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場所っプ

トリオフォー&素人の乱シランプリそして場所っプ山下陽光の日記bashop77@yahoo.co.jp

はかない

2016年11月18日 10時00分28秒 | 場所っプ
ファボられてもリツイートされても、服が売れても満たされない、何をやりたいのかわからんまま、世の中が良い方向に向かってるとは思えないから、自分がやりたい事も明確にならない。だって会わなくても全部スマホで解決できるじゃん。日にちと場所決めてお金払って人の話を聞く意味わかんない。ってそりゃあそうだけど、

複製芸術に対する憧れの眼差しと、知らない間に身につけてしまった【インターネット以前を知っているという既得権益】を破棄して、弱りまくりながら前進していくしかなくて、その道しるべとして言葉があるんだから、自分や周りを全否定しながら歩く道を探していくしかない。


雨宮まみさんが亡くなった。

知っている事はほとんどなくて、彼女が亡くなってからタイムラインに上がってくる以前に書かれた文章を読むととても素晴らしいのばかりで、選挙について書くとバカがバレるから書きたくない。というようなタイトルの文章はとても素晴らしい。

人の死についていつも考えている。

15年以上会ってない昔のバイト先の人とFacebookで繋がっていて、会ってなかった12〜3年の時間はなかった事になって、子供は成長しているし、今後会う事はないかもしれないけれど距離はとても近い。

僕が生まれて初めて作ったミニコミは友達の死について書かないといけないと思って書いた。その内容は今後一生、会わない小学校の時の同級生が生きていて、町田亮 君が死んじゃってるのは何か変な気がするから、どうにか生きてるように思い出しまくりたい。という感じ。

でも人間は忘れちゃうし、死んじゃった友達はあの年のまんま。

情報を手に入れる時に貴重かどうか?自分に向けられてるのか?
今読むべきなのか?色々判断して入手している。
雨宮まみさんが亡くなったと聞いてから彼女の文章を読むのは、儚い。


この儚いという言葉で逃げてしまっている事を解剖したい。

今、長崎県の大村市に住んでいて、それまではずっと東京に住んでたから、ツイッターのタイムラインの友人らのツイートは東京が多い。そんな中、美術ライターの住吉智恵さんが、

「長崎県の波佐見で波佐見焼の取材してまーす。」
とツイートしてたので、

「我が家は今晩焼肉なので来て下さ〜い。」と返信すると


「明日の14時頃には長崎空港にいるよ〜」と返信があった。


空港に会いに行くとマヌケすぎるので、

「明後日から関東行くので、新宿花園神社の酉の市で呑んだくれましょう。」と返信。

住吉さんが長崎にいる!ってのでテンションあがったけれど、東京にいて住吉さんに会うだろうか?
何かのタイミングが重ならないと会わないだろうな〜と思う。

普段会えないから会いたいと思うけれど、いつでも会えますという状態だと誰と会えばいいのかわからない。

いつでも会えるし、いつでも見れる。ってのがインターネットのいいところ。
だけど私も本当はさみしがりやで、とラッパ我リヤ と加藤ミリヤが唄ってたけれど。

近頃毎日ブログを書こうと思ったきっかけは坂口恭平がツイッターをやめてつまんなくなったから、今まで坂口恭平が埋めてたツイートを読む時間を彼に感謝するつもりで書いていた。

辞めたとか言っても、また復活するかもしれないし、気長に待ちながら、彼が突然スイッチ入ってインターネットだから場所はないんだけど、タイムラインという場所がドッと盛り上がって行くLIVEみたいな感じがとても好きで、あの感じはツイッターだな〜。もうないのか〜と儚い。
この儚いと住吉さんとのやりとりの儚いは作れる儚いで、雨宮まみさんのは作れない儚い。

ココに儚いの違いと重みがあって、生前の生きてるうちに作れないような儚いをあえて作るのが、新しい骨董で、本当に作れなくなってしまった儚いをどうにか作って、その人を人工知能やAIとかとは別の超アナログ人力で思い出しまくって更新するのが、以前書いた、【コジエさんのこと】という記事や、【月刊大塚幸代】です。

コジエさんの事という記事は亡くなったコジエさんが亡くなる前に渋谷のライブハウスWWWに面影ラッキーホールを観にいく。と投稿があったのでその日の渋谷のその時間を指定してツイッター検索して出てきた画像全てを見てそこにコジエさんが写り込んでないか?という調査をした記録です。

