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3章・花嫁断食とは 07 新しい契約による断食 07 断食にはビジョンが必要

2024-07-07 04:00:00 | 「聖なる花嫁断食」(マイク・ピックル著)
断食にはビジョンが必要 

断食の生活を送りたいと思う人は、今の時代に、

神が自分に何を与えようとしておられるのかを知りたいと願っています。

断食をする人と言うのは、空虚さに耐えることができない人であり、

自分が今体験していることと、神が自分に与えようとしているものとに

隔たりがあることを理解しています。

そして何としても神からのものを得ようと、隔たりを埋めようとして傷つき、

嘆くようになります。

神の招待を受け、さらに祝福を受け取ろうとする強い思いと希望がなければ、

私たちは断食しないでしょう。

今日の教会には、新しい断食のビジョンが必要です。

そして断食が神の賜物であり、私たちの魂を神にあって

生き生きとさせるものであることを認識するべきです。

神は私たちを苦しめるために断食を創られたのではなく、

私たちの人生を変えようと、賜物をくださったのです。

私たちは、神が私たちに与えらえたビジョンが実ることを望んでいます。

また、断食を通して、神からの報酬が与えられるという

イエス様の言葉を信じています。

そうであるならば、その約束が偽りであるかのような

生き方はしたくないはずです。


マタイによる福音書

9:15 イエスは言われた。

「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。

しかし、花婿が奪い取られる時が来る

そのとき、彼らは断食することになる。


【ブログ編集者から】

残念ながら、最近の日本の教会では断食祈祷をする人が少なくなりました。

それはほんとうにこの著者が指摘されているように

「空虚さに耐えることができない人」がいないからです。

つまり日々、すべてに満たされて、危機意識もなく、

どのように空虚さを突破するのかもがいていないからです。

そのような飢え渇きなきところでは、

誰も苦しい断食をして神を体験しようとはしません。

1993年に甲子園リバイバルミッションから、

日本でもリバイバルを求める大きな伝道集会が

開催されるようになってきました。

しかし、本気で飢え渇いて神を求めていたのでしょうか。

1995年に私は断食祈祷院を豊田市でオープンし、

1997年に40日断食聖会を開催しましたが、

参加した方たちをみていますと飢え渇きを感じた人の参加は皆無でした。

日本のキリスト教会は日本教に完全に支配されてしまい、飢え渇きが

起こらないシステムがあり、そこから脱出しようとしていません。

モーセのような指導者が日本のキリスト教会に与えられない限り、

断食祈祷もなく、霊的復興が起こることも永遠にありません。
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