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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

とりあえず一安心

2025年01月12日 09時27分23秒 | ダイアリー

今朝は地域の資源回収の日だった
我が家の分は早めに済ませたが
心配なのは先日この件で話をしたベトナムの人たちのこと
彼女たちに日にちと場所は教えたが開催時間は教えていなかった

そこで昨日は「ペットボトル、空き缶、ガラス瓶等の回収は
 午前7時半から9時まで」とベトナム語に翻訳して
プリントしたものをアパートの扉に貼っておいた

わかったくれただろう、、と思いつつも心配なので
先ほど(8時半頃)アパートを訪れて、上手くできたか確認しようと思った
その途中、自転車に乗って何処かから帰って来る彼女たちを見つけた
「上手くいった?行ってこれた?」
日本語で聞いたがニュアンスは理解できているようで
笑顔で「ありがとうございます」と答えてくれた

ホッと安心して自宅に帰る時、手を振ると彼女たちも大きく手を振った

とりあえず良かった
これで次からは問題なくこなしていけるだろう

祖国から離れて外国で暮らす人達
そうした人たちが新城でも増えている
その人達は日本のことをどう感じているのだろう
少なくともいい印象をもってもらいたい!と単純に思う

その人達の日本の印象は、おそらく接する人によって決まるだろう
良い人に合えば良い印象
人を道具としてしか見ない人なら、芳しい印象は持たれないだろう

自分は何ができるか大きなことは言えないが
日本に来て良かったと感じてもらいたいと思っている
2,3年前外国をルーツに持つ小学生の勉強の手伝いをした時も
その思いはずっと持ち続けていた

人は社会的な生物で、人の脳が他の生物よりも大きいのは
コミュニケーションを司る部分が発達しているからだといわれる
人間らしくというのは、コミュニケーションを上手く図ることで育まれる

できることなら損得の交渉とか駆け引きではなくて
穏やかな交流が続くことを(トランプさんのことを思うと)願わざるを得ない

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善意の交流

2025年01月09日 15時44分39秒 | ダイアリー

朝、9時頃のこと
外で洗濯物を干していると女性の声がした
「すみません、これどこへ持っていったら良いですか?」
振り向くと二人の帽子を被った女性がいた
少しアクセントがおかしいので外国人だとわかった

手には市指定のゴミ袋を持っている
中を見ると硝子壜が入っている
「あ、それは〇〇公民館へ持っていくことになってます」
二人は首を傾げる
日本語がわからないのか公民館の場所がわからないのか
どっちなんだろう

「少し待って!」
と言って家からスマホを持ってくる
そこでポルトガル語と日本語の翻訳アプリに向かって
「これは今度の日曜日に〇〇公民館へ持っていく事になってます」
と音声入力して画面を見せると
「私たち、ブラジル人じゃない、ベトナム人」
(近くにはブラジル人が多く小学生も3人いるので、ついブラジル人と思ってしまった)

そこで、今度は設定をベトナム語と日本語に変更してもう一度行う
今度は分かったようだが、公民館の位置がわからないようだ
そこでGoogleマップを開いて「〇〇公民館」と検索して徒歩での道を示した
チラッと見た彼女たちは自分のスマホで「〇〇公民館」とローマ字で検索しようとした
でもなかなかうまくいかない

そこで翻訳アプリに向かって
「今から地図をプリントして、それを渡すけど、アパートはどこ?」
と会話を試みる
どうやらすぐ近くのようだ
でも言葉で答えられてもこちらがわからないので
彼女たちに歩いてそのアパートを指し示してもらった
それは我が家のすぐ裏に数棟ある内の一つだった

「少し時間がかかるけど家にいますか?」
というと
「私たち夜勤だったからずっといる」

そこで一旦家に戻って〇〇公民館への道のプリントと
リサイクルゴミの収集日のカレンダーも合わせてプリントして
彼女たちがいる部屋に持っていった

とりあえずこのような状況になったが、すべてが円滑に行ったわけではない
もっと滑ったり転んだりみたいなことがあったが、結果オーライとなった
「困ったことがあったら、声をかけてください」そう言うと
「ありがとうございます」と返ってきた

家に戻って少しの間午前のルーティンワークをしていると
玄関のチャイム音がした
同居人がでて何かを話している
そのうち自分を呼ぶ声が聞こえたので2階から降りると
玄関には先程の女性が何かが入った袋を持ってきた
「あのこれ!」と言って袋を手渡した
袋の中にはみかんとキウイが入っていた

