが多いので「地元の問題は地元で」と言われると、つい「自分の区」の問題を提案することになる
区の問題ではなく、区の集合としての地域自治区全体の問題を提案してほしい、、というのだが、
今度はいきなり地域自治区全体の問題点を考えて出してほしい  と言われてもちょっと思いつかない、、ということになる
すると頼みの綱は前年やった予算の使い方になる
昨年はこの様な予算を「建議」しました
市長に建議し、市議会で議決を受け予算の執行になりますが、今回お話いただくのは来年度の予算についてです
時々、以上のような市の職員から説明が入る
地元の問題というもののイメージが浮かばず、この地区の地域協議会のメンバーは区長さんが多く一年で入れ替わってしまうので、
どうしても頼るものは昨年実績とか他の地区の使いみちとなる

するとある方から適切な言葉が出た
「何に使うかということは、まずビジョン・あるべき姿があって、それから必要なものを導き出すというのが筋じゃないか」
すると出てくるのは市の職員の、だから現在それに該当するような「地域計画の作成」をお願いしていますし、その分科会が存在するわけです
だが、メンバーは言う「同じ様な言葉が「〇〇会議」「〇〇分科会」などが出てきて、何かよくわからない、、」
(実際のところそうだろうな、、と納得してしまった)
「だが、それは先の話で現にここにいる我々は、今年何をどうやっていけばいいのか、、
 現実的には単発な意見の集約になるが、  とにかく、スケジュールを組んでやるしか無い、、」

とまあ全体的にはこんな風の流れ
正直なところ、地域自治区の制度が良いとか悪いという前に、このシステム自体が市民に全然伝わっていないのではないか、、との実感をもった
比較的理解力があると思われる区長さんたちの集まりでこの有様だから、区長を経験することの無いような人たちは、どういうことになるか、大いに心配
(しかし地域自治区制度を活用している飯田市の職員ですら、他の部署にいたときはこのシステムは全然知らなかったと言っている)
そして、余計なことながら、この日の一種の混乱はきっと来年も繰り返されるだろうな、、との思いをもった

新城市議会でも取り上げられるが、地域自治区制度の検証は、活動交付金の事業の総数が過去5年で幾つ行われた、、
ということで評価されるものではなく、この日に見られたような現場での出来事を元に身のある検証が必要なのではないか

ところで、今期の千郷地区の活動交付金の事業の申請は3件しか無いとのこと
あのトラブルが影響していると考えられるが、交付金の義業確認システムの見直しだけでなく
そもそも地域自治区は本当に機能しているか!まで立ち返らないとだめじゃないか、、というのが傍聴した実感

機会があれば他の地区のそれも聞いてみよう、、、かな






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市議会場での陳謝・説明は、市民への陳謝・説明となるか

2018年04月25日 10時12分12秒 | 市政、市議会に関することなど

地元新城市の話題
市議会議員(山崎市議)の関係する団体の地域自治区の活動交付金の不適切な行為について、昨日の新聞に市は
平成25年度、26年度の二年分については支払いを取り消す(返却を求める)とあった
その記事の後半の部分には、市民グループが1078名の署名をもって
議会に対して山崎市議の政治倫理審査会の設置を要求したとある

その何かと騒がしい中で、議会報告会が先週から今週にかけて10箇所で行われたが
そんな中で感じたことなど、別のブログからのコピペ

月曜日は新城消防防災センター、火曜日は八名小学校体育館で行われた新城市議会の議会報告会へ行ってきた
でも今回はそのことではなく別のことを!
せっかちな人の血を引き継いでいるので、2日とも開始より少し前に現場についた
そこで話しやすい議員さんに「議員さんの考え方・捉え方」について聞いてみた

