空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 健児の塔周辺をブラブラ

平和祈念公園の最も奥にある「黎明の塔」から、

岩を半分くりぬいて造ったような階段があり、

そのまま降りていきますと、

途中には最後の「第三十二軍司令部壕」があります。

ここは有名な場所なので、

特に説明する気はありません。




画像の日付を見ると’96.7.5となっていますが、

まぁ、現在と変わっていないでしょうね。

階段は手すり等の整備はしてあるはずです。


ちなみにこの場所へは何度も足を運びましたが、

今回のは観光客がいない夜を狙って撮ったような気がします。

もし夜に行くときはフラッシュライト必須ですよ。

いろんな意味であまりお勧めしませんが…


その司令部壕からさらに下へ下へと石段を降りていくと、

「健児の塔」が建立されているのがすぐにわかります。


「健児の塔」を簡単に説明しますと、

「ひめゆりの塔」の男子版という感じ。

「ひめゆり」が看護助手的なものに対し、

師範学校や中学校(現在だと高校生くらい)の男子生徒は、

ほぼ「歩兵」扱いでした。

なお、「師範学校」というのは、

学校の先生になるため男女別の専門学校があった、

ということです。

現在だと大学の教育学部みたいなもんですかね。

さらに詳細が知りたい方は検索してくださいな。





これも現在とは変わっていないとは思いますが、

この頃は周辺の木々が鬱蒼としていましたね。

なんか、いつも太陽を遮っているんですよね。

さすがにジャングルとはいかないまでも、

空を隠すようにして覆いかぶさっているんです。


でありますから、

たとえ昼間に訪れても、

画像のように薄暗かった印象が強いのです。

現在は伐採されて明るくなってしまいましたがね…


あの頃の自分にとっては、

その薄暗さがまた一層の悲壮感というか、

もの悲しさや寂しさを常に感じる場所でしたね。

観光客で賑わっていない時は特にそうでした。


近くには男子生徒たちが最後を過ごした「ガマ」があり、

中に入ることができます。

ガマとしては大きくないほうだとは思いますが、

それでいて比較的簡単に奥まで入れると思いますよ。


ここまでくると海岸線も近くになってきます。




この海岸まできたら、

必ずっていいほど休憩してました。


なぜかというと、

いつも平和祈念公園でレンタカーを駐車してから、

一番奥にある黎明の塔までひたすらひたすら、

歩いて歩いて登って登って、

それから階段を下へ下へと降りるもんですから、

その往復を考えたら、

徒歩だとかなり長い距離になるもんなんです。

しかも階段っていうのがクセモノでして、

中々の急峻な場所もありますから、

結構キツいんですよね。


だから海岸まで下りていって、

そこで何かドリンクでも飲みながら、

ゆったりまったりってのが定番でしたよ。

ほぼルートビアでしたけど。

あの変な味、サロンパス的なヤツ、

自分は好きです。

あとは小さなヤドカリなんか探してましたね…





ただ、健児の塔には駐車場があり、

つまりは別ルートで簡単に行くことができますから、

そちらのほうをお試しになっては、

と思います。


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