東北に巨大な防潮堤ができる。
本当に必要なのか。
そんな議論がワイドショーで高まっている。
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宮城県の村井知事の見解
私は宮城県民の命を100年後も200年後も守らなければいけない立場の人間だということです。
今ここにおられる人や反対する人たちもおられますけれども、皆さん方にお聞きしたいのは、逆に「造ってくれという人は本当にいないのですか」ということです。
私のところには「そういう(造るなという)声に負けないでぜひ造ってください」という声も多数寄せられていますよ。
マスコミの皆さんはそういう声を拾わないのですよ。
ぜひ(マスコミの皆さまには)その声を拾ってもらいたいのですよね。
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そうだろうか。
作ってほしいという声の中に、巨大な公共工事費に期待している部分がどれくらいあるのだろうか。
総工費は、一体いくらなのだろう。
その費用を津波警報体制の整備に回した方が、よほど効果的な気がする。
完成すれば、この警報システムは世界に売れる。
2011年5月、私は南三陸町を訪れた。
その時、三陸海岸の海洋資源の豊かさを実感した。
多様な魚種が、広範囲に広がる三陸海岸。
陸と海を分断することは、漁を営む人々にとって死を意味するのだろう。
これは、水を恐れる農耕民族と、水を友とする海洋民族との争いでもある。
漁業者は、船板一枚下は地獄の世界で、一獲千金を夢見て漁をする。
それ自体がギャンブルだ。
津波を恐れていては生きていけないのだ。
農民は、昔から水害を恐れていた。
巨大な防潮堤で守られた世界で、安全に農業をしたい。
同じような話は、日本各地で見られる。
アジア人種の多くは、農耕民族で水を恐れる。
巨大防潮堤の話は、欧米では決して受け入れられない。
それは彼らの多くが海洋民族だからだ。
自然とともに生き、自然の恵みを受け、自然を克服することに生きがいを持っている人々だ。
中国人や日本人は違う。
そこに村井知事の煩悶もある。
ただ、本当に高さ10mの防潮堤が解決するのか。
止めた方がよい。
それでも完全ではないのだから。
完璧な警報システムと、避難体制を構築する方が、後世への役に立つ。
土木の力で自然に立ち向かおうとすること自体が陳腐なのだ。
どう逆らっても自然のエネルギーの暴走を止めることはできないのだから。