喧嘩を売るようなタイトルですが、そこは勘弁して下さい。
(昭和をよく知ってるわけでもありませんが)昭和と平成に於ける大きな差の一つに、庶民の強さがあると思います。
軍国主義の副産物とも言えるので必ずしもいいとは言えませんが、一応昭和の日本人は一定のパワー(エネルギー)を持っていたと思います。
そのパワーなどを義務として国家に使わねばならない時代が終わると、今度はそれらがいい方向に使われるようになりました。
民主主義が成立する大前提は、民衆が賢いことです。ここでいう「賢い」とは偏差値とは別物であるのは言うまでもなく。
そのため、政治家もある程度真面目でしたし、日本は復興を果たし更にお釣りも得ました。(色々と代償もありましたが)
社会全体で見ると大体こんな感じでしょう。これを、消費される製品に当てはめても、そう大差はありません。
企業(社員)は真面目でエネルギーを持っています。消費者のためにいいものを作ろうとする思想があります。
お陰で、カラーテレビが生まれました。洗濯機は大幅に改良されました。
数々の製品が「メイドインジャパン」というブランド価値を生み出しました。
では、今はどうでしょうか。
多くの消費者が、企業からの暗示にかけられています。「コンピューター」という言葉に大きな説得力を感じるように。
いつの頃からか、「だってコンピューターだから」の様な文句が相当な説得力を持つようになりました。
何かが故障しても「コンピューターが壊れたから」と言われると「ああ、しゃあないな」と思うようになりました。
どうやら、消費者の多くは「コンピューター」や「デジタル」という言葉にある種の畏怖を感じているようです。
自分にはどうしようもないもの、手に負えないもの、無縁のもの、こうした意識から、「こちらが下手に出るしかない」と考えるのでしょうか。
「Windows95」発売以後。その傾向に磨きがかかったのだと思います。
あれの持つ功罪と言うのは、両方とも凄いものがあります。
あれのお陰でコンピューターが「パソコン」、つまり「パーソナルコンピューター」へと変貌できました。
そして、余計に消費者を骨抜きにしました。
「Windows95」以後の急激すぎるパソコン・インターネットの浸透で、それらの業界は大名商売としての立場を完全に確立できたのだと思います。
とにもかくにも、消費者は「コンピューター」や「デジタル」といった言葉に躍らされ、散財させられてきました。
しかし最近、この傾向が変わってきたように思います。
最も顕著な例で行くと、「Windows Vista」の大コケです。
「Vista」については今までにも散々書いたので反復は避けますが、とにかくあれを徒に買わない消費者が多かったことは、かなり嬉しい現象です。
もう一つが、「地上デジタル放送」です。
おそらく半分以上の人間があれの利点を理解していないのでは無いでしょうか。
そして、あれの問題点を知っている人間は全体の二割もいないのでは無いでしょうか。
しかし、2011年に本当に始められるのかが微妙と言える現状があります。
総務省と著作権団体の陰謀&横暴に振り回されているわけでは無いのです。
ただし、だからと言ってまだまだいいとは言えません。
前者について言えば、無闇に手を出さなくなったとは言え、まだ「理解」にはほど遠い場所にいます。
つまり、「何故ダメなのか」が分かっていない。「別にいらないんじゃないの?」と判断している。
勿論そういう判断ができるようになったのは非常に大きな進歩なのですが、本来ならば「何故」まで分かっているほうが絶対に良い。
「ダメな理由」が分かれば、「じゃあこの点については利点がある」ということも分かってきます。
あと、Vistaについての判断が多少できても、「Office2007」の互換性問題が意外と知られてないのも問題です。
後者について言えば、既に書いた通り。多くの人間が利点を、殆どの人間が問題点を知らない現状があります。
ちなみに、僕自身もそういう人間の一人です。利点については多少理解したのですが、まだまだ問題点については疎いです。
最近になってやっと「コピーワンス問題」を知りました。ですがまだまだ勉強不足です。
これが、タイトルの「一応は賢くなりつつある」の理由です。
というわけで、やたらと説教臭い記事でした。
どうも最近、自分の色々なこだわりが発展しているようです。
まあ、それ自体はいいことだと信じているので、付き合っていただければ幸いです。
