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母の一周忌であり胡春(孫)の誕生日でもある今日

2016-01-21 21:37:46 | 日記
母の逝去した日(一周忌)であり、孫「胡春」の誕生日(4歳)でもある今日、弔いのため家人と一心寺へ。ブログ機能のサービス化で一年前のブログが即読める。昨日の出来事のように思われる。『内心の覚悟はしていたが恐れていた事態が突然、やってきた。昨夜、入院先のO記念病院から20時と24時前に二度の呼び出しコール。家人共々駆けつけたが、母の額は温かく目は薄っすらと見開いていた。が、心電図はフラットな横一直線、脈拍数もすでにゼロ、母のいのちは尽きていた。不思議と涙はでなかったが、思わず「ありがとうございました!」「よ~く、がんばりました。お疲れさまでした!」と声を掛けている自分がいた。4年10ケ月の闘病生活、特に週3回の透析は辛かったようだ。気丈で我慢づよく決して弱音や愚痴など一切口にしない大正生まれの戦時中の昭和に青春を犠牲にして生き、高度成長期には身の丈の手芸一筋を50年かけて続け、これまでの兄弟姉妹の世話や夫の両親、自身の両親のそれぞれを献身的に身を削り看取ってきた母は老衰して眠るかのように逝った。株式会社ビーザムが曲りなりにも継続して来れたのもひとえに母のサポートがあればこそだった。感謝以外の言葉は見つからない…』、今悔やむことがある。病院からの一回目の呼び出しで母の病床に行ったとき、ただイスに座って母の様子を見守っていた。なぜあのとき母のまだ温かい手を握って「ありがとう!」と言わなかったのかと。先ほど、孫の胡春から電話、その成長に喜びを感じる。きょうの出来事として、○母の一周忌を一心寺で祈祷してもらったこと、○孫の胡春から「4歳になったよ」と電話をもらったこと、○堺「玄武」で精進落としの鰻定食、ウマかったことだ。(10,590歩)

朝の冷え込みが厳しく、数年ぶりに寝過した・・・

2016-01-20 22:19:10 | 日記
目覚めたのがなんと6時40分を回っていた。いつもより起床時刻が1時間もずれているとは行動パターンの実行をし始めてから初めてのことだ。小雪まじりの朝の一段の冷え込みのせいなのかと。めずらしくリズンも階下で吠えて呼ばない。7時前にリズンを連れて録音済みの基礎英会話Ⅰ~Ⅲ・ラジオ英会話のリスニング&散歩へ。ところが寒いせいかリズンはショートコースに切り替えて途中から引き返す。結局、30分程度で散歩も切り上げた。帰宅後の行動パターンを実行。A講師から電話相談への対応などして午前11時過ぎに三ノ宮へ。午後から顧問先のN商事㈱社員の体験カウンセリング2コマ実施。終えて、元町の南京町(チャイナタウン)で夕食。それから、イーオン英会話レッスン(補習)を楽しんで受講できた。きょうの楽しかったことは、○体験カウンセリングを無事に終えたこと、○春節祭が近い南京町、寒さのせいか人出は少ないが広東料理は美味しかったこと、○ランチは神戸風月堂の和定食、赤飯とお吸い物がウマかったことだ。(14,100歩)

