芥録 一冊目

Macやゲームが中心の、日記とコラムのブログです。二冊目→http://livrevie.blog58.fc2.com/

年末のご挨拶

2007-12-31 21:15:09 | 日記
大晦日です。もう後5時間としない内に、2008年となります。

今年、当ブログを読んで下さった皆様に、一年分の感謝を申し上げます。
ころころと方向性の変わるブログではございますが、来年も宜しくお願いいたします。



・・・と書いて改めて思いましたが、本当に、方向性が定まらないブログで申し訳ありません。
今年一年だけでも、日記中心だったりTwitter的な一言日記中心だったり、後半になるとコラム中心にもなったり、右往左往の繰り返しだった気がします。
何せこのマイペース加減は私自身に由来するものですから、そう簡単には治りません。
恐らく来年もこんな感じでしょう。それでも、何をブログの中心に据えるかくらいは、もう少し定めようと思います。


それでは、来年が今年以上の良い年となりますように。






いい方法がありますよ

2007-12-31 00:48:47 | コラム(著作権関連)

フリーオ駆逐の最終兵器、「合法外付けチューナー」の胎動:日経パソコンオンライン



まあ、一定評価できる内容もあるのですが、基本的には業界の都合を最優先した記事と言わざるをえません。
ここでも色々論じていますが、はっきり言って、もっと簡単な方法があります。

フリーオが合法チューナーとして認められるように法改正と制度改正をすればいいんですよ。
後、B-CASを無くせば尚良い。

だってそうですよね?
そもそもフリーオが法的に問題になるのって、日本くらいですよ?
海外で「外付け地デジチューナー」と言えば、フリーオ程度の性能なんて最低限のラインです。
なんというか、なんで地デジチューナーが普及しないのかを全く分かってませんよね。

「映像がきれいですよー。色んなサービスが受けられますよー」
「で、内容は面白いの?」
「で、俺らにとって便利な製品なの?」




合法外付けチューナーが思いっきりこけることを切望しますよ。
いい加減、業界の都合に消費者が付き合ってられないってのを理解すべきです。






Wikipediaの否定は、民主主義の否定に繋がりかねない

2007-12-29 22:23:15 | コラム(パソコン・デジモノ)
フリー百科事典、Wikipedia。
知らないという方は殆どおられないでしょう。
ネットにつながっていれば誰もが無料で見ることができ、更には誰でも加筆修正・削除ができる。
Webの登場によって初めて実現した、新しい種類のサービスの一つです。
しかし一方で、「記事に信頼性がおけない」、「いい加減な事典」という批判に常に晒されている存在でもあります。
というよりむしろ、そうした批判の方が特に日本では顕著であるように感じています。
学術に関わる部門で用いようものなら、その品性を疑われすらします。
個人的には、こうした批判は少し過敏すぎる気がしてなりません。
もう少し正当に、Wikipediaというものを批評すべきではないでしょうか。

Wikipediaに対する批判の内容自体は、妥当だと言わざるをえないでしょう。
無責任な修正により、読むには耐えられない記事が存在するのは事実だからです。
では、それに対する批判の度合は妥当か。
否、そうは思えない。
何故なら、次のような理屈で成り立っているように思えるからです。

「この記事を見てみろ!なんて酷い内容なんだ」

「こんな記事が存在するような百科事典を、事典として認めるわけにはいかない」

「やっぱりどこの誰とも分からん人間が編集したって、いいものができるはずがない」

もしかしたら二つ目と三つ目は逆かもしれませんが、とにかく問題は二つ目にあります。
先述の通り、問題ある記事が存在するのは事実です。そして同時に、それがWikipediaの抱える最大の難点であるのも事実です。
しかしだからと言って、Wikipediaの全てを否定するのは余りに強引ではないでしょうか。
こうなる原因は、Wikipediaに対する無理解と、現実世界の常識との大きな乖離による戸惑いにあるように思います。