(昭和をよく知ってるわけでもありませんが)昭和と平成に於ける大きな差の一つに、庶民の強さがあると思います。
軍国主義の副産物とも言えるので必ずしもいいとは言えませんが、一応昭和の日本人は一定のパワー(エネルギー)を持っていたと思います。
そのパワーなどを義務として国家に使わねばならない時代が終わると、今度はそれらがいい方向に使われるようになりました。
民主主義が成立する大前提は、民衆が賢いことです。ここでいう「賢い」とは偏差値とは別物であるのは言うまでもなく。
そのため、政治家もある程度真面目でしたし、日本は復興を果たし更にお釣りも得ました。(色々と代償もありましたが)
社会全体で見ると大体こんな感じでしょう。これを、消費される製品に当てはめても、そう大差はありません。
企業(社員)は真面目でエネルギーを持っています。消費者のためにいいものを作ろうとする思想があります。
お陰で、カラーテレビが生まれました。洗濯機は大幅に改良されました。
数々の製品が「メイドインジャパン」というブランド価値を生み出しました。
では、今はどうでしょうか。
多くの消費者が、企業からの暗示にかけられています。「コンピューター」という言葉に大きな説得力を感じるように。
いつの頃からか、「だってコンピューターだから」の様な文句が相当な説得力を持つようになりました。
何かが故障しても「コンピューターが壊れたから」と言われると「ああ、しゃあないな」と思うようになりました。
どうやら、消費者の多くは「コンピューター」や「デジタル」という言葉にある種の畏怖を感じているようです。
自分にはどうしようもないもの、手に負えないもの、無縁のもの、こうした意識から、「こちらが下手に出るしかない」と考えるのでしょうか。
「Windows95」発売以後。その傾向に磨きがかかったのだと思います。
あれの持つ功罪と言うのは、両方とも凄いものがあります。
あれのお陰でコンピューターが「パソコン」、つまり「パーソナルコンピューター」へと変貌できました。
そして、余計に消費者を骨抜きにしました。
「Windows95」以後の急激すぎるパソコン・インターネットの浸透で、それらの業界は大名商売としての立場を完全に確立できたのだと思います。
とにもかくにも、消費者は「コンピューター」や「デジタル」といった言葉に躍らされ、散財させられてきました。
しかし最近、この傾向が変わってきたように思います。
最も顕著な例で行くと、「Windows Vista」の大コケです。
「Vista」については今までにも散々書いたので反復は避けますが、とにかくあれを徒に買わない消費者が多かったことは、かなり嬉しい現象です。
もう一つが、「地上デジタル放送」です。
おそらく半分以上の人間があれの利点を理解していないのでは無いでしょうか。
そして、あれの問題点を知っている人間は全体の二割もいないのでは無いでしょうか。
しかし、2011年に本当に始められるのかが微妙と言える現状があります。
総務省と著作権団体の陰謀&横暴に振り回されているわけでは無いのです。
ただし、だからと言ってまだまだいいとは言えません。
前者について言えば、無闇に手を出さなくなったとは言え、まだ「理解」にはほど遠い場所にいます。
つまり、「何故ダメなのか」が分かっていない。「別にいらないんじゃないの?」と判断している。
勿論そういう判断ができるようになったのは非常に大きな進歩なのですが、本来ならば「何故」まで分かっているほうが絶対に良い。
「ダメな理由」が分かれば、「じゃあこの点については利点がある」ということも分かってきます。
あと、Vistaについての判断が多少できても、「Office2007」の互換性問題が意外と知られてないのも問題です。
後者について言えば、既に書いた通り。多くの人間が利点を、殆どの人間が問題点を知らない現状があります。
ちなみに、僕自身もそういう人間の一人です。利点については多少理解したのですが、まだまだ問題点については疎いです。
最近になってやっと「コピーワンス問題」を知りました。ですがまだまだ勉強不足です。
これが、タイトルの「一応は賢くなりつつある」の理由です。
というわけで、やたらと説教臭い記事でした。
どうも最近、自分の色々なこだわりが発展しているようです。
まあ、それ自体はいいことだと信じているので、付き合っていただければ幸いです。