宇多田ヒカルと山下陽光
宇多田ヒカルと山下陽光(ひかる)
ツイッターを見てたら恋と童貞の小野さんがリツイートしていたディスクユニオンの瞽女レコード
http://blog-yokohama-west.diskunion.net/Entry/6871/
詳細のリンクを見ると何人かの瞽女の方の名前が載ってる。
瞽女(ごぜ)とは
三味線を携え農村・山村を巡る盲目の女性遊行芸人である。ゴゼサン・ ゴゼサなどと呼ばれた。
そういえば、宇多田ヒカルのお母さんは藤圭子でそのお母さんは全盲で三味線瞽女という旅芸人だったと読んだ記憶があるな〜と思ってwiki見たら、その通りだった。
ディスクユニオンの瞽女レコードに宇多田ヒカルの祖母の名前もあるかなと思って調べたけれど、見つからない。そこから色々調べ始めて、宇多田ヒカルの母の藤圭子wikiよりも詳細なブログが出てきて、
宇多田ヒカルの名前の由来が
盲目の母(宇多田ヒカルにとっての祖母)に光がさすように付けたという説がある。
宇多田ヒカルの歌の良さは母親譲りで、母親の藤圭子の歌の良さはその母の竹山澄子譲りだとしたら、竹山澄子の歌を聴いてみたい。と思って調べまくるが出てこない。
竹山澄子は2010年に亡くなっているが、レコードや音源などは出てないのだろうか?
宇多田ヒカルのヒカルが祖母に光がさすように付けられたとしたら、名は体を表すで、表している事が祖母と繋がっていて、歌を歌う事とも繋がっているのがとても素晴らしい。
僕、山下陽光(ひかると読む)の祖母も盲目だった事を思い出した。
ヒカルと盲目の祖母という節点がある事に驚いた。
山下ヲモ
↑すんげぇ名前でビックリするけどおばあちゃんは目が見えなかった。
10年以上前に亡くなったけれど、
今生きてたら何歳だろうかと思って調べたら、なんと明治45(1912)年生まれの104歳。
娘が2歳でヒトケタで、ばあちゃん生きてたらサンケタで104歳。年の差102歳って凄すぎる。
今日YouTubeサーフィンしてたら、水曜日のダウンタウンで、
徳川慶喜を生で見た事がある人、まだギリこの世にいる説
ってのを見つけて観たらとても面白い。
松本人志が、この企画Eテレでやるやつやろ。と冒頭で言ってたけれど、本当にその通りの内容だった。
徳川慶喜が亡くなったのが今から102年前で、102歳以上の年寄りに話を聴く為に、全国の老人ホームを調査、当然知ってる人は多く、慶喜のことをみな、「けいき」と言ってて、明治の前に江戸時代があった事を体感してる感じが凄い。
村に1人はちょんまげの人が居たとか、父親が夏目漱石から授業を受けてたとか、大隈重信を観たことあるとか、もう100歳超えはとても凄い歴史と地続き感がたまらなく素晴らしい。
肝心の徳川慶喜を観たことある人はなかなか出てこないので、慶喜の研究者にインタビューすると、慶喜は晩年、静岡と東京、文京区で過ごしたとの事で、静岡と東京に絞って調査をする。
徳川慶喜を生で見た事がある人、まだギリこの世にいる説・ビビる大木
https://youtu.be/A1BgIXI5q8Q
ココから先は動画を見た方がいいんだけど、見れない環境の方の為に下に下に下にスクロールしまくった所でネタバレ書いてます。
ま
だ
ま
だ
ス
ク
ロ
ー
ル
ココまで来たら大丈夫か。
で、で、で、調べてたらなんとなんとで、見つかったんですよ。
徳川慶喜を生で見たことある人が。
研究者の方も大喜びで、物凄い歴史を裏付ける貴重な事だと喜んでいて、慶喜を観た方は105歳で当時2〜3歳の時に晩年の徳川慶喜が日本橋を大名行列で通るのを見た。と。
コレを書くにあたって、もう一度動画を観て気づいたのが、僕の祖母と娘の年齢が104歳と2歳で、その感じが入れ子になっていくような感じがして、102年後の娘が2歳の時の事を思い出しているような感じになった。
宇多田ヒカルと山下陽光(ひかる)
