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孤独の〝弧”は、個性の〝個”に通じる・・・

2025-08-05 19:46:13 | 日記
忘れないため以下に記す。「孤独」それは 誰とも群れず、誰にも媚びず、自分の姿勢を貫く。そうすると自然と内面から品が滲み出てくる。そんな成熟した人間だけが到達できる境地なのだ。しかし、日本では孤独嫌いが多く、孤独に対するイメージは一般的によくない。なぜか? それは日本人には「個」がないからだと。孤独の〝弧”は、個性の〝個”に通じるとも言える。孤独を知らない人は個性的になれない。人と群れる、人の真似をする、仲間外れになることを恐れる、物事に執着する。自分を持って一人で歩むことを拒み続けているといつまでたっても「個」は育たない。“弧育て”は“個育て”でもある(下重暁子氏談)と。現在においては、特に「多様性」が重んじられ、片方では人と類しない「個別化」の良さが見直されている。相矛盾するような価値観の混在が見られるがそれは同根ではないかと。つまり、生まれるときは一人、死ぬときも当然一人、人は孤独が自然な姿なのだと気づく。きょうの楽しかったことは、○神戸で共に働いた佐賀に住む仲間T女史から便りが届いたこと、○NHKBS『博士の異常な愛情』(1964) 東西冷戦の最中に撮影され、戦争が世界の破滅を導くことをシニカルに描いたブラックコメディ。○家人特製お好み焼き、ウマかったことだ。(10,540歩)  

「解の種子」は一人ひとりの誕生と同時にその魂に備えられている・・・

2025-08-04 19:38:52 | 日記
自然界の一生物である人間には、その生育過程で出遭うであろう体験や経験、今後直面するであろう問題や悩み、そして試練や壁など、それらを突破する「解の種子(タネ)」は一人ひとりの誕生と同時にその魂にちゃんと備えられている。人間だけに与えられている5つのスキル(考える、選ぶ、感じる、意思を伝え合う、行動する)はそのためにある。つまり、そのスキルをフル稼働させて、自らのうちにある「解の種子」を発掘する必要がある。具体的には考えて、考えて、さらに考える(=「なぜ」→「なぜ」→「なぜ」と自らの内に秘められている「解の種子」を掘り起こしていく行為)ことで微かに気づきのヒントが直感的なひらめきとして湧き上がってくる。そして自らの中に「解の種子」を見つけたとき、「わかった!」と過去形で表現してしまう。だからこそ、「考える」そして「行動する」或いは「行動して」そして「考える」ことがより重要となる。そういったレベルにまで考え尽くす習慣を得ることで思慮深さが身についてくるという。きょうの楽しかったことは、○高槻市Sクリニックへの4週間に一度の通院、往復路とも安全走行できたこと、○文藝春秋八月特大号の全ページを読了したこと、○健康食(納豆+焼き魚+タコの酢漬け)ウマかったことだ。(12,240歩)

全人類平等で共通の財産は『1日24時間』だ・・・

2025-08-03 20:22:57 | 日記
きょうも歩いて一楽、浴びて二楽、食べて三楽、飲んで四楽、観て五楽、読んで六楽。特に、「飲んで四楽」とは何を飲んでいるかと言えば養命酒。毎日欠かさず飲んでいる。身体にいいのかどうかわからないが継続がいいと。NHK朝ドラ「あんぱん」を観ることも習慣づいている。読書も月刊誌「文藝春秋」全ページを毎月読破。時折、司馬遼太郎作品群&対談集など手にとって再読。読みかけは、「哲学者の言葉366」と「眠っている間に体の中で何が起こっているのか」の二冊。人生は一回限り、その人生を生きられるのは本人だけ。そして全人類平等で共通の財産は『1日24時間』、おまけに自由に使える時間は“今”しかない。いつ何が起こるかわからない無常の世の中にあって“今”をおろそかにすることは命の無駄遣い。「思い立ったが吉日」という言葉通り、昔から「時」を逃がさず「いま、すぐ」にとりくむことが大事だ。何かを決断したり、思い立ったりしたとき、その縁に従って素直に実践することが真理にかなった生き方だと言える。逆にいえば「いま、すぐ」を心がけるとおのずから真理に随順する生き方となる。きょうの楽しかったことは、○家人と連れ立ってALOHA CAFE(宝塚)のモーニングサービスを食したこと、○TVドラマ『鬼平犯科帳』を再鑑賞していること、○ひさしぶりの今井うどん、おいしかったことだ。(10,510歩)