新城市議会では残念ながらこのところ、議場で議員さんが議長から「おしかり」を受けたり
それについて陳謝したり、説明をしなければならないことが連続して起きている
懲罰委員会の結果や、議員になった途端に市の発注する水道工事の受注が増えて開かれた政治倫理審査会の結果
また議会での聞くに堪えない暴言の連発、、そして今回の活動交付金の不正の問題など
これらはみんな議会として本人が「市民に」対して陳謝・説明責任があるとしている

該当した人たちは、とりあえず議場で陳謝・説明を行った
それを聞いている市民は議場に傍聴に来ている僅かな人たちだけで、その人たちは
議決した「市民に対する」陳謝・説明は、またいつか別のところで行われるものだと思っていた
ところが、それが何時になっても行われない
それで、それは何時行われるのか、、、と議会に問い合わせた
しかし、あれこれわからない理屈でそれから先は動きがない

となると、もしかしたら議員さんはあの議場の行為で「市民への」陳謝・説明は終了していると
捉えているのか、、との疑問が湧いて、それで月曜日と火曜日に議員さんに次のように聞いた
「議場で陳謝・説明を行ったが、傍聴人は僅か、テレビ中継もないなかで、議員全員がいるから
市民に陳謝・説明したことになるのですか?」
すると答えは、(月曜日も火曜日も)議員さんは「選挙という形で市民から付託されている議員の前で
行われるということは、市民に向かって行われたと解釈できる」とのこと
また別の議員は「議場での発言はそれだけ重いということ」と口にした

傍聴者はほんの僅か、テレビ中継もない、何が語られたか一般市民はわからない
でも市民から選ばれた人としての議員は代わりに聞いているから、市民は聞いたことになる
これはもしかしたら自分が聞いた議員さんの考え方だけかもしれないが、これが議員さんの共通認識としたら
少しばかりどころか、おおいに疑問を感じる

直近の例では、山崎議員は活動交付金の不適切な書類作成について議場で陳謝・説明を確かに行った
しかし、その議場での説明は、後日開かれた全員協議会で澤田議員の指摘により「嘘」との糾弾を受けた
その場にいた山崎議員は、その「嘘」発言に何ら反対意見を発することはなかった
全員協議会と言う名で文字通り議員全員参加しており、共通認識としてあの議場の発言は「嘘」というこになる
その「嘘」だったとされる発言のままで、市民に陳謝・説明をしたことになるのか
これはおおいに疑問

ただ火曜日聞いた議員さんは次のようにも答えている
「議会としてはそう考えるけれども、世間的に受け入れられるかはわからないと言うか問題があるかもしれない」
常識的にはおかしいかもしれないということを自覚している
法律的なことを良く知らない一般人は「市民に対して説明」とあれば、文字通り市民がいる中で説明を連想する
しかしシステム的には「議員に陳謝・説明」すれば市民に行ったこととイコールの考え方・捉え方は庶民感覚と大きなズレがある
このズレの感覚、庶民感覚とのズレは実は大きな問題ではないだろうか
市民が議員さんに求めるものは専門的・法律的知識、行動力もあるが一番は「常識的な判断力」ではないのか
市民が常識的におかしいとか変だと感じることを、肌感覚で感じ取って、それを議決と言うかたちに反映する
まずはそれが求められるのではないか

議場で陳謝・説明を聞いた議員さんたちは、自分が聞いたから市民が聞いたことになるなどと言わずに
仮にそういい切るのなら、地元に戻って、自分が聞いた話をすくなくとも支援者(投票してくれたひとたち)に代弁して伝えるべきでなないのか

ところで、その「嘘」とされた議場での発言は、次の「議会だより」に掲載されることになると思われるが
全文だろうか、それとも要約なのだろうか
何にせよ、議員さんには常識的な判断力を発揮してもらいたいものだ


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新城市の活動交付金事業の現場

2018年03月28日 18時50分55秒 | 市政、市議会に関することなど

自分の住む新城市の話題
少しばかり大事な、放っておけない話題なので別のブログからのコピペ

「百聞は一見に如かず」とはよく言ったもので、実際に目にすると
頭で想像していたことのギャップに驚くことがある
新聞紙上で嬉しくない報道が続く山崎市議絡みの新城市の活動交付金事業の
「現場の今」を見に行ってきた

