遍歴者の述懐 その14 blog.goo.ne.jp/bitex1993/e/0c…
第二次世界大戦勃発に遭遇する
1939年9月、英国とフランスがドイツに宣戦布告した。
「ヒットラーが攻めてくるわ。」
ラウラが悲痛な声で叫んだ。
オランダ、ルクセンブルク、ベルギーのいわゆるベネルクス3国は中立を宣言していたが、ナチの軍隊はそのようなことは意にも介していなかった。1940年5月、3日間から5日間の猶予をもってオランダに降伏を求めてきていた。晃とラウラは、その時、ロッテルダムにいた。予告された3日間の以内にオランダは降伏しなかったので、最初の大規模な空爆がロッテルダムに対してなされた。その結果、市内の3分の一が消失し、目抜き通りの繁華街は灰燼と化してしまった。
「オランダは、これからどうなるのだろう。」
晃は、呆然として一面の火の海を眺めていた。数え切れないくらいの無辜の民が犠牲となっていた。混乱と恐怖が、体の底からわきあがってきた。4日目になってもオランダは降伏しなかった。ヒットラーは、ハーグ、アムステルダムと順次爆撃する旨を通告してきた。こうしてオランダ政府の内閣は、5日目についに降伏を受諾した。
ドイツの落下傘部隊と陸上部隊が続々と進行してきた。彼らは占領したオランダの西海岸より、V2遠距離砲弾をロンドンの中心部に向けて発射し始めた。戦線はベルギーからフランス北部へと拡大され、世の中はまさに修羅の巷となってきた。ドイツ軍が占領したオランダ領の中でも、ロッテルダムには石油基地、魚油のタンク、造船所、食料品倉庫があったので、連合軍の爆撃機がたびたび来襲し爆撃を行った。その結果、住民は戦々恐々たる生活を送るようになった。一方、ドイツ軍の高射砲が四方八方から敵機めがけて発射されるので、両陣営による仕掛け花火のような光景が毎夜続いた。
晃は、他の市民と一緒に防空壕へ避難していたが、爆撃があまりにも頻繁であり、次第にあきらめの境地に到達してきた。
「もう逃げるのは止めだ。」
そう悟った晃は、ラウラと子供たちを避難させ、一人書斎にこもって勉学に励むようになった。法華経、観音経、般若心経を読破し、老子の道教を英語と蘭語に翻訳し、旧約聖書や新約聖書を読み漁った。そしてついに「永遠のカレンダー」と題した宗教哲学書をオランダ語で出版してしまった。まさに、万経帰一の心境に達したのだ。晃が41歳のときだった。まことに不思議な男である。
つづく