空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 渡嘉敷島の集団自決跡地へ⑤






上記の画像あたりで昼食を兼ねた休憩をしました。
石碑の裏を降りてから20分程度の場所です。

ま、昼食とはいっても、
カロリーメイトとペットボトルのさんぴん茶ですけどね。
できるだけ荷物を少なくしときましたから、
これで十分でした。

しかし、何も聞こえませんでしたね。
とにもかくにも島なのですから、
波の音が聞こえてきそうなものですが、
時々風が走って木々を騒がす程度の静寂さです。

今から考えると、
もしあそこでハブにでも咬まれたら、
助かることはなかったでしょう。

渡嘉敷港を出発してから青年の家まで、
ホントに誰一人と出会っていませんし、
徒歩で一時間もかけて、
自力で渡嘉敷港まで行けるかどうか…

それくらい人の気配が全くないような、
静かな場所でした。

寂しい場所と言われればそうかもしれません。
「孤独」だったかというと、確かに孤独でした。

あの時、どんな思いでここへ集まったかと思いをはせると、
やりきれない思いにもなりましたね。

でもこのブログは「平和学習」が目的ではなく、
かといって、誰かの責任を追及するようなことはしませんので、
これ以上は読んでくださった方が、
ご自由にしていただくことと考えております。

寂しい場所といっても、
決して「怖い」と思ったことはありません。
特に「幽霊」関係の話は一切信じないものですから…

こういった悲劇の逸話や場所を話すと、
時々いるんですよね。
自称「霊能者」が…

個人的な経験ではございますが、
以前東京で暮したときに、
「広島や長崎には行けない」と言っていた女の人がいました。
どうやら、原爆で亡くなった人の霊を見るらしいのです。

そんな話を「東京」の居酒屋で聞いたとき、
「あ~あ、このね~ちゃん、やっちまったな」
と即座に思ったものです。

戦争で亡くなった人の霊が見えるのに、
平気で東京暮らしをエンジョイしているのですからね…
東京大空襲でも10万人以上が亡くなってるのにね。

ま、幽霊話はともかく、
集団自決という悲劇はありましたのですが、
その当時は沖縄の原風景が残っているような、
自然が豊かで素敵な場所でもありました。

次回以降に続きます。

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