31歳サラリーマンの ホジキンリンパ腫闘病記

悪性リンパ腫ホジキン病の発病から完治までの記録

@回想3 /ガン告知

2010年11月05日 20時15分47秒 | 闘病記
検査の結果が出る予定日から3日後
近所の総合病院の担当医から連絡が入る。

『名大病院の検査結果が出ました。説明しますので4日後の火曜日こちらに来てください。』
検査の結果は電話では伝えられないという。

頭の中でいろんな考えが巡る。
『電話で伝えられないって、そんなに結果が悪かったのか?』
『…にしては4日後って、えらいのんびりじゃん。思うほど悪くも無いんかな?』

結局考えても仕方ないので、4日間おとなしく待って病院へと向かった。


私はもともと肺の異常で検査を受けていたので
診療科は『呼吸器内科』で受診をしていた。

だが、受付を済ませ診療案内の紙を受け取ると 見慣れない文字があった。


【 血液内科/12:50~ ⇒ 呼吸器内科/14:20~ 】


 『血液内科?』

全然聞いてない。
おまけに呼吸器内科の前ってどういう事だろう?

受付のおばさまに『これ間違ってますよ?』と伝えると
『いえ、この通り予約入ってますので血液内科に行ってください』と言われた。

首をひねりながら血液内科の前で待機。間もなく診察室に呼ばれた。


部屋に入ると1枚の紙を渡されて、医師が説明を始める。

『あなたはホジキンリンパ腫ですので、このような計画で治療を進めます。
まず抗がん剤を投与してその後・・・』



 え?



『待って待って! リンパ腫!? 抗がん剤!? あんた何の話してるんだ!? 俺がんなの!?』
 
パニクる。

医師は『そうですね。 いいですか?説明続けますね~』と言って続ける。

しばらく話を聞いていたが、頭の中が真っ白で全く話が入って来ない。


『待って、話が頭に入って来ない。だいたいおかしいだろこんな告知!!普通はもっと…!…!』

ガラにもなく取り乱して 医師に罵声を浴びせてしまった。
何を言ったかは良く覚えてないが、結構ひどい事を言った気もする。

とりあえずその場で家族を呼んで、家族が来てからもう一度説明し直してもらう事にした。



診察室から出ると、騒ぎが伝わったのか呼吸器内科の看護婦が飛んで来た。話を聞くと

告知の手順は完全な手違いだったと言う。

本来、呼吸器内科でがんを宣告し どういうがんなのか説明を行い
リンパ腫の治療自体は血液内科の担当となるので、そちらで説明を受けてもらう
というはずだったらしい。

両診療科の混み具合の差と、受付への伝達ミスで予約の順番がズレてしまったと。

呼吸器内科の担当医と看護師に平謝りされたが、正直聞く気にもならなかった。

大人なので、話は笑って聞いていたけど。
『まぁ、こういう事もありますよねー。ははは』


 ねーよこんな事

思えば 血液内科の医師は全く経緯を知らず、手順通りの説明をしていた訳で
 『…悪い事したなぁ』と反省した。



家族を待っている間いろんな事を考えていた。

『なんで俺ばっかり立て続けにこんな目に合うんだ…』
そんな風に考えて、少しだけ涙も流れた。



30分ほどして妻と両親が到着。
なんとか落ち着きを取り戻して、改めて血液内科の医師から説明を受けた。

血液内科の医師は、ていねいにていねいに
病気の内容や 治療の方法、進め方を説明してくれた。



話を聞いてる間にもう覚悟は決まっていた。

がんになった事をいくら嘆いても事実は変わらず、がんは無くなったりしない。

私はまだ死ぬ訳にはいかない。なら、もう考える事はひとつだ。


『何が何でもがんを治す!どんな事をしてでも必ず治す!』



この日が私にとって、大きな節目だったんだろうか?

私は大きく人生の舵を切る。
横道に逸れようが回り道だろうが とにかく歩みを止めず前に進んで行く為に。

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