「わざわざ、ありがとうございます」
そう言って、袋を受け取った
ベトナムにもこうした何かお礼をする文化があるのだろうか?
とフト頭に浮かんだが
国とは関係のない気持ちのやり取りなのだろうか

実は今朝はこのことですごく気分が良かった
人と人とは善意で交流することができる
その思いを強くしたのと
「人は人に尋ねられる人になりなさい」
というあるべき人間像が、少なくとも彼女たちには通用したようで
話しかけにくい人物とは思われなかったことが
内心ホッとしたのだった

自分はどう見られているか?は自分ではわからない
でも、今日の結果は喜ばしいものだった





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感謝する気持ち

2025年01月06日 17時58分17秒 | ダイアリー

お伊勢さんは、お願いをするものではなく感謝するものだと何かで聞いた
自分にはお参りしているが、いつも感謝するところがある
それは日課となっている近所のお墓参り
花の水を変えて、線香をつけて、故人の名前を呼んで
平穏に過ごせていることの感謝を呟く

と言っても、自分は信心深いとか仏様を信じているということはない
ただこうした方が自分の気持ちにしっくり来ると感じるだけだ

朝の仏壇のお参り(般若心経を唱えての)は祖父母や父を思い出す
きっかけになっている
そして夜、ベッドに向かう同居人はいつも仏壇に向かって
「ありがとうございました」と軽く頭を下げる
そうする気持ちはよく分かる

信心とか祈りというものはどういうものか?
意味あるものか?
と考えるきっかけになったことがあった

それはある時、癌封じで有名な寺で日本語が良くできない韓国の女性が
「癌封じのお参りは〇〇と△△があって金額が違うけれど
どのように違うのですか?」と聞かれたことが始まりだった

〇〇のほうが△△よりも高価なものになっていたが
その内容は〇〇は毎日朝晩依頼された人の名前を読んで
お祈りをするが、△△のほうは依頼を受けたその日だけの祈祷
との違いで、それを伝えると彼女は迷わずに高価な方を選んだ

「神は妄想である」との本を残したドーキンスが
このシーンを見聞きしていたら腹を立てて文句を言ったに違いない
実は正直なところ、その時の自分もどこかこれで良いのだろうか?
と思ったのだった

でもその女性の旦那さんは癌でもう手の尽くしようがない状態
になっていたそうで彼女としては最後の最後の願いとして
ここまで足を運んだと全くの他人の自分に告白した

その時の彼女の祈りは馬鹿げたことか?
戦争に子どもを送った母たちが無事を祈ってお百度参りをすることは
無駄なことか?
それらはその必死さ故に無駄と自分には断定できない

そして今、自分もそれなりの年令になって
どんなことでも起きる可能性は増えるばかりでも
いつもと同じことができていることが
とても幸せなことと思えるようになっているので
知らず知らず誰かに感謝する気持ちになれている
そして同時に少しづつ諦めということも覚えるようになっている







 

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いつもと同じ毎日

2024年12月31日 09時50分36秒 | ダイアリー

今年は読んだ本が少なかった
旅に出ることもなかった
新しいCDも(多くは)買わなかった
旅はちょっとした理由があって出かけられなかったのだが
総体的に活力に欠けているのかもしれない

でも出費は多かった
家電の故障リレーが続いたからで
井戸の水が出なくなったことから始まって
車のクーラント液の漏れ、オートマの不具合で大金が出ていった
エアコンも新しくした
テレビの寿命により買い替え、汚くなった塀の塗装

お金が出ていくのは喜ばしいことではないが
何にでも寿命があるものだとと深く実感した
そして時間の経過ということは
こうしたことなのだと思い知らされた気分だ

同居人は近くの店のポイントが貯まる日、曜日をしっかり覚えている
キャッシュレスではないが、セルフレジも一応対応できている
ポイントにシビアなのに見習って、自分もPayPayのキャッシュレス決済で
ポイントが貯まるのを楽しみにするようになった

年を重ねると社会との接点が少なくなる
現役のころは仕事を通じて社会と何か関わり合いを持っていた
だがそこから開放されると自ら働きかけないと社会との接点が見つけられない
社会との接点が少なくなってくると、損得からは離れられるようになるので
こうあってほしいということが、割と公平な目で見られると思う

ボケ防止のこれも今日で今年はおしまい
なにか気の利いたことを取り上げようとしたがネタはない
去年の大晦日はどんなことを取り上げたのか気になって調べてみると
大したことはなかった
つまりは、いつもと同じ毎日なのかもしれない
それは多分良いことなのだろう