この事業は立木や竹類の伐採、廃棄物の処理として
平成25年度 471000円
平成26年度 465000円
平成27年度 434000円
合計 1370000円が新城市から活動交付金事業として支払われている
これだけの金額が費やされた現場が今どうなっているか興味の湧くところだが
現場に着いた刹那、思わず笑ってしまった

現在の姿はこんな感じ

タイヤは除去することになっているのに、、、


これが1370000円かけた事業の現在の姿
思わず笑ってしまったのは呆れてしまったから
感じ方は人それぞれだからいろんな感じ方をするだろうが
すくなくとも自分の感覚は、これだけの金額の作業をしたとはとても思えない

何度も繰り返すが、市のこの地域活動交付金の調査はまだ途中段階とのこと
(2週間後には結果が出るらしい?)
新聞にのった「不適切申請が過大額5000円」程度の問題ではないことは
改めて訴えておきたいし、今後の市の調査結果を見守りたい

それにしても、これらの写真を見て一般の人はなんと感じるでしょう
多くの人の感想は自分と違いないように思えるのだが
(実際何人かに写真を見せたら、みんな自分と同じ感想をもった)

最近自分が意地悪な人間になっていないか、、、少しばかり心配、、



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新城市議会本会議最終日の話(動議)

2017年06月28日 10時52分12秒 | 市政、市議会に関することなど

少し前のあまりおもしろくない話

6月23日(金)新城市議会本会議最終日の傍聴に行ってきた
最終日は採決が行われる日で、各委員会に付託され、そこで得られた結論の是か非かを問う機会で
付託された内容は大半は常識的にも問題のなさそうなことばかりで
とりあえず形式上は本会議で討論することになっているが、実態は議場での討論はなく
直ぐに採決する運びとなった
その為、全部可決して、すんなり終わるはずだった
(10時スタートで、採決案件に要した時間は1時間弱)

この様にすんなり終了するのが当たり前(普通)の市議会が
夜の9時過ぎまで延々と伸びてしまったのが昨年の12月の市議会で
それは改めて異常事態だったと実感するのだが、その話はの顛末はこちら⇒またもやドタバタ

すんなり終わるはずだった
としたのは、すんなり終わらなかったからで、議会が採決すべき案件を
全て終えたからも、その後で話し合うべき「動議」が提出されたからだ

ここのところは議会のルールを知らないとよくわからないところだが
とにかく、議員さん数人(白井・加藤・浅尾市議)によって、
議会として期間中に討論すべきものが動議という形で提案されたということで
ある人達にとっては残念なことに、「そんなことは討論する必要なし!」
としたい数の支配は(議会事務局からの説明による)手続き上の段取りから出来ない事となって
本会議場で討論されることとなった

その動議(提出者、白井市議 賛同者 加藤市議・浅尾市議)とは
「議会としての対応を求める動議」
簡単に言えば、昨年行われた政治倫理審査会において山崎議員は、自ら積極的に疑いを晴らすために協力をしなければ
いけないはずなのに(新城市議会政治倫理条例2条3項)本人が協力しなかったために条例違反の事実認否がなされなかった
政治倫理審査会はそのままの状態で結論をいったん出して解散したが、本人の協力がなかったという事実は
議員としてあるべき姿ではないから 議会として何らかの措置なり判断をしてほしいというもの

そしてもう一つは、やはり政治倫理審査会で打桐議員に出された結論と、それを認めた議決
「本人自ら市民から抱かれた疑念を晴らすために、条例第3条4号の違反状況を早急に是正するとともに
公の場における説明責任を果たすための謝罪を行う」
この行われるべきことがらが、実行されているか確認し、仮にされていなかったら早急に果たすことを
議会として求めるというもの