そもそも、Wikipediaにおいて「これは参考になる」とされる記事は、出典・参考・引用元などが明らかな記事です。
個人の勝手な意見や、一見しっかりしているように見える記述でも、その根拠となる何かが示されていない限りは、それは大して参考にされない。
これは、現実世界で論文を書くのとなんら変わらない仕組みです。Wikipediaがこうした仕組みをとっていることが、意外と知られていない。
加えて、確かにWikipediaは誰でも編集可能な百科事典ですが、かといって管理者がいないわけではありません。
余りに修正が頻繁に行われる記事や、宗教のような扱いの難しい項目に関しては編集に対してロックをかけ、掲示板で討議をした上で掲載するなどの管理が行われています。

勿論、こうした管理が行き届かないから劣悪な記事も生まれるわけです。そこは否定しない。
繰り返しますが、私はWikipediaに対する「批判の度合」が不当だと感じているのです。
つまり、そうした管理の網の目をくぐり抜けた劣悪な記事を引き合いに出し、Wikipediaの全てを否定するという論理が不当だと言うのです。
それは、現実世界の常識が通用しない世界という、「得体のしれないものへの恐れ」の表れだとも思っています。

現実世界の常識。それは権威のある、言い換えれば信頼のおける人間の発する言葉が信用されるということです。
従来の百科事典もまたそうした常識の上に成り立っています。
しかしWikipediaの常識は、「集合知」です。数え切れない人間の知識の集大成が、Wikipediaを創り上げています。
これが現実との乖離です。そして中々理解されないWebやWikipediaの本質でもあります。
正直なところ、私も理解し切れているとは言えません。
私自身、「パレートの法則」にも相当の妥当性を感じています。そういう意味では、集合知を信用していないとも言えるでしょう。
ですが同時に、Web上における「数の力」の魅力もよく分かるのです。
現実世界では到底実現できないような規模の人間の知識が、Web上には溢れています。
取るに足らないものも大量にありますが、そうでないものだって沢山あります。
これはインターネットで様々なブログを読んだりされる方なら、割とすんなり納得できるのではないでしょうか。

ここでよく考えてみると、Wikipediaを批判する
「やっぱりどこの誰とも分からん人間が編集したって、いいものができるはずがない」
という理屈は、あることを示唆しているように思えます。

Wikipediaの全否定は、集合知の全否定です。
集合知の全否定とは、数え切れない大衆の知識の否定です。
ということは、民主主義はどうなるのでしょう。あれこそ、大衆の叡知を表す代表的存在のはずです。
つまり、大衆の知識を否定するということは、民主主義が衆愚政治しか生めないことを同時に示しているのではないか。
少し突拍子がないかもしれませんが、あながち大外れでもないように思います。

数え切れない大衆を信じるか否か、これは確かに尋常ならぬ難関です。
しかし民主主義を掲げる以上、信じるしか道がないようにも思えます。
これが、今後のWebの課題であり、今現在の社会が抱えている課題なのではないでしょうか。



参考:
Wikipedia:基本方針とガイドライン - Wikipedia
Wikipedia:秀逸な記事 - Wikipedia





久々の関空

2007-12-28 22:06:46 | 日記
今日は、留学先から帰ってきていた友人を見送りに関空へ行ってきました。
関空へ行くのは去年の夏以来。毎回行くたびに何らかの設備が変わってる気がします。
そして行くたびに思うことが、やっぱり不便だよなあ、ということ。
伊丹と比べれば格段に不便です。どこから行くにも遠く、それ故交通費も時間もかかる。

伊丹が来年度から格下げされ、下手をすれば閉鎖されるというニュースを聞きました。
閉鎖論にも一理あるのですが、どうにかそれだけは勘弁願いたいものです。
仮にも国内便の要所の一つなのですから、諸問題が大人の解決を果たすことを祈ります。






Amazonレビューの正しい使い方

2007-12-27 20:38:53 | コラム
○「☆五つ」のレビューは、十歩引いて読む
○「☆一つ」のレビューは、百歩引いて読む
○レビューの内容が感情的なものは、その示す内容に関わらず参考にする必要は殆ど無し
○「☆三つ」と「☆四つ」のレビューが一番参考になる。
○Amazonレビューだけを参考にせず、せめて一つでも、他の口コミレビューと比較して考える





自分が、Amazonのレビューを参考にする際に気をつけているポイントです。
人によっては今更な話ですが、これが意外と大事だったりします。
特に、音楽に関しては重要です。
信者やアンチの、色々な意味で熱意のこもったレビューに惑わされないようにしなければなりません。
音楽の好みなど結局のところ人それぞれなのですから、最善なのは視聴して自分で判断することでしょう。