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身にしみて実感する和歌

2024年12月29日 09時46分31秒 | ダイアリー

大河ドラマ「光る君へ」は月が象徴的に何度も登場した
同じ月を二人が違う場所で眺めているといった簡単な意味合いではなく
ライトモチーフのように使われるには何か意味があるのだろうと想像した

これは教科書にも載っている道長の有名な
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
を物語の一つの頂点として扱うための伏線かと想像したが
実は紫式部の歌にも月を取り上げているものがあった
百人一首の
「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」
がそうで、紫式部の自信作だったとも説もあるそうだ
演出家は二人にとって象徴的な意味を持つ月を
通奏低音のように意味ありげに使ったのかもしれない

今とは違いもっと暗い夜に、昔の人が月を眺めるのは
月に何かを祈るような気持ちになったのかもしれないと思う

ところで今年は1月に妹が雲隠れした
そのせいか死について少し敏感になっていて
自分にもやがてくるその時を思うことも多くなった

在原業平はこんな歌を詠んでいる
「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」
現代文にしなくても言わんとすることはわかる
きっとそうなんだろうな、、と思う

源氏物語では光源氏が紫の上の死後、時の流れに身を任せて
暮らしているだけ(生きているだけ)の状態で詠んだ歌は
「もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬまに 年もわが世も 今日や尽きぬる」

何となくわかるというのは、良いことか良くないことか

大河ドラマでは道長が亡くなった同じ日に
F4の一人藤原行成も亡くなったとされている(歴史的事実?)
まるで殉死のような出来事で、如何に行成が道長を慕っていたかを
想像させる出来事として扱われている

仲の良かったF4の残った二人は、行成の死に際しこんな歌を詠っている
藤原公任「見し人の亡くなりゆくを聞くままに いとど深山ぞさびしかりける」
藤原斉信「消え残るかしらの雪を払いつつ さびしき山を思いやるかな」

なんか良いなあ、、と、しみじみ思えてしまう




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次々と出てくる故障など

2024年12月13日 09時19分29秒 | ダイアリー

今年は電化製品の不調が続いている
まずは3年ほど使用したiPhoneが突然作動しなくなるようになった
そこで、今の生活では高機能は必要ないので
一番廉価モデルのSEを購入した

次は9年目の車検で、クーラントの不足が頻繁に起こることを伝えると
どこかに穴が空いていて漏れるとのことで
その修理に笑えないほどの金額を要した

その他にもオートマの変速時にショックが大きいので見てもらうと
変速機の機械的な不調が見つかり、これも載せ替えして
多くの渋沢さんと別れれることになった

これで一段落と思いきや、今度はテレビ画面が急に二重に見えるようになった
色もおかしい
このテレビは8年くらい前に購入したものだが
見れれば良い!と言う感覚で少しばかり廉価のものにしていたのだった
結局、それなりの価格のものを購入する羽目になった

3週間ほど前には、17年使い続けている床暖房の部品(リモコン)の
3つのうち一つが何の反応もしなくなった
急いでメーカーの問い合わせてサービズの方が来られて
チェックすると不意に普通に作動するようになった
どうやら接触不良だったようだ
しかし、屋外機器も長年使っているから、そろそろ故障するかもしれないし
修理するにも部品がないかもしれない!
との恐ろしい言葉を聞く羽目になった

もう一つの屋外機器、エコキュートも17年使っているから
いつ不調になっても不思議ではない(怖い怖い)

そして次は
実はこれが一番ショックが大きいかもしれないのだが
レコードの再生時に全く音が出なくなった
CD再生時には音が出るので、レコードの周辺機器に原因がある
怪しいのはフォノイコライサーだ
これももう10年以上頑張ってきている
ということで、今日はオーディオショップに修理等の相談に

どういう理由か、こうしたものはバトンリレーのように次々と現れてくる
たまたま機械的な寿命が重なっただけかもしれないとしても
なんかショックだな

ついつい、こうした状況と自分の体調の不良を重ね合わせてしまう
相変わらず腰はイマイチだし、腰から来る股関節関係もどこか違和感がある
記憶力も目もなんだか怪しくなってきてるし
瞬発力なんてものは運動機能も思いつきにも見られなくなっている

