DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その17

2012-11-23 09:21:53 | 物語

されど我が力のかぎり

「晃さん。私が属しているファン・オメレン社は、190年の歴史を有しています。大小のタンカーを所有し、シェル石油の総代理店として様々な運輸を受け持っています。オランダが占領された後も、ドイツ軍の命令で、ライン河周辺への石油や物資の運搬を担っています。あなたが身代わりをするという話を、ドイツ軍司令官が善意に受け取ってくれればよいが、万が一、逆鱗に触れるようなことがあれば、私だけでなく会社全体が被害をこうむる可能性があります。また、一人の日本人であるあなたが、オランダ人のために銃殺されたとなると、犠牲的精神の発露とはいえ、日独伊の枢軸国でありながら、あなたは祖国に弓を引く人間としてみなされるでしょう。そのことは、あなたの家族や知人に迷惑をかけるだけでなく、国際的にも大きな問題を惹起することになるでしょう。ですから、申し訳ないけれども、私はあなたの申し出をドイツ司令官へ取り次ぐことはできないのです。理解してください。」

そう、フリート氏は悲痛な表情で晃を諭した。

晃は、どうしてよいのかわからなかった。確かに、他国民を守るための自己犠牲が、ナチの司令官に素直に受け入れられることはないだろう。彼らには理解できない行動と思われても仕方がない。宗教的道徳心であったのかもしれないが、同時に純粋な義侠心でもあった。一度は捨てようとした命である。いつの日か、自分の命が役に立つこともあるかもしれない。憔悴しきって領事の家を後にした。次の日、彼の5人の友人たちは処刑された。

このようなおろかな行為を繰り返していく過程で、軍事体制にあったドイツも次第に食糧難に陥ってきた。オランダ国民が備蓄しておいたバターやチーズ、その他の食料が強制接収され、ドイツ国内や戦闘の前線に送られていった。さしもの酪農国家オランダでも食糧事情が悪くなってきた。特に、油脂類の不足は顕著だった。そんな中で、晃に南米まで食料を買い付けに行って欲しいという注文が舞い込んできた。ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、アルゼンチンで食料や油脂類を買いつけ、日本からシベリア鉄道経由でロッテルダムへ輸送しようといる、遠大な計画だった。

この準備のために、晃は急遽ベルリンへ赴いた。

つづく