寒い朝でもいつものようにリズンと散歩ができたこと

2016-01-19 21:42:38 | 日記
起床はいつも通りの6時10分過ぎ、リズンを連れてリスニング&散歩へ。寒い朝だが、彼女(リズン)はいつものようにトコトコ短い脚を小走りで辻ヶ池公園~桂文枝邸前を通って上り道でも構わずリードを引っ張って歩く。だが、めざす相手(柴犬ケン)の姿が見えず、小1時間の散歩で帰宅(4,500歩)、7時半を過ぎていた。その後はいつも通りの朝ぶろ入浴~朝食~日経朝刊の記事チェックを済ませて、講師報酬支払いや事務所スタッフ給与等の事務処理等に集中して終了。当面の懸念事項がなくなり、ホッと一息だ。午後2時過ぎからレンタル中の映画(DVD)『あの声を探して』(仏・グルジア合作:戦争で両親と声を失った少年が難民キャンプで懸命に生きる姿を描いたヒューマンドラマ)、戦場ドキュメンタリーだ。物語の舞台はロシアに侵攻された99年のチェチェンでのロシア兵の残酷さ、残忍さそして軍隊内の不条理さ等々が描かれ、戦慄してしまう。そして、戦争の悲惨さが実感できる作品だ。「もう少し明るく楽しく面白い映画を借りてくれば」と家人からアドバイス。ヒューマンドラマを中心にレンタルしているが、絵空事は物足りない。きょうの楽しかったことは○寒い朝でもリズンと散歩ができたこと、○月毎の事務処理ができたこと、○ランチは三田屋のカレー、ウマかったことだ。(11,330歩)

M社長、誠心誠意でPC不具合の調整に取り組む

2016-01-18 12:56:14 | 日記
朝6時過ぎに雨音しきり、ブラインドを開けて庭をみると小雨模様。これではリズンの散歩は中止せざるを得ない。扉内の玄関スペースで散歩に行く気満々のリズン「雨だから散歩は中止!」と声を掛けるが首を傾げて不思議そうな表情で見るが、致し方なし。小生一人のリスニング&ウォーキング、水月公園池の端コースを5周(約7,000歩)して帰宅。その後、朝ぶろ入浴~朝食~日経朝刊の記事チェックを済ませたタイミングで㈱サンアットマークのM社長が京都から来訪。PCのプロバイダー変更(従前の会社廃業に伴なう事業継承のため)手続きが主目的だったがPC不具合の点検にも協力してもらう、約4時間の作業に恐縮。その誠意溢れるサービスに敬服。点検に集中したため昼食をとる時間もなく、むしろ、ノートとペンも忘れて帰社してしまう、レターパックで郵送。夕暮れウォーキングで日課の歩数もこなす。ついでに、K内科医院の院長に年初の診察をしてもらう。きょうの楽しかったことは、○PC4台それぞれの点検も無事に終えたこと、○M社長の率先垂範的サービス行動に敬服したこと、○夕食のちゃんこ鍋、とても美味しかったことだ。(14,080歩)

阪神・淡路大震災から21年目、日々を真剣に生きているか

2016-01-17 21:04:55 | 日記
きょうは阪神淡路大震災(平成7年1月17日:兵庫県南部地震、地震規模は気象庁マグニチュードで7.3、三連休の翌朝の朝5時46分に発生。死者6,434名、行方不明者3名)から21年目だ。『今今と今といふまに今ぞなく今といふまに今ぞ過ぎゆく』(道歌)『月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり』(松尾芭蕉)『ついにゆく道とかねて聞きしかどきのうけふとはおもはざりしを』(在原業平)など先人が今の時間を大切に、と教えてくれている。やり残しは無いか、先送りは無いか、安逸な日々を過ごしていないか等々反芻しながら一日一日を刻むように生きて行かなければ、不慮の死で亡くなった方々に誠に申し訳ないことだと心から思う。発生当時には「only one Life=たった一つのいのち」についてずいぶん考えたり話したりしたように記憶しているが今の生き方に変化があるのだろうか?と自問自答。小生の場合、発生から5年後にそれまで32年間勤めた会社を退職して起業、それから16年間が過ぎてしまっている。今年は「いのち」「家族」そして「時間」の大切さを何よりも優先して生きようと新年に決意したばかり。きょうの出来事としては、○風の教会(芦屋)の日曜礼拝へひさしぶりに出席、阪神淡路大震災の犠牲者の霊に祈ったこと、○会堂での賛美ハーモニーがとても心地好く時折の睡魔に誘われたこと、○家人の要望で鮨屋Eで昼食、ウマかったことだ。(11,980歩)