今あるコジエさんの情報は思い出だけで、誰かの無意識の中にコジエさんがいたら新たなコジエさんとして更新できるのではないか?と思ってチャレンジしました。儚いという事を更新したかった。

コジエさんのこと http://blog.goo.ne.jp/bashop/e/2380118607d939e816fd3633a7558222


大塚幸代さんも亡くなってしまって、何をやればいいのかわかんない。インターネットの中には大塚さんは生きていて、ログインidを忘れてウロチョロしてるだけだから、大塚さんが書きそうな事をこっちで勝手に見つけて、更新しまくれば大塚さんが復活するのではないか?と思って月刊大塚幸代というブログをはじめました。ログインidも書いてあるのでジャンジャン更新して下さい。
「月刊 大塚幸代はじまるよ〜」
http://amba.to/1z46cMg

懐かしのリンク集みたいになりますが、コジエさんのことを書いた後に、コジエさんとも仲が良かったお友達のマリエちゃんが、同じテンションで書いてくれた記事も素晴らしいのでどうぞ。

高円寺を歩いた

http://mariedesu.hatenablog.com/entry/2015/12/07/002339



模索舎のエノが、こんなツイートをしていた

雨宮まみさん逝去。雨宮まみさんの『女子をこじらせて』、雨宮さんがAVライターの世界を知るきっかけとなった場所として笹塚「ピープル」とピープル江川さんの話が出てくる事を思い出したり・・

http://pegawa.hatenablog.com/entry/2016/11/08/185631

開店時間を午後2時にして以降、あまりに誰もこないので、作業が一段落した3時頃、昼ご飯を買いに行く名目で外出するようになった。

笹塚にあった伝説のアダルトメインのレンタルビデオ店、ピープルの店主が当時を振り返って書かれた店番日記。

高円寺で古着屋をやっててまったく売り上げなく来た客と喋りまくってたり、店を開けっぱなしにしてウロチョロしてた、日々を思い出した。



「高円寺メシ」から見えてくる、人情とカオスの街・高円寺 - SUUMOタウン http://suumo.jp/town/entry/kouenji-bokunonoumiso/

かつて高円寺にあった牛丼太郎に関する文章がたまらなくよかった→→
牛丼太郎の高円寺店は、駅前の狭小なスペースにカウンターだけを用意した立ち食い形式だった。客の大半は男で、歳も職業も異なる彼らが肩をぶつけ合い、出された牛丼をかき込む様は、さながらブロイラーのようだった。客同士の距離が近すぎて、余所見をすれば自分の牛丼を見失うとまで言われた、牛丼太郎。味が薄くて、時々他のお店の牛丼を食べると、スキヤキを食べている様な感動が味わえた愛すべき牛丼太郎!

他にも出禁になったツワモノ酔っ払いが集まる定食呑み屋 団らんでビールを頼んだら付き出しとしてコーヒーが出てくるところなど爆笑しまくった。


今回、書いてきたことや、リンクは全て儚いがキーワードになっている。インターネットは現在に特化しがちだけど、現在から少し前の過去を覗くと、少し儚い。それを画質で感じたり出来ると嬉しい。

ピープル店主の店番日記を読んで当時高円寺でやってた古着屋の店番とそっくりで、あの頃感覚を今も続けながら、お店にはお客さんが来なくてヤフオクやネット通販で店を維持しながらバイトしている人達に向けてバイトやめる学校をやっていて、実は売れないリアル店舗をネット通販で支えている事が、インターネット以前を知っている既得権益なのではないか?と思った。しかし利益にならないので既得権損なのかもしれないけど、店を続けたいから。という未来に向けた儚さがある。



さて、明日11/19から関東です。
さいたまの南浦和で直売
11/19南浦和mukumuku直売全画像 http://blog.goo.ne.jp/bashop/e/40e946eccea005de4f9a0676058e1bf2

翌20日は雑司が谷みちくさ市でトーク&直売です。

翌日11/20は
雑司が谷みちくさ市でトーク&直売やりまーす〜\(^o^)/
11/20雑司が谷みちくさ市直売全画像 http://blog.goo.ne.jp/bashop/e/6afe0311fddc68640be458ef2c19ed38


お待ちしております。

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