一連の聖火リレー騒動を受け、私の感じたところを書こうと思います。
私は以前、イチローが妨害行為を受けたWBCの韓国戦に関する記事で、「政治とスポーツを結びつけるのはおかしい」と書きました。
今回の騒動にも、そういう思いがやはりありました。
ですので、聖火リレーを利用しての抗議活動に対しては、賛成しつつも複雑な感情があったのです。
そんな中、こんな一文を今朝見つけました。
「国境無き記者団」創設者、ロペール・メナール事務局長の言葉です。
メナール氏の原則は「五輪ボイコットは呼びかけない」。スポーツと切り離し、聖火リレーを中国の政治宣伝と見なして集中攻撃することで、祝賀ムードを吹き飛ばした。
(2008年4月27日 朝日新聞朝刊2面より引用)
なるほど、そういう見方もあるのか。しかしやはり釈然としない曇りが残る。
そうしていたら、今度はこういう意見を見つけました。
僕は正直、最初オリンピックが中国で開催されることが決まった時、
喜んだんです。
シドニーの時に中国が選ばれなかった理由が国内の人権問題だったので、
今回中国に決まった事によって、
中国は当然人権問題を解決してくるだろうと。
しかし、僕の考えは甘かった。
オリンピックが来年に迫っても、
一向に弾圧は終わらなかった。
このまま何事も無くオリンピックが開催されれば、
世界がチベット問題を容認する事になる。
だからチベット人は焦ったんです。
今立ち上がらなきゃ、永久に不可蝕な問題としてスルーされてしまう。
だから彼らはデモを起こしたら殺されるのを知っていながら、命を懸けて立ち上がった。チベットの未来の為に。
チベット人は聖火リレーが始まる直前に、世界に発信しました。
これはもう、必然なんです。
オリンピックと人権問題を引き離すのは不可能。
それはオリンピックの開催の条件が人権問題の解決だから。
[mixi] アリ@freetibetさん | とりあえず今月最後の日記
実際に長野へ抗議行動をされてきた方(前回の記事でも引用させていただいた方です)の言葉です。
これを見て、「ああ、そうか」と納得しました。
オリンピックと政治を切り離そうという方が無理な話なのだな、と。
さて、昨日の長野の件。
最も責めるべきは誰でしょうか?
中国人?いえ、彼らが聖火リレーに声援を送るのは当然です。
(中国人も抗議活動も全部ひっくるめて)行き過ぎた行動をした人々?いえ、決していいとは言えないかもしれませんが、事の本質はそこにない。
警察や政府など国家権力?当然責めるべきです。が、国家権力は常にこんなもの(特に日本は)ですので、まあ「いつも通り」と言うところ。
私は、マスコミに最たる責任があると思っています。
マスコミの責務の一つに、三権の監視があります。
それがどうでしょう。先程の記事に載せたような情報は、ネット無くして私たちに届いたでしょうか。
「何事もなく」と平然と語るその裏側で、先程の記事のような実情があったのです。
いつからマスコミは、金のために扇情的なことばかりを取り上げ、自分たちのために一部の人間に都合の良い情報ばかりを垂れ流すようになったのでしょうか。
ブログなど、ネット上の草の根メディアは、欧米では「第五権」と呼ばれています。
三権を監視する「第四権」であるマスコミの監視役。
今回の件で、日本のネットでも、第五権たる役割が果たされるのではないかと期待しています。
先程から引用させていただいてる方のmixiページには、昨日から30000のアクセスがあったそうです。
30000、これは中々凄い数です。第五権たるには充分な規模です。
さあ、このまま限界を知らずに広がってくれ。
そしてオリンピックを、スポーツ選手が伸び伸びと実力を競える舞台を、誰でもない選手自身のために用意してくれ。
追記:
読み直してから、内容に対して扇情的過ぎたかな、と反省し、記事のタイトルを「日本のマスコミは死んだ」から変更しました。
他のものを言ってばかりではいられませんね。申し訳ありません。