ただし、花嫁断食の目的は、
再臨を求めることにとどまるものではありません。
イエス様の初臨と再臨の間、つまり今、つまり
今、私たちがイエス様を待ち望んでいるときに、
神は聖霊を送ることによって、ご自身の臨在を体験させてくださいます。
断食は、神の臨在をさらに広く、深く、私たちに体験させてくれます。
御言葉によって、真理を発見し、断食をすること以上に、
私たちの奥深いところで神を体験できる恵みは存在しないでしょう。
私たちが断食をするのは、神に注目されるためではありません。
キリストによって、私たちにすでに与えられえている神の愛を求め、
さらに深く体験することにあります。
私たちは自分たちのこころを動かすのであって、
神の心を動かすのではありません。
私たちの心は、放っておくと、神に対して鈍感になり、
無関心になる傾向があります。
そのような私たちの心を、花嫁断食は柔らかくし、
再び神へと向かわせてくれるのです。
神を求める心は、神からの賜物なのです。
私たちは愛を求め、満たされずに飢え渇きますが、
神は無意味に私たちを傷つけるようなことはなさいません。
神が故意に恵みの一部を保留するのは、私たちがへりくだり、
神との親密さを長続きさせるためなのです。
花嫁断食には、私たちを聖める働きもあります。
神との深い霊的な体験を求めることは、
神との関係を阻害する罪を嘆くことにもなるからです。
私たちは、もう罪と妥協しながら生きていくことができなくなります。
世の産物に依存する心が明るみに出され、霊的に敏感になります。
神への愛は100%の従順によって、表されなければなりません。
イエス様は
ヨハネによる福音書
14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
と語っています。
神を愛する心を保ち続けるための一つのカギは、
心の中にある欲情と戦うことです。
マルコによる福音書
7:21 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、
7:22 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、
7:23 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである
ガラテヤ人への手紙
5:19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、
5:21 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
1ヨハネの手紙
2:16 なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
2:17 世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。