DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

湖の鎮魂歌(125)

2013-12-12 17:32:59 | ButsuButsu


大人も子供も、懸命になって山道を登る。

樹齢数百年にも達するトチノキの巨木に会うためだ。

ただそれだけのことだが、樹間を通り抜ける風に身をさらすと、嫌なことは忘れてしまう。

辛いことや、悲しいことや、淋しいことがあれば、山道を歩いてみればいい。

家族と一緒でもよいが、一人ならなおよい。

ゆっくりと、急がずに歩いていると、思わぬ発見をしたりする。

それらはすべて、あなたのものだ。

無理をしないで、思う存分に無駄な時間を楽しめばよい。

そうして、人とのいざこざや、自分の無力さなど、どこかに置いてきてしまおう。



帰去来の辞(陶淵明)

***

さあ故郷へ帰ろう。

故郷の田園は今や荒れ果てようとしている。
どうして帰らずにいられよう。

今までは生活のために心を押し殺してきたが、
もうくよくよしていられない。

今までが間違いだったのだ。
これから正しい道に戻ればいい。

まだ取り返しのつかないほど大きく道をはずれたわけではない。
やり直せる。

今の自分こそ正しく、
昨日までの自分は間違いだったのだ。

舟はゆらゆら揺れて軽く上下し、
風はひゅうひゅうと衣に吹き付ける。

船頭に故郷までの道のりを訪ねる。
朝の光はまだぼんやりして、よく先が見えないのがツライところだ。



***

やがてみすぼらしい我が家が見えてくると、
喜びで胸がいっぱいになり、駆け出した。

召使は喜んで私を迎えてくれる。
幼子は門の所で待ってくれている。

庭の小道は荒れ果てているが、
松や菊はまだ残っている。

幼子を抱えて部屋に入ると、
樽には酒がなみなみと用意されている。

徳利と杯を引き寄せて手酌し、
庭の木の枝を眺めていると、
顔が自然にニヤケてくる。

南の窓に寄りかかってくつろいでいると、
狭いながらも我が家はやはり居心地がいい、
そんな気持ちにさせられる。

庭園は日に日に趣が増してくる。
門はあるが常に閉ざしていて
訪ねてくる者もいない。

杖をついて散歩し、
時に立ち止まって遠くを眺める。

雲は峰の間から自然に湧き出してくる。
鳥は飛び飽きて巣に戻って行く。

あたりがほの暗くなって、もう日が暮れようとしている。
庭に一本立った松を撫でたりしながら、私はうろついている。

***

さあ故郷へ帰ろう
俗世間と交わるのは、もうよそう。

世間と私とは最初から相容れないものだったのだ。
いまさらまた任官して、どうしようというのか。

親戚の人々との心のこもった話を楽しみ、
琴を奏でて書物を読んで…
そうしていれば憂いは消え去る。

農夫がやってきて私に告げる。
そろそろ春ですね、
西の畑では仕事が始まりますと。

ある時は幌車を出すように命じ、
ある時は小舟に乗って田んぼに出かける。

奥深い谷に降りたり、
けわしい丘に登ったりする。

木は活き活きと生い茂り、
泉はほとばしって流れていく。

万物が時を得て栄える中、
私は自分の生命が少しずつ、
終わりに近づいているのを感じるのだ。

***

まあ仕方の無いことだ。
人間は永久には生きられない。命には限りがある。

どうして心を成り行きに任せないのか。
そんなに齷齪して、どこへ行こうというのか。

富や名誉は私の願いではない。
かといって仙人の世界、などというのもアテにならない。

天気のいい日は一人ぶらぶらし、
傍らに杖を立てておいて、畑いじりをする。

東の丘に登ってノンビリ笛を吹き、
清流を前にして詩を作る。

自然の変化に身をゆだね、
死をも、こころよく受け容れる。

こんなふうに天命を受け容れてしまえば、
もはや何のためらいも無いだろう。
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12月11日(水)のつぶやき

2013-12-12 06:54:40 | 物語
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