太郎が小学校を卒業した。月日のたつのは早いものである。太郎たちの小学校では、卒業証書を貰う時に、子どもたちが自分の思いを一言ずつ語る。「お父さん お母さん これまで育ててくれてありがとう」という子どもが多かった。子どもたちがこうしたことばを述べることに、ぼくは違和感を覚える。親が子どもを育てるのは当たり前のことである。なんで感謝されなければならないのか。
作家の筒井康隆は、父親(動物園の園長をしていた人で相当な奇人変人だったらしい)に「「子を持って知る親の恩」ということばを知らぬか」と非難された時、「「子を持って知る子の恩」ということばを知らぬか」と斬り返している。有島武郎のことばのようだが、至言である。「3歳までのかわいさで人は一生分の親孝行をする」ともいうではないか。小学校を卒業する子どもたちは、もう十分に親孝行を済ませているのだ。
そもそも「育ててくれてありがとう」などとは水くさいではないか。中学生たちは、いじめにあうなど、様々な悩みを抱えている。しかし、それを親にいえない。「親を心配させたくないから」というのがその理由だ。私の教えている大学生たちの多くが、卒業後に非正規雇用の仕事にしかつけなくて経済的に苦しい状況に追いやられたとしても、「親だけには頼りたくない」という。これ以上迷惑はかけられないというのだ。日本の若者や家族の病理は甘えや依存にではなく、この異様な水くささにある。
教師に感謝のことばを述べる子どももいたが、これもぼくは気にいらない。「子どもみたいな面白い動物を預からせてもらって、教師ほど楽しい職業はない」とは遠山啓のことばである。子どもたちは壇上で、こう言うべきだったのではないか。「お父さん、お母さん。そして先生方。ぼくたちはそのかわいさとおもしろさとで、あなた方を幸せにしてあげました。どうかぼくたちに感謝の気持ちを示してください」。
作家の筒井康隆は、父親(動物園の園長をしていた人で相当な奇人変人だったらしい)に「「子を持って知る親の恩」ということばを知らぬか」と非難された時、「「子を持って知る子の恩」ということばを知らぬか」と斬り返している。有島武郎のことばのようだが、至言である。「3歳までのかわいさで人は一生分の親孝行をする」ともいうではないか。小学校を卒業する子どもたちは、もう十分に親孝行を済ませているのだ。
そもそも「育ててくれてありがとう」などとは水くさいではないか。中学生たちは、いじめにあうなど、様々な悩みを抱えている。しかし、それを親にいえない。「親を心配させたくないから」というのがその理由だ。私の教えている大学生たちの多くが、卒業後に非正規雇用の仕事にしかつけなくて経済的に苦しい状況に追いやられたとしても、「親だけには頼りたくない」という。これ以上迷惑はかけられないというのだ。日本の若者や家族の病理は甘えや依存にではなく、この異様な水くささにある。
教師に感謝のことばを述べる子どももいたが、これもぼくは気にいらない。「子どもみたいな面白い動物を預からせてもらって、教師ほど楽しい職業はない」とは遠山啓のことばである。子どもたちは壇上で、こう言うべきだったのではないか。「お父さん、お母さん。そして先生方。ぼくたちはそのかわいさとおもしろさとで、あなた方を幸せにしてあげました。どうかぼくたちに感謝の気持ちを示してください」。
親の年金をあてにいきて、パチンコだけをしていて、お金がなかれば、親に暴力を振るう。親がしんでしまったら年金がもらえないので、死んだことを隠して腐乱するまで放置する(意外と多い)
また、これは僕の生徒ですが、サラ金に電話をかけるふりをして、親を脅かして金銭を騙し取る。金がなくなったら家の中を探しまくって売れるものを探してリサイクルショップに売ってしまう。母親の思い出のものです。
親に感謝をしてひとり立ちを誘発させる。僕は割りと大事だとおもうし、教育の中でもそれは必要なのじゃないかなと思うんですよ。
昔は不良でも親が怪我をしたり病気になったら、まじめになって親を助けようともしたのですが、そういうのは実にすくないです。逆に親を追い詰めて金策に走らせる子供も少なくありません。
そのとおりだと思います。少し極端な書き方を私もしたのですが、今回のエントリーのようなことを考えたのは、4年前の姉の卒業式との時に比べて、両親に感謝を述べる子どもが圧倒的に増えた印象を受けたからです。NHKの連続テレビ小説も「すべてに ありがとう」などという歌を流している。経済状況が厳しくなってきて、困窮する人が増えてきても、救いの手を差し伸べるのではなくて、「生きているだけでありがたく思え」と突き放す。そんな「陰謀」めいた動きを感じてなりません。
「子を持って知る、親は本当は他人だった」
かつのりさま。私の父はもう死にましたが、ぼくも兄も最近どんどん亡父に似てきたように思います。それもよいところが似ればよいのですが、悪いところを受け継いでしまったように思えてなりません。子ども、とくに男の子はどんなに嫌っていても父親に似てくる。これが『カラマーゾフの兄弟』の主題の一つであったようにも思います。