全部、仕方ない、、と思うしかないのだろう
時間が経過するというのはこういうこと
そんなことを気にせずにいられるのは、それだけで幸せなことかもしれない


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「もう一度自分で良い」

2024年11月21日 09時15分23秒 | ダイアリー

「もう一度自分で良い」高校生と思われる女の子が
「生まれ変わるとしたら何になりたい?」の問いに
テレビでこう答えていた

思わず唸った
すぐさま自分は?と考えた
すると、同じ様に「もう一度自分で良い」
と答えようとしている自分がいた

お金を沢山儲けたたわけではない
社会的に認められている訳でもない
しなくても良い苦労をしたかもしれないとも思う

でも、どうでもいいことでもあれこれ考えて
(時にはストレスになりそうなことも考えて)
自分とのおしゃべりは退屈することはない

悩む自分、落ち込む自分、怒る自分、妬む自分、偏屈な自分
それらをひっくるめて「もう一度自分で良い」と思う

昔、読んだ上中下と3冊にわたる真面目な漫画
「共犯幻想」(真崎守・斉藤次郎作)の中にこんな問があった
「今したいことは何ですか?」
「もうじき死ぬとわかっていたら何がしたいですか?」
「2つの問の答えは同じですか?」

この問は心に刻まれて時々自分に問うてみる
答えはその折々で変わってくる
でもできるだけ同じようにしたいと思っている

言葉は力を持つ!と思う
これだけの短い問で人の生き方を考えさせることができる

マザーテレサは「自分なんて生きていても死んでも世界は変わらない」
と絶望感に苛まれている人に
「世界の調和が完成するには、あなたがいなかったら一人分足りない」
と答えている
そしてその言葉は人を救うことになる

ところで、自分が「もう一度自分で良い」と思うきっかけは
ヘッセの「シッダールタ」の影響だと思う
昔は賢くて生活も恵まれていたシッダールタが情熱に振り回されて
しなくてもいい苦労をする羽目になる
こんなはずではなかったシッダールタの人生
でもそれを全部受け止めて、内的生活の平安を手に入れた彼
小説の最後の部分は涙が滲んで仕方ない

少しばかりロマンチックな終わり方だが
それ故に愛読書だし、人におすすめできる作品となっている

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お金はどこから?

2024年10月24日 09時37分06秒 | ダイアリー

選挙中も相変わらず静かな田舎
今朝、近所の子と小学校校門まで付き添いで歩く途中
一年生の女の子に聞いてみた
「今、通り過ぎたところに男の人と女の人の顔は並んでいたけど
  あれ、なにかわかる?」
「わからん」
すぐさま返事が返ってきた

今度は同じ質問を2年生女の子に聞いてみた
「わからん」
7歳や8歳ではわからないのか、、
ということで、今度は5年生の男の子に聞いてみた
「選挙のポスター」
流石に5年生になるとわかるのか
だが、そこから先は子どもっぽい
「俺のポスターも貼って欲しい」

「あのね、こうやって貼るには選挙に出ますと申し出て
 お金を300万円収めないと駄目なんだよ
 投票数がたくさんあると後でお金は返ってくるけど
 少ないとお金は取り上げられてしまうんだよ」
「なんで?」
「ふざけて選挙に出ないようにするためだよ」

彼は少しは頭に入っただろうか?
小学生はどのくらいから社会的なことに関心がいくか
あるいは、教育されるのかが少しわかった気がした

選挙はお金がかかる
家に何度も来るハガキ
政策を書いたパンフレットに電話、宣伝カー
一人300万円の供託金

少し前、素朴な疑問がSNS上に挙がった
ある党が100人近くの公認で立候補をした
計算をすると3億近くのお金が必要になるのだが、選挙前は一人の国会議員しかいなかった
党員が何人いるかわからないが、その党だけでそれだけのお金を捻出できるようには思えないので
どこからかお金が流れてきているのではないか?との声だ

確かに、そう言われてみると少し疑問が残る
同じように不思議に思うのは月刊「HANADA」とか「WILL」の広告費用だ
中日新聞では月一、全5段(全7段?)の大きさで広告が入る
おそらく朝日、読売、毎日も入っているだろう
首都圏では電車の吊り広告もあるらしい
だがこの月刊誌、書店に行くとベストセラーというほど売れているようには見えない
というより、そんなに置いていない
売るために広告を出すとしたら、広告費倒れになってしまいそうだ
(いったい広告費の原資は何なんだろう?)

だが、新聞広告は売るためではなくて、ある団体の刺激的な意見の発表の場として
利用しているのかもしれないと思われる
しかし社会にはいろんな意見や考え方があるというものの
どこか気持ち悪さを感じてしまう

自民党は最近の報道では、なりふり構わず公認しなかった人にお金を渡し
街頭の応援演説にも党員を派遣している
つまりは実態は公認と同じ扱いをしている
そして当選すれば、「禊が済んだ」の一言で
今までの問題はクリアされたと言い切ってしまう

こうしたことを踏まえて、選挙区の人はどう考えるのだろうか?