市政に関心のない方は、細かな話とか大した問題ではないと感じられるかもしれないが
この2つの要望は実は、以前に市民の側(市政を考える会)からも公開質問状として求められている
ところがそれに対する答えは、現在の政府が行っているような、、要点を暈したようなもの
と判断されても仕方ないものだった

そこで今度は市民側からではなくて、現在の議会の姿に危機意識をもった議員さんが
自分たちの信頼回復のために行動を起こしたというわけだ

そんな経緯で、急遽本会議場で討論となり
この動議に賛成の立場、反対の立場で、意見を戦わすこととなった
動議を出した立場からすると、この様な状態を見過ごすことは、既に信頼を失っている議会が
更に信頼を失うことになるので、何らかの判断をすべし、、
一方反対の意見は、これらのことは個人の資質の問題で議会として何か行動を起こす類のものではない
また仮に可決して何らかの罰のようなものを強いることになれば、それはそれで罰則規定の存在しない
議会条例とか政治倫理条例に矛盾が生じるという、、という法的な意味での反対

しかし、その時現場で考えたことは、「何故条例に罰則がないのだろうか?」という点だ
確かに今までの経験からすると条例に罰則がないために、結果的にやりたい放題と
思えるようなことがいくつも存在した
(一時期は罰則項目を設けるべきだと怒りを持って願ったことがあった)
だが条例を作るのは当人(議員さん)たち、改めて自分たちの首を絞めるような罰則を作るのは考えにくいが
実はそのことよりも罰を設けていない理由は別のところにありはしないかと自分なりに考えてみた
それは大前提としてマックス・ウェーバーの言うように政治家のエートス(職業的な倫理観)、
政治家という得意な職業人の人格が、選挙で人民から選ばれているという時点で確保されていると解釈することだ
つまり性善説のような解釈で議員さんを捉え、法(条例)を犯すなどということは
そもそもその職業に値しない人格ということで、わざわざ罰則を設けていないのではないか
これは違うかもしれない、ただ自分がそう思ったというだけのことだが
ところが昨今、この倫理的な問題が「法に反していない」との解釈でないがしろにされている(国も市も)
倫理の問題が、法の問題として扱われる、、、実はそれがレベルの低いことで、
そんな話がまことしやかに出てくる事自体が普通(正常)ではないことを証明している

よく、どんな人であろうと選んだのは選挙民の責任
次の選択の機会に、その態度の表明をすれば良い、、と言われる
しかし、次の機会までに充分過ぎるほどの時間がある場合
人は果たして次の機会を待つだけでいいのだろうか、、
それまでにすることはないのだろうか
おそらく、無駄であっても、間違ったと感じた方々に対しても
期間中は真っ当に活動していただく、、そういうことを望み、声にすることが
より必要なことではないか
(そうしないとあまりにも悲しすぎる)

現在の状況に危機意識を感じている人が、市民であれ議員であれ声を上がる
次の機会まで待つのではなく、目前の業務を真っ当に行ってもらうように言い続ける
(その評価は市民目線で妥当なものと思われるように)
それが肝心なのではないか

ところでこの動議、賛成で起立したのは白井・加藤・浅尾・山口・菊池議員の5名
長田議員欠席で、最近見られる傾向のままだった

今年10月には、新城市では市長・市議会の選挙が行われる
これらのことも参考にすべき項目かもしれないのでおせっかいながら
ダラダラと書き連ねてみた

 

 

 

 

 

 

 

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ちょっとした違和感 議会改革検討会議

2017年05月23日 10時41分20秒 | 市政、市議会に関することなど

新城市の面白くないマニアックな話題
でもこの秋の選挙を控えて、もしかしたら大事な問題とも考えられるので
ちょっとしつこいが自分の別のブログからの手抜きのコピペ

以下コピペ部分

何回目になるのか忘れてしまった新城市の議会改革検討会議
昨日(5月22日)10時スタート時点では、(とりあえず)メンバー全員が出席
途中で村田市議が所要のため退席(30分ほど経過の後)
傍聴議員は山口議員と打桐議員の二人で
打桐議員は途中退出、山口議員は最後まで残った
依然として一度も傍聴に参加しない議員さんはもう一人のYイニシャルの議員だけ
最近よく顔を出している議長の下江市議の姿はこの日は見えず

