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一旦事が起きるとスピード感を持って措置する頼もしい女性(ひと)に・・・

2025-07-26 18:24:50 | 日記
家人が洗濯して干してくれていたベッドカバーを炎天下のベランダで取り込んでいると急に吐き気を催しトイレに駆け込む有様。直感で熱中症だと気づく。階下に居る家人に体調の急変を訴える。OS-1もポカリもなく彼女が出してくれたのは「石垣島の塩飴」と「冷水」。次に、彼女は最寄りのドラッグストアへ車を走らせ10分間程度の動きでポカリとOS-1を購入して帰宅、それらを飲んで落ち着くことができた。日頃の家人は丑年生まれ、総体的にゆっくりのんびり型、怒らず慌てずの女性(ひと)なのだが一旦事が起きると冷静にスピード感を持って措置する、頼もしい女性(ひと)へと変わる。先日の自動車事故対応もそうだった。警察への状況説明など、その客観性は見事なものだったと振り返る。きょうの出来事としては、○熱中症になりかけていたが、家人の迅速な対応で最小限の不調で治まったこと、○TVドラマ『剣客商売』第4シリーズ①~②を鑑賞したこと、○体調保全のためパイナップルのみを補充とした。(10,160歩)

まず自らやってみる、そうすることが身体に刻まれ直観力が養われ鍛えられる・・・

2025-07-25 19:48:47 | 日記
なにはともあれ経験してみることだ。それが自らの五感に刺激を与えて身体化していく。それが直観力を鍛えることになる。同じ時に同じ出来事(対象)を見ても、人によって感じ方は皆それぞれ違う。それは人が固有の身体を持っているからなのだ。人のクリエーティビティー(創造性)はそういう個別の経験が縷々積み重なり、折々に直観力が鍛えられ、はじめて生まれてくるものと言える。人と交渉する上でも、新しいことに立ち向かう上でも、他の人とは違うオリジナルな知識を持っているかどうかが問われる。常に新しいものに立ち向かい挑戦していかなければならない。その時に必要なのは自分の身体に刻まれ蓄えられた知識なのだ。それは人に感動を与えるものでなくてはならない。感動を与えるのに必要なのは意外性、それが何であるかを瞬時に見抜き行動できるかどうかは直観力にかかっている。人から聴いた話や心が震え感銘を受けたこと等があれば、まず自らやってみる(経験)。そうすることが身体に刻まれて、直観力が養われ鍛えられることになる。きょうの楽しかったことは、○J鍼灸整骨院で首肩腰へ指圧と鍼灸と電気治療を施し和らげたこと、○NHKBS『アルカトラズからの脱出』(1979)実話を基に奇跡の脱出に挑む男たちの姿を描いたサスペンス映画。○家人特製鉄板焼き、ウマかったことだ。(9,900歩)

大阪にいる贅沢のひとつは、その両翼に京都と神戸がひかえている・・・

2025-07-24 20:03:27 | 日記
忘れないため、以下に記す。司馬遼太郎の三都観が面白い。三都(大阪・神戸・京都)を比較しながらの彼の記述が雑誌に紹介されている。なりたちも個性も違う三つの都市の存在が関西の多様性を生み、すべてが東京中心の首都圏とは異なっていると。司馬遼太郎は終生、大阪に住んだ。「大阪にいる贅沢のひとつは、その両翼に京都と神戸がひかえていることであろう。疲れたり、人恋しくなると、そのどちらかへ出かけてゆく」「神戸へゆこうと思うときは自分がよほど疲れているとき」だといい、逆に「京の町へゆくときは疲れていてはいけない」のだという。そして、京都に向かうのは人恋しいときなのだと。「心がまえとして京都からつねに一歩をへだて、この町におぼれぬようにしてきた」と続け、「住めばとりこになるだろうとおそろしさを感じていた。惚れれば身をほろぼしそうな女に似ている」など、微妙な気持ちも吐露している。きょうの楽しかったことは、○家族と連れ立って心斎橋エトレ(ヘアサロン)へ。ヘアカット&マッサージで癒しと寛ぎの時を過ごしたこと、○TVドラマ『剣客商売』第2シリーズ①~③面白かったこと、○家人特製の鉄板焼き、夏バテ対策となったことだ。(10,730歩) 

