ガラパゴス通信リターンズ

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ぼくの小規模な失敗(麻生さんにも読んでもらいたい・声に出して読みたい傑作選75)

2009-03-12 06:20:05 | Weblog
 福満しげゆき氏の『ぼくの小規模な失敗』は本当に面白い。若いマンガ家のいわば自伝的な作品である。あまり勉強ができる中学生ではなかった「僕」は深い考えもなく工業高校に入る。当然そこは技術者養成の場所である。「僕」はそんなものには何の関心もない。日々の学校生活が苦痛で苦痛でしかたがない。周囲から遮断し、自分を守るために彼は猛烈にマンガを描き始める。 

 結局工業高校を「僕」は中退してしまう。定時制高校を経て、アルバイトを重ねながら夜間大学に通う。不器用な「僕」は、アルバイトでも失敗を重ね、夜の学校生活にもなじめない思いを抱えている。マンガを描き続けることが「僕」の存在証明となっていた。彼は投稿を重ね、雑誌連載の機会を得る。そして九州から出てきた少女と結婚をしたところでこのマンガは終わっている。

 このマンガを読んで感じるところは多かった。骨子をみていても中3の時点で自分の進路など選べるわけがない。成績の関係で工業高校に行かざるをえなかったことが「僕」の最初の「小規模な失敗」である。そして、日本の社会は一度人生のレール(ベルトコンベア?)を外れたものにすさまじい孤独と惨めさとを強いるものであることが分かる。一度このレールだかベルトコンベアだかから外れると、もとに戻ることはほとんど不可能なのだ。

 「僕」は「夢追い型」フリーターの「小規模な成功」者だ。結婚もし、ささやかながらマンガ家としての地位も築いたのだから。「夢追い型フリーター」といえばふわふわと地に足のつかない若者がイメージされる。しかし「僕」はマンガを描き続け、マンガ家になるという夢を追い続けることで辛うじて過酷な現実を生き延びることができたのである。「僕」のようなタイプの「夢追い型フリーター」もけっして少なくはないはずである。そのことは以前のSさんの論文も明らかにしていた。この人たちの多くには「小規模な成功」すら無縁なのではないか。彼らの人生の果てには何があるのか。それを思うと胸が痛む。