少しばかり面倒な細かな話だが、新城市の議会基本条例の最後の方に
26条 議会は、この条例の目的が達成されているかについて、全員協議会で検討するものとする
2 議会は、前項による検討の結果に基づいて、この条例の改正を含む適切な措置を講じるものとする

今回の議会改革検討会議の設置の理由はこれだ(表向きには)
期間は設定されていないが、見直し作業は必要とされており
現実には今まで新城市議会は議会基本条例を一度も検討も見直しもされていなかった
そこで、じっくり見直そう、、、としたようだ、、、が
(ここで、全員協議会で検討する  とあって、それがされていないのではないか
との疑問が一時期ある議員から声が上がったが、それは自分は忘れてしまったが、
何かをその代わりと解釈することによってクリアしている、、、としたような、、、)

とにかく、一度も見直していないことを腰を据えて検討しようということになった(白井市議の希望?)
ところが、それは良いとしても問題があまりにも漠然としていて、
具体的にどのように話を進めていっていいかわからない

そこで最初にこの検討会議の進め方を決めた
それは、先進事例という評価の高い、いずれ新城市にも必要になるであろう項目を
何回かに分けて勉強して、メンバーの共通認識とし、その上で具体的な案
(これも漠然としていているので勉強頭の白井市議がたたき台を作って)
条文の訂正や追加を検討しよう、、という進め方で先日の第4章のあたりまで来た

普通なら、このまま続いて5章(議会と市長等執行機関の関係)と行くところなのだが
この日は何故か、すぐにはそうとはならなかった
それは先回の4時間半も時間を要した会議への反省といえば聞こえは良いが
どうもそうではなくて、いきなり、話を検討会議の進め方をどうするか、、、となってしまった

時間ばかりかかってしようがない
そもそも、そんなことまで書き込む必要はあるのか、、
何故、議会改革が必要で敢えて書き込むことによって市民にも
また新しく議員となった人にもその精神を円滑に伝えることができると理解すべき
いやいや、それは基本条例の追加訂正ではなくて、細部の関連する条例を書き換えることでカバーできる
しかし、そんなに拘束力のない細部の規則で物事を進めてしまって良いのか(法の解釈でなんとでもなることで良いのか)、
それに、今まで共通認識としてきた勉強とか、今後あるべき姿の認識は、、
ならば今までここで何をしてきたのか、、、

この日は1章からやり直そう  という中西委員長の突然の提案があったものだから
以上のような終わりのない(?)議論が約一時間弱続いて、またもや長時間の会議か
と懸念されたところだ
しかし、このやり取りは見ようによってはなかなか面白いものだった
何故、突然こんな話が出てきたか、、、(委員長と副委員長は進め方の打ち合わせが出来ていなかったらしい)
それをあれこれ想像する事ができたからだ

それは早々と退席した村田議員の言い残した発言にヒントがあるかもしれない
「自分は議会改革は政治倫理審査会の改正と先例集の改正をするものだと認識していた
 あとは変える必要なし」

この発言は昨年の千郷地区の議会報告会で下江議長の発した言葉につながる
その時の発言は政治倫理審査会の設置を制限するようなニュアンスで、
問題は条例にあるのではなくて議員のモラルとか資質にあるのであって
議員一人ひとりがしっかりすればいいだけのことなのに、何故直そうとするのか
と違和感をもったものだ

その記憶が蘇った
そして、実はこれこそが自分が一種の危機感をもって、
面倒なこの検討会議をチェックしている理由なのだ

議会改革検討会議の目的は、額面通りの正面突破の真面目な取り組みではなく
もっと別の意図があるかもしれない、、という不安
今まで表向きに反対できない正論で進められてきたことに対するどこか妙な突然の
方向転換の様な話
(この議会改革検討会議を開くように指示し、仕切っているのは本当は誰たちなのか)