人の一生を表した言葉(青春・朱夏・白秋・玄冬)からのイメージ・・・

2025-08-02 17:00:08 | 日記
忘れないため以下に記す。青春と謂う言葉がある。そしてそれに続く言葉として朱夏、白秋、玄冬がある。古代中国の五行思想からきたもので、簡単に言えば人生を春夏秋冬に置き換えたもの。流れの上で青春を最初に挙げているが本来は、玄冬から始まるものだと。人として芽吹く前の幼少期が玄冬、将来に期待を寄せる若々しい時期が青春、活気が溢れて活躍する頃を朱夏、静かに人生の実りを味わう老年の白秋、といった具合だ。これは人の一生を表した言葉ではあるが、時代を表すのにも当て嵌まりそうだ。日本は高度成長期の中で目覚ましい発展を遂げ活気溢れていた昭和の時代はまさしく朱夏という言葉が相応しい。が、昭和も終わりの頃には秋に差し掛かっていた。日本には元来、曖昧な色を認める寛容さがありそれを消火剤とすることで吸収することができていた。その消火剤を失うことで、この国は下痢を起こし始めているように思える。日本はある部分では他国に比べて多様性に富んでいたにもかかわらず、わざわざそれを消失させてまで新たな黒白を創り上げようとしていると。きょうの楽しかったことは、○午前中はTVドラマ「鬼平犯科帳」再鑑賞。午後からNHKBS『赤毛のアン 前編』(1985)カナダのプリンス・エドワード島にやってきた少女アンの成長を描く感動のドラマ。 ○家人おススメ鰆弁当と太陽のタマゴ(マンゴー)、ウマかったことだ。(11,270歩) 

からだの原始感覚に聞けばいい・・・

2025-08-01 19:51:26 | 日記
「大自然の原理として人間は誰でも健康で幸福に一生を送れるようにチャンと設計されている。それが実現されないのは自然の法則からはずれた生活をしているからなのだ。自然の法則にはある許容限度のようなものが設計されていて、その範囲内で生活している限り何をしてもかまわないが、許容限度を飛び出すから病気や不具合状態に陥ってしまう。許容限度は誰に聞くよりも自分のからだの原始感覚に聞けばいい。原始感覚とは変化に素直に反応してバランスをとる感覚で生きものにとって最も大切なもの。それを高めようという意欲をもって鍛錬し、磨き上げていけば健康になるばかりでなく、この世のすべての誤りが見分けられるようになる。現実の社会でも突然に人知を超えた良い出来事が起きる、これを奇跡(ラッキー)という。つまり、時には本人の自助努力の姿勢を支えて、時には人々相互の助け合いのようすを手助けして、時には見えざる手で救われているなと後で気づくことが度々ある。自分一人の力だけを頼りとせず、“なんとかなる”の前向きな気もちで生きていく、そのことが何よりも大切なのだ」と。4年前に故人となられた先輩Y氏の助言メモから引用。きょうの楽しかったことは、○J鍼灸整骨院で指圧、鍼灸の施術をしてもらったこと、○NHKBS『真昼の死闘』(1970)メキシコを舞台に出会ったスゴ腕ガンマンの流れ者と秘密を抱えた尼僧が一緒に旅をしながら褒賞金目的の戦いに手を組んで活躍する姿を描いた西部劇。○健康食(納豆+じゃこ天)、あっさりとウマかったことだ。(11,760歩) .