妻の献身的な協力なくして、成功した夫はいません。
主婦の愛を込めた働きがなく、幸福になった家庭もありません。
彼女の働きは無給ではなく、
あまりにも価値が高すぎて値段がつけられないのです。
もし、家族が彼女に感謝を表そうとするなら、お金ではなく、
こころからの「ありがとう」の言葉と、美しい花束こそ、
最もふさわしいのです。
箴言
12:4 有能な妻は夫の冠。恥をもたらす妻は夫の骨の腐れ。
18:22 妻を得るものは恵みを得る。主に喜び迎えられる。
19:14 家と財産は先祖からの嗣業。賢い妻は主からいただくもの。
31:10 有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。
31:11 夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。
31:12 彼女は生涯の日々/夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
13-29略
31:30 あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる。
31:31 彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。
【解説】
箴言は詩編のような妻賛歌です。
男として、箴言に書かれたような妻を与えられたら
いかなる困難な状況であっても祝福され、成功します。
しかし、その真逆である愚かな妻を持ったら悲劇しかありません。
私は3回、結婚しましたが、基本的に
主婦として収まる伴侶は求めませんでした。
妻も職業を持ち、お互いに支え合う夫婦を選択しました。
それゆえに妻の仕事や生き方を尊重することが第一でした。
そして私の場合、保険代理店経営の規模が大きくなり、
彼女の生きがいであった看護師(当時師長)を見るに見かねて辞めて、
手伝ってくれるようになりましたが、
それが命を縮めてしまうことであったと反省しています。
やはり妻の働きを続けさせ、その持ち分を尊重すべきでした。
しかし、その妻は箴言にあるような妻であり、感謝に尽きません。
私が保険代理店で国内トップに立てたのは、
箴言のような支え合ってのことです。
しかし、2番目の妻は、そうではありませんでした。
むしろ真逆でした。
そして3度目の現在の妻は箴言のような妻であることを感謝しています。
もう一度、ようやく元に戻れた感ですが、
いずれにしても良き信仰の妻は、神が与えてくださるものです。
またそのような妻を与えられるのは、主の恵みなのです。
ただ未信者と結婚した場合、そうはいきません。
価値観が真逆なので、基本的には同じ信仰を持つ方を待つしかない
のですが、もしあえて結婚してしまったら、
同じ信仰を持つまで全精力で祈るしかありません。