これは独断と偏見、あるいは思い込みの一言で片付けれれるかもしれない
しかし、何故かそれはそんなに間違っていない、、という気がする
とにかく、違和感のある、どこかひっかかるものがある会議だった

バタバタしたものの今までの進行を踏まえることにして、
結局5章(議会と市長等執行機関の関係)に入ることとなった
この部分は素人にはイメージしにくい
かなり技術的な問題で、議員さんの経験によるイメージと素人の言葉の解釈は
かなり違うだけでなく、そこに関連する条例に関する知識量も違う

ということで、ここの部分はいつものように白井市議のブログで解説してもらうことにして
いきなりパス(それにやっぱり議員さんと同様な印刷物は手元にないので余計わかりにくい)

それにしても、現時点における進み具合や確認事項が
メンバーの間でもかなりの差があることに驚く
メンバーの中ですらこうなのだから、他の議員さんに変更の意図とか精神は
伝わるのだろうか、大いに疑問
そしてやはりこんな難しいことを市民に聞かれたって(パブリックコメント)、、、、
それが段取りとなっているということなのだが、よくあるように段取りの瑕疵はないが
内容についての瑕疵はわからない、、、みたいなことになりそうだ

ところで一度も検討会議の傍聴に来ていないY議員(厚生文教委員長)
市の組織変更に伴い、産廃問題を管轄する環境部が経済建設委員会から
厚生文教委員会の所轄に変更になったのだけれど、
担当部署(行政)から充分に聞いているから経済建設委員会からの引き継ぎは(レクチャーは)
必要なしとの判断で、経済建設委員の方からの話は聞かなかったらしい
このようにかなり独特な判断をする議員さんだが、これで大丈夫かな?
ゼロベースで産廃問題は考えると言っていたが、ゼロベースとは、、なんだろう

 

 

 

 

 

 

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とりあえず復活、議会改革検討会議の傍聴

2017年05月18日 18時31分54秒 | 市政、市議会に関することなど

前回は根性なく途中リタイアした新城市の議会改革検討会議
今日(5/18)はちょっとした使命感と、議員さんに緊張感を持ってもらうために出かけた

しかし、これが長かった
始まったのは9時で終わったのは13時半過ぎ
途中で一度僅かな休憩を挟んだだけ

さすがにこれだけ長いと不機嫌になる議員さんもいた
後半の集中力は、大事な事が議論されているにもかかわらず
どこか投げやりな部分が見られたような気がしたが、
これは少しばかり仕方ないかもしれない
しかし肝心なことなら、時間とかスケジュール関係なく緻密な話し合いをすべきだったし
一気にその部分を検討する予定自体が甘かったのでは
(もう少し誰かさんの議事運営が上手なら時間短縮は出来たような気がしないでもない)

傍聴しているこちらの身もきつかったが、
あまりにもイライラを表に出しすぎる前回不謹慎な発言をした議員さんの態度は
少しばかり大人げないし、恥ずかしいといえるのでは!
(もうひとりイラツイている議員さんがいたが、それでも議論に関与しようとする気持ちは見られた)
※この二人は、分かる人にはわかると思いますが、、

この日の細かな内容は例のごとく白井市議のブログにアップされるだろうから
ここではお気楽な感想ということに

今回は議会条例の条文の訂正とか追加について
その4章部分(市民と議会の関係)で
いきなり条例を検討しても上手く進まないので
副委員長である白井市議がたたき台のような案をつくり
それを元に話し合うという形で進められることになった
当然、その白井案は事前にメンバーに配られて読んで各自検討されているべきと思われたが
どうもその宿題をやってきていない議員さんがいたようだ(傍聴席からはそう見えた)

