芥録 一冊目

Macやゲームが中心の、日記とコラムのブログです。二冊目→http://livrevie.blog58.fc2.com/

適材適所

2007-07-26 23:09:46 | 雑記
前期の基礎演習で学んだ、一つ大きなことです。
人材配置は重要である。


これは、上に立つ人間が人員をどう配置するのか、という話ではありません。
「上に立つ」ということに適した人間が上に立たなければならないなどの、もっと根本的な問題です。

「適した人間」がどういうことなのか具体的に表現することはできませんが、言うなれば曖昧な信頼感でしょうか。
何故かは言い表せないけど、この人が引っ張ってくれるなら安心できるという信頼感。
一切根拠が無いからこそ、そう簡単に揺らぐものではない。
そういうものを持つ人間こそ、上に立つべきだと思うのです。

大前提の話ですが、そういう人間に引っ張ってもらう人間も、能動的である必要があります。
受動的な意味で「この人なら任せられる」と考えるのは、悪い意味で「何とかしてくれるだろう」と思っている。
そうではなく、「この人なら自分を正しい方向へ動かしてくれる。自分の力を発揮してくれる」という能動的な発想でこそ意味があります。

人によって得意なことは色々あります。
人の意見の弱い部分を発見するのに長けた人。話の正当性を保ってくれる大切な役割です。
思いもよらぬ発想が得意な人。基本に則った話は苦手かもしれませんが、新しい解決策を発見してくれるかもしれません。
次々とアイデアを出せる人。思いもよらぬ発想こそ無いかもしれませんが、現在存在する様々な可能性を見つけ出してくれます。
他にも色々あるでしょう。結局、「人の上に立つ」もそうした得手不得手の一種だということです。

「人の上に立つ」という所に話を戻します。
ある人が他人から何らかの信頼感が得ていたとします。しかし、その人が先頭をきって何かをすることを得意としていなかったら?好きではなかったら?
その場合、その人は上に立つべきでは無いでしょう。何故なら、「適材」であっても「適所」では無いからです。
最初に述べた「曖昧な信頼感」は、人の上に立てる一つの条件に過ぎません。
根本的な話、上に立とうが立つまいが、信頼感の持てない人間というのは決して良いとは言えないでしょう。
信頼感というのは、誰が得られてよいものです。誰もが得られるように努力すべきものです。

先述したようなタイプの人は、「参謀役」辺りに回るといいかもしれません。
その人が信頼の持てる別の人に、トップを委任するのです。
参謀というと聞こえが悪いかもしれませんが、つまりは「補佐」です。
意思決定をする際、それが誰の意思決定であろうとも、必ずそれを検討・修正する人間は必要です。
そういう役回りに徹するのも、一つの方法では無いでしょうか。



後期の基礎演習では、こうした点がうまく収まる班にありたいです。
上に立つことが得意な人間はそう多くありませんから、そういう人間が不在の班もあるでしょう。
しかし、例えば「補佐」に徹するような人が複数いれば、それでも何とかなるような気がします。
それ以外にも、異なる得意分野(例として出した四種類など)を持つ人が一人ずつ集うだけでも、面白く回るかもしれません。
うまく回るパターンというのは一通りや二通りではありませんから、どんな形であれ自分に適した役割を演じたいものです。