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タクシーがなくなった

2024年10月20日 11時06分08秒 | ダイアリー

年寄ばかりのおしゃべり会が3ヶ月に1度くらいのペースで行われている
頭が固くなって、頑固になって、外出も少なくなる年寄は
こうした交流はリフレッシュしたり、ボケ防止に役立つ

前回のおしゃべり会で、最近の話題として「タクシーがなくなった」
と報告したした人がいた
市外に出かけてお酒を飲んで帰ってくると
今までは新城駅にタクシーが停まっていたが
今はタクシー会社がやめてしまっていて使えないから
飲みに行くときは駅近くのルートインに泊まるしかない!というのだ

確かに数年前、市内のタクシー会社はなくなった
その代わり豊鉄タクシーが稼働していると思っていたが
彼によると、タクシー利用者が夜中はほとんどいないので
(家族が迎えに来る人が多いそうだ)
準備しているとか電話に対応するのは経営に負担がかかるので
やめてしまった、、というのだ

市外に飲みに行くということはないので
自分は困ることはないし、たとえ飲んだとしても新城駅から自宅へは
歩いて帰れる距離だ
でも、雨の日は辛いから、やはりタクシーはあってほしい

そんな事が頭の片隅に残っていたなか
今朝のフジテレビの番組で、地方創生についての討論会で
こんな話が気になった

田舎の生活は車が必要だ
店に出かけるにも病院に行くにも、自分で運転する、しないを問わず
車がないとやっていけない
東京は交通機関が発達しているから車はなくても暮らしていける
ところが田舎はそんなわけには行かない

困るのはガソリン代のこと
必要不可欠なものだが、ここにガソリン税がしっかりかかっている
おまけに消費税まで、、
これは、ちょいと問題ではないか、、との指摘があった(国民民主党の方から)

確かにその通りだな、、と実感する
田舎は不便だ
自分の周りは、店も病院も学校もあってそれ程ではないが
少し車で走ると、車なしでは現実的に無理だ
しかもそう言うところは年寄りが多い
車の運転も心もとないひとが少なくない

少しでも便利な町よりに転居が良いとしても
(最近、自分の区は新しい家が多く建っている)
年寄は今まで住んでいるところから離れたくない

無理のない方法としては、スマートシティとかドイツの町のように
ちょっとした町に集まって暮らすのが良さそうな気がするが
これは言うは易し行うは難しなんだろうな

そんなことを思い浮かべながらいると
期日前投票に行こうか!との同居人からの声
そこでAコープで買い物ついでに用を済ませることにした
投票先、国民審査は相談して決めている

投票を終えるとNHKの出口調査をしていた
昨日はフジテレビが電話でこの地区の投票先の調査をしていた
なんで、フジテレビが、、と思ったが
フジテレビはキー局として全国の情報を知りたいのだろうか?

これらの調査は、現況報告として使われるのだろうか
そしてそれは、投票行動にどのような影響をもたらすのだろうか?

それにしても、終電時にタクシーがないのは困るな


 

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紅葉が始まり始めていた

2024年09月30日 10時43分11秒 | ダイアリー

彼岸花もいつもの場所でようやく見かけるようになった
朝晩は涼しくなっている
退屈な日曜日、久しぶりに豊川の「本宮の湯」に出かけた

新城市内にあるゆ「うゆうアリーナよ」りも
豊川市の「本宮の湯」のほうが我が家からは近いので時々出かける
同じような人が多いと見えて、近くの駐車場は満杯
一番遠い駐車場になった

駐車場からの道沿いではこんな木々が見られた

なんと、早くも紅葉し始めている
今年はクソ暑かったから、てっきり遅いものと思い込んでいたが
この数日の気温差が激しい分、木は錯覚を起こしたのだろうか

これは今年に限ったことなのか、毎年そうなのか
残念ながら記憶はない
時々、秋に桜が咲いたのを見かけたような記憶があるような、ないような

我が屋の庭の木々も紅葉はしていないが、疲れ果てているような雰囲気だ
少しづつ、葉っぱに傷跡が増えて、そして散っていく
夏にはあれだけ茂っていた葉っぱが落ちて冬木立になっていく
植物の周期的な変化は改めて凄いなと思う

入場料はJAF会員の割り引きで570円
長く入って元を取らねば、、と気合を入れても
どちらかと言えばカラスの行水タイプだから短い入浴時間
特に改修が行われて、大好きな寝湯がなくなってからは入浴時間は短めになっている

我が家で夜にお風呂に入る時は、昼に入ったからということで
カラスの行水に拍車がかかった
(じっくり入らねばもったいない?という頭はまったくなかった)


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