日々の生活の中で「ありがとう!」の言葉を常に発して・・・

2025-07-23 20:01:33 | 日記
忘れないため以下に記す。『およそ不平不満を口にするほど恥ずかしいことはない。それは自分の心を統御できていないことを宣伝しているようなものだ。その実、不平不満を口にするからこそ、進歩向上があるのだと誤解している人がいるが、このような人は人生の荒海に翻弄されている哀れな漂流者である。だから価値ある人生を送りたいと願うのなら、この悪い習慣をすぐさま断ち切って、荒海を乗り切るための積極心を作る努力を日々怠らないことである』(中村天風著「悪習を断ち切る」)、約80年前の訓話だが今でも十分に説得力がある。日々の生活の中で「ありがとう!」の言葉を常に発してその回数を積み重ねる。累積回数の目安25,000~30,000回。必ずうれしいこと、楽しいことが近々に起きる。ただし、“5つの戒め”=ご破算ワード(「不平不満」「泣き言」「愚痴」「悪口」「文句」)を発したらその時点で、それまで積み重ねてきた累積回数はご破算となる。従って最初からやり直すことになる。くれぐれも、発言には要注意なのだ。加えてもう2つ「謙虚」と「感謝」を心掛けること。このことが対人関係円滑化のキーワード。今後の人生において“幸せ”を呼び込む必須ワードを身につけることだ。きょうの楽しかったことは、○読書とTVドラマの鑑賞で終日過ごせたこと、○東京の友達から添付送信されてきた『剣客商売』(1998)江戸時代屈指の剣の達人であり剣を世渡りの手段(商売)としながら軽妙洒脱に生きる秋山小兵衛の人生と事件を描く本格時代劇 ①~⑩話一挙鑑賞したこと、○家人特製茶漬け、ウマかったことだ。(10,460歩) 

五種類の祈りについて・・・

2025-07-22 16:22:13 | 日記
五種類の祈り、忘れないため以下に記す。『自我意識の祈り/潜在意識の祈り/個人無意識の祈り/普遍無意識の祈り/光の意識の祈り』をいう。まず、「自我意識の祈り」は心のいちばん外側の浅い層の祈り。ああなってほしい、こうなってほしいと自己中心的な思いが優先している。この祈りは表層に留まっているため実体のない祈りとなり、現実を動かさない。現実の世界に何らかの変化をもたらす祈りは「潜在意識の祈り」だ。否定的な情念で祈る(呪詛)と相手だけでなく自分の身にも生じてくる。逆も又真なりだ。人の幸せを祈ると自分も幸せになる。「個人無意識の祈り」は心の深いところで念じる祈り。一つの願いを何か月も何年も諦めずに祈り続けたとき実現の可能性を創り出す。自我意識レベルで思いついたことでも長年真剣に願い続けると、それが潜在意識への祈りとなり、やがて個人無意識の祈りへと転移していく。すると無意識のエネルギーが動きだし、現実に投影し始める。つまりは”念ずれば花ひらく”の如くの祈りとなる。「普遍無意識の祈り」が発揮される時は人類全体の向上や平和に役立つことを祈るときだ。そのときにこそ、その祈りの力が実現へと導かれていく。人類が漠然とした向上心を普遍無意識の祈りとして共有してきたからこそ、古代から中世へ、中世から近代への発展が可能になったのではないか。人間の究極的な祈りは「光の意識の祈り」だ。これは神と同位置にいて祈るようなもの。例えば、アッシジの聖フランチェスコやマザーテレサの祈りがそれだ。少しでも社会に役立ってほしいと誠実な気持ちで祈る、それが光の意識の祈りとなり現象化していく(町田氏:広島大名誉教授)と。きょうの楽しかったことは、○J鍼灸整骨院への通院は火曜日と金曜日としたこと、○NHKBS『眼下の敵』(1957)米駆逐艦と独Uボートの一対一の艦長同士の頭脳戦の戦いを描いた潜水艦映画の傑作。○ふかひれスープ&ライス、二日連続だがウマかったことだ。(10,620歩)