DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その14

2012-11-20 14:24:37 | 物語

独占から公平へ

第一次世界大戦後、ドイツは多額の戦争賠償金を負わされ、深刻なインフレにあえいでいた。そのことがヒットラーの登場を促し、やがて第二次世界大戦に突入していくことは周知の事実である。勝者は既得権を振りかざし、敗者は隷属に困窮する。古い昔から変わりもしない歴史が繰り返されている。

晃が関わる貿易の世界でも同じことが言えた。東洋から欧州に輸出される大豆・落花生・大豆油・魚油なとの油脂原料品にはロンドン契約が適用され、かならずロンドンの仲買人を通すことが強要されていた。

このことを回避するために、ロッテルダムに住む日本の副名誉領事であるファン・フリート氏から、直接欧州へ売り込むことを提言された。もし直接販売できれば、多額の利益を上げるだけでなく、英国以外の欧州の国々にとって大いに歓迎されることが予想された。「なんとかしたい。」と晃は思った。

そこで、ドイツのケルン、デュッセルドルフ、クレイフトなどにある大豆の消費地、油工場の視察に出かけた。確かにドイツのインフレはひどかった。列車や船代は、一等に乗っても日本円で400円以下だった。ビールを注文してすぐに代金を払わないと、50万マルク単位で値が上がったと言われた時代であった。10数年間働いた女中さんが、結婚用にこつこつと貯めた給金でハンカチ一枚しか買えなかったという悲話もあった。何とかして助けて欲しいというドイツ国民の願いを身にしみて感じた。

早速、欧州大陸に油脂原料品を直接売るべく努力を開始した。そのためにベルギー人の実業家ラッセル氏と共同出資して組合を作ろうと考えた。そのためには資本がいる。再び船に乗って日本に帰り、父親のつてを頼り出資者探しに奔走した。しかし、結局うまくいかなかった。

一つには、欧州大陸銀行の信用状開設経費が英国銀行より高く、しかも取引ごとに多額の保証金が要求されたことと、

二つには、英国の銀行に比べて、日本の貿易金融や外国為替を専門とする横浜正金銀行(後の東京銀行)が海外戦略にあまりにも消極的であったこと、などがあげられた。

失意の下にロッテルダムに帰った晃のもとに、ヒットラーがドイツ向けの原料品をロンドン経由しないで直接取引するように法令化したとのニュースが飛び込んできた。続いて、三井物産と三菱商事がそれぞれハンブルグとベルリンに現地法人を設立したため、ロンドンにある企業との競争が激化してきた。このような貿易摩擦が、やがて始まる第二次世界大戦のきっかけとなったのである。

こうして、公平でありたいという善意の気持ちは、独占したいという利己的な潮流に押しつぶされたのであった。

つづく


11月19日(月)のつぶやき

2012-11-20 04:10:59 | 物語