尚、たとえ☆一つのレビューだったとしても、その理由が論理的で納得のいくものならば、そのレビューは大いに参考にすべきです。
レビューに主観が入ることはむしろ当然です。主観を交えずしてどうするんだ、という話。
結局のところ大切なのは、主観の中でちゃんと冷静さを保っているレビューを見つけることでしょうね。





Gmailの力

2007-12-26 23:08:06 | パソコン
現在私がメインに使っているメールはYahooメールです。
「メインに使っている」というのは、「バレてもいいや」という意味です。
Amazonから何から、メアドを登録する必要のあるものには全てそのアドレスを使っています。いわゆる「捨てアド」ですね。
まあ、そんなわけで、当然のごとく迷惑メールの数は凄まじいのです。
メールを読むには、Mac標準搭載の「Mail」を使っています。
これの迷惑メールフィルタリングが中々優秀で、Yahooで直接見るよりも、正確に迷惑メールをよけてくれます。

私は同時にGmailも使っています。
こちらは滅多にばらすことなく、大事な連絡などのために用いています。
しかし、これら二つのアカウントを同時に使うのは、どうにもややこしい。
Gmailには、他のアドレスのメールを自動で転送してくれるという機能があります。
それは知っていたのですが、そうするとメール受信までに若干のタイムラグが出てしまうので、今まで使ってきませんでした。
ですが、そろそろいい加減統一して使おうと決心し、昨日それらの設定を全て行いました。
Gmailのアカウントにしぼり、ポータルサイトのiGoogleとMacの「Mail」で全てを管理できるようにしたのです。

そして今日。Mailを起動してみたところ、違和感がありました。
「迷惑メール」フォルダの未読数が異様に少ないんです。なんとたったの二通。
どうやらGmailは、迷惑メールと判断したメールを、閲覧ソフトに転送しないようにしてくれているようなのです。
正直、度肝を抜かれました。Mail以上に正確なのです。

迷惑メールのフィルタリングでありがちなのは、自分にとって必要なものまで迷惑メールと判断されてしまうことです。
特に、「これは迷惑メールじゃない」などの登録を行っていない初期の段階では、これが非常に多い。
これが、なんと初日から、極めて正確に選り分けてくれた。
しかも、Mailに転送され、迷惑メールフォルダに入れられた二通は、私にとって必要なメール(つまり迷惑メールではない)ものでした。
完璧にMailの上を行っています。恐るべしGoogleのテクノロジー。






今時の一眼レフ

2007-12-24 21:38:02 | コラム(パソコン・デジモノ)
今日配信されていた「週刊 日経トレンディ」で、今買い時の家電製品についての特集がありました。
その中で、デジタル一眼レフカメラについて、余程高機能が必要でない限りは10万円以下の初心者向けモデルで充分な質の写真が撮れるとのこと。
購入を検討中の身としては非常にありがたい情報です。

少し前のことを考えると、そもそもデジタル一眼が10万円を切る、というのが既に驚きなんですよね。
Nikon d40やCanon EOS Kissのお陰と言うべきでしょう。
それともう一つは、SDカードを使うタイプが登場していること。具体的には初心者モデルなんですが。
イメージとしては、一眼レフはコンパクトフラッシュですからねえ。
中~上級者モデルは今でもそれとは言え、「SDカードを使う一眼レフ」というだけでやはり違和感を覚えてしまいます。

いやとにかく、敷居が低くなるというのはいいことです。
そのお陰で私も手が出せるというもの。年が明けたら買いますか・・・。






顕著な長短

2007-12-23 22:21:41 | 日記
昨日、大学で学部のイベントがありました。
主な目的は三回生の研究発表だったのですが、他にも二回生のフォーラム最優秀者、一回生の研究計画最優秀者なども壇上に上がりました。
その一環で、高大連携授業として、付属校からも発表グループがゲスト出演していました。
個人的に、少し期待していたんです。うちの母校からはどんな人間が来るのだろうと。
昨年の卒業論文発表会では、同級生が素晴らしい発表をしてくれましたからね。あんな調子の発表をしてくれるかも、と思っていたんです。