ツイッターを見てたら恋と童貞の小野さんがリツイートしていたディスクユニオンの瞽女レコード
http://blog-yokohama-west.diskunion.net/Entry/6871/
詳細のリンクを見ると何人かの瞽女の方の名前が載ってる。
瞽女(ごぜ)とは
三味線を携え農村・山村を巡る盲目の女性遊行芸人である。ゴゼサン・ ゴゼサなどと呼ばれた。
そういえば、宇多田ヒカルのお母さんは藤圭子でそのお母さんは全盲で三味線瞽女という旅芸人だったと読んだ記憶があるな〜と思ってwiki見たら、その通りだった。
ディスクユニオンの瞽女レコードに宇多田ヒカルの祖母の名前もあるかなと思って調べたけれど、見つからない。そこから色々調べ始めて、宇多田ヒカルの母の藤圭子wikiよりも詳細なブログが出てきて、
宇多田ヒカルの名前の由来が
盲目の母(宇多田ヒカルにとっての祖母)に光がさすように付けたという説がある。
宇多田ヒカルの歌の良さは母親譲りで、母親の藤圭子の歌の良さはその母の竹山澄子譲りだとしたら、竹山澄子の歌を聴いてみたい。と思って調べまくるが出てこない。
竹山澄子は2010年に亡くなっているが、レコードや音源などは出てないのだろうか?
宇多田ヒカルのヒカルが祖母に光がさすように付けられたとしたら、名は体を表すで、表している事が祖母と繋がっていて、歌を歌う事とも繋がっているのがとても素晴らしい。
僕、山下陽光(ひかると読む)の祖母も盲目だった事を思い出した。
ヒカルと盲目の祖母という節点がある事に驚いた。
山下ヲモ
↑すんげぇ名前でビックリするけどおばあちゃんは目が見えなかった。
10年以上前に亡くなったけれど、
今生きてたら何歳だろうかと思って調べたら、なんと明治45(1912)年生まれの104歳。
娘が2歳でヒトケタで、ばあちゃん生きてたらサンケタで104歳。年の差102歳って凄すぎる。
今日YouTubeサーフィンしてたら、水曜日のダウンタウンで、
徳川慶喜を生で見た事がある人、まだギリこの世にいる説
ってのを見つけて観たらとても面白い。
松本人志が、この企画Eテレでやるやつやろ。と冒頭で言ってたけれど、本当にその通りの内容だった。
徳川慶喜が亡くなったのが今から102年前で、102歳以上の年寄りに話を聴く為に、全国の老人ホームを調査、当然知ってる人は多く、慶喜のことをみな、「けいき」と言ってて、明治の前に江戸時代があった事を体感してる感じが凄い。
村に1人はちょんまげの人が居たとか、父親が夏目漱石から授業を受けてたとか、大隈重信を観たことあるとか、もう100歳超えはとても凄い歴史と地続き感がたまらなく素晴らしい。
肝心の徳川慶喜を観たことある人はなかなか出てこないので、慶喜の研究者にインタビューすると、慶喜は晩年、静岡と東京、文京区で過ごしたとの事で、静岡と東京に絞って調査をする。
徳川慶喜を生で見た事がある人、まだギリこの世にいる説・ビビる大木
https://youtu.be/A1BgIXI5q8Q
ココから先は動画を見た方がいいんだけど、見れない環境の方の為に下に下に下にスクロールしまくった所でネタバレ書いてます。
ま
だ
ま
だ
ス
ク
ロ
ー
ル
ココまで来たら大丈夫か。
で、で、で、調べてたらなんとなんとで、見つかったんですよ。
徳川慶喜を生で見たことある人が。
研究者の方も大喜びで、物凄い歴史を裏付ける貴重な事だと喜んでいて、慶喜を観た方は105歳で当時2〜3歳の時に晩年の徳川慶喜が日本橋を大名行列で通るのを見た。と。
コレを書くにあたって、もう一度動画を観て気づいたのが、僕の祖母と娘の年齢が104歳と2歳で、その感じが入れ子になっていくような感じがして、102年後の娘が2歳の時の事を思い出しているような感じになった。
ちょうど広島のアニキ世代について考えてた、ところなので、コメント嬉しか〜。
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