ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

うらみ つらみ ねたみ そねみ

2009-03-09 07:42:10 | Weblog
社会学に「相対的剥奪感」という概念がある。自分と同じはずの人間が自分よりも高い地位にあり、多くの年収を得ている。そのことによって、損をしたような気持ちになる。これが「相対的剥奪感」ということばの意味するところだ。

 高い地位、多くの年収といっても普通の庶民は東大教授や内閣総理大臣をうらやんだりはしない。ヒルズ族やイチロー選手の年収と自分のそれとを比べることもないだろう。比較の対象になるのは、自分の手の届く範囲だと感じられる「上」の人たちである。

 さしずめ日本の庶民にいま「相対的剥奪感」をもっとも強く与えているのは公務員なのではないか。彼らは高給を食み、働かず、しかも仕事を失う心配もない。薄給でこき使われ、明日をも知れぬわが身に比べ、あまりにも不公平ではないか。そうした不満が渦巻いている。だから、郵政改革によって郵便局員から公務員としての地位を奪った小泉や、役人を目の敵にして、役人の給料を下げることばかりを考えている橋下のようなポピュリストが拍手喝采を浴びるのだ。

 いまの社会学者たちは「負の相対的剥奪感」ということを言い始めている。自分より「下」だと思っている人間が、自分とあまり変わらぬ暮らしをしている。それで自分は損をしたような気持ちになるというのが、「負の相対的剥奪感」である。

 派遣村へのバッシングや、ベーシックインカムの議論で必ず出てくる「フリーライダー」論は、日本の庶民が抱いている「負の相対的剥奪感」を反映したものなのではないか。自分は真面目に働いているのにかつかつの生活しかできていない。それなのに働かない怠け者が、屋根のある家に住んで、3度の食事にありつけるのは不公平ではないか。派遣村にネガティブなことを言っている人たちの奥底にあるのはこうした気持ちだろう。弱者が弱者に対して抱く、うらみ、つらみ、ねたみ、そねみを強者がたくみに利用している。なんともいやな構図だ。