ただ今日はあの討論内容がわかりにくいワークショップ形式ではなく
通常の討論形式で全体の内容が分かりやすかったのは良かった

4章の市民と議会の関係は、実は重要な問題で
時間が来たからとかあとが詰まっているからと言った感じで進められたくなかったが
市民の声を聞く機会としての議会報告会とか積極的な参加の意味合いでは市民議会、
市民懇談会などの議会モニター制度などが提案され、条文の書き込みの提案がなされた
しかし、ここでメンバーのこの会議というか議会基本条例の解釈についての共通認識が
それぞれ違っていることが感じ取れた
議会基本条例は基本であり目指す高みであり、細かなことまで書き込むことはそぐわない
というものと、敢えて書き込む事によって次の時代の議員さんにも、また市民にも
わかりやすいものとなる、、、という立場
これはどちらとも言い分があって、個人的にはそれほどこちらでなければ、、、
という思いはなかったが、もっと気になったのは「市民」という概念
概念という言葉が大げさなら「市民」という抽象的な存在に対する捉え方・考え方があまりにも
現実を反映していないのではないかという点

現在のように地方分権が進んできた社会では市民は議員お任せではなく
主体的に民主主義を推し進めていかなければならない
多くの市民が目覚めて関心をもって議員とが協力して政策提言をできるように
ならなければならない、、、
これがあるべき市民像のイメージとして(前提として)考えられている
しかし、最近のようにサラリーマン世帯が多くなっていると
以前の地域のコミュニティはその力を失い、必要な情報も(特に男性は)手にしづらくなる
その結果、地域に関する関心も残念ながら大きくない
その証拠が最近行われたばかりの「議会報告会」の傍聴者の数だ

正直、議会報告会にわざわざ関心をもって来た人は多くない
関心をもってもらうべきとか、関心を市民自身が持たねば、、、といくら声をあげたところで
市民自身がそのレベルに達していないのが現実だ
圧倒的な当事者意識(ATI)をもって市民が自らの問題として考えるには、
将来そうあるべきだとしても、とにかく現在はそれを望むべくもない

議員は地域・利益の代理ではなく、市民の代表として存在すべきだとはよく言われる
しかし、議会報告会などで出て来る意見を思うと、住民が議員さんに望んでいることは
地域の代理機能の要素がたくさんある
地域の人は議員さんに苦情や陳情を聞いてほしいし、解決して欲しいと思っている
確かにそれがすべてとは思わないが、このメンタリティが大きいのは事実で
だからこそ各地区で支援する議員さんが当たり前のように存在する

抽象的な「市民」
それを性善説をもって見るか、少し変わり者が存在する団体と見るか
理性的な存在と見るか、感情的な存在と見るか、
それら「市民」に対するイメージが議員さんの間で各自バラバラで
それぞれが自分のイメージする「市民」を前提に議論を進めるからどうしても
噛み合わないところが出てくる

正直なところ、この議会改革検討会議は
進むべき方向のプロの視点からの提案だけでなく、(Sさん勉強ぶりと真面目さはわかるけれど)
身にしみて感じている現実を見据えた認識のもとに進めないと、議員さんの間で
何かやってる、、、に過ぎないものとなってしまいそうな気がする

議会改革検討会議の多分最初の方の会で
議会改革の進展は、市民生活に落とし込まれて初めて評価される
と言ったようなことがあげられたが、市民生活にリアルに感じられるような何か
それがどうも、いつまで経っても欠けているような気がしてならない
(でも今日は、長い時間頑張ってくれた議員さんには、ご苦労様と言うべきかな)

ところで、今日の傍聴議員は下江市議だけ
依然として一度も顔を見せないのはY議員
こんなんで議員間の共通認識を図れるのだろうか、ちょっと心配

また将来、市民の声としてパブリックコメントを求められることになっているが
市民はこんな抽象的な問題にまともにパブリックコメントを発することができるのか
これも少し心配、
それにしても、疲れた、、、

 

 

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