そして見事に裏切られました。
「目も当てられない」とはこのことか、という感じです。
発表内容そのものは、二年生にしてはかなり頑張ってるな、と思えたのですが、とにかく掴みが酷すぎた。
たとえどんな発表をしても埋め合わすことができないくらいに酷かった。
「怖い物知らず」という17歳らしさが、見事に悪い形で表れました。
うちの母校の特徴が、出てはいけない形で出てしまいました。

それと対照的だったのがもう一つの付属校。
「一貫して真面目」と書くと悪く聞こえそうですが、それでいいんです。ここは大学なのですから。
内容も中々のものでしたからね。
本当に、うちの発表者も多少は、というか多くを見習ってほしい。



久々に母校の短所を目の当たりにしたその翌日、つまり今日は、母校の長所を目の当たりにしました。
フォロー代わりに報告します。駅伝優勝おめでとう。お疲れ様でした。

素晴らしいサイト

2007-12-20 21:43:56 | コラム(著作権関連)
任意団体日本違法サイト協会



これは素晴らしい。こんな団体がいてくれるなら、ダウンロードが違法化されても安心ですね!

記念すべき違法サイト認定第一号は文化庁ですおめでとう!
そりゃそうですよね。Macのアイコンを無断転載してましたもんねえ。
ということは、これから先文化庁のホームページを見たら、ああ大変だ。著作権法に抵触してしまいます。
皆様も重々注意なさって下さい。文化庁のサイトを見る際は、著作権法のことを頭に置いておかないと大変なことになりますよ。
















・・・ふう。
我ながら、こういう文章を書くのは苦手です。
さて、ここ数日色々と書きましたが、一つ忘れてることがありました。

それは、津田大介さんへの感謝です。
権利者相手に色々と尽力して下さった津田さんに、深く感謝しなければなりません。
悲しいかな、まだ終わったわけではないので今後も色々大変だろうとは思いますが、取り敢えずは今までの活動を労いたいと思います。






逆行ということでよろしいか

2007-12-19 23:25:12 | コラム(著作権関連)
「DRMが普及したら補償金廃止」――文化審、大詰めの打開策:日経パソコンオンライン




事務局である文化庁 長官官房 著作権課が作成した。この中で、将来的に著作権保護技術が発達・普及した段階で、(1)私的録音録画補償金を廃止し、契約ベースでの対価支払いに移行する、(2)娯楽目的の私的録音録画を、著作権法に定められた私的複製の範囲から除外する、(3)DRMにより一定回数・方法でコンテンツの複製が認められている場合、その範囲内であれば権利者がユーザーに私的複製を許諾したものとみなす、(4)タイムシフトやプレイスシフトもいったん第30条の適用範囲から除外するが、こうした利用形態を無許諾・無償で認める規定を再度作ることも検討課題としておく、といった内容を盛り込んでいる。
(以上、参照記事より引用)



太字部分について、ということは、
「DRMをかけないことを権利者(つまり著作者)が選択した場合も、その選択を尊重する」
と広義に理解していいのか、それとも
「だから権利者はDRMフリーなんてしないでDRMかけまくれ。でないと認めん」
という逆説を成り立たせればいいのか、どちらなんでしょうね。




もう一点。



亀井正博委員は、「双方の主張を包含した良いまとめ。20XX年の将来像に向けて、(すべてを一斉に変更するのでなく)一つひとつの課題を順次達成していくものだと思う。新たなイノベーションを生むには、補償金でなくDRMと契約ベースの世界に行くのがよいと思う」と述べた。

(引用先、同上)



私は健忘症にでもかかってるんでしょうか。
割と最近、AppleがiTunes PlusというDRMフリーの楽曲販売を始めて、ユーザーから熱烈な賛辞を受けたような気がするのですが。
それともう一つ、それに対抗するべくAmazonがDRMフリーの楽曲販売を、ついこの間始めたような気がするのですが。
更におまけとして、AppleもiTunes Plusの値段を下げ、いよいよDRMフリーによる競争が開始し、楽曲販売は新たな局面を迎えたような気がするのですが。

おそらく、亀井委員にしてみれば、それは私の勘違いか妄想なんでしょうね。