ここでは紹介しなかったですけど、
他のグスクもイロイロ見て回りました。
そこで思ったことが一つだけあります。
「なんか山城ばっかりだなぁ~」ってな感じ。
自分は「城マニア」ではございません。
いわゆる「琉球史」にも疎いです。
ただ、琉球王国が「武器を持たない平和国家」だった、
なんてことを言う人たちに同意することができません。
なぜかというと、沖縄に「山城」が多い事実と矛盾するからです。
山城を造る理由はただ一つ、
それは「攻めてくる敵を防ぐ」ことです。
古今東西、それは決して変わることがありません。
では「平和国家」だったはずの琉球王国は、
一体誰が攻めていったのでしょうか?
当時の中国はあり得ません。
当時の日本は島津が攻めました。
しかし、これは極論かもしれませんが、
日本が攻めてこないという認識があったがゆえの、
無防備状態だったかもしれません。
だからあの山城は日本から守るということではありません。
そうであるならば、
山の上という自然の要害を造った理由は何なのでしょうか?
先日豪快に焼け落ちた首里城も山城です。
厳密にいえば山の上というより台地の上かな…
しかも面白いことに、
その首里城の真下に沖縄第32軍は司令部を設置しました。
これは単なる偶然ではありません。
勿論、首里城があったから設置したのでもありません。
最初に首里城をあの場所に建てようとした人と、
第32軍があそこに司令部を造ることを決めた人は、
基本的に全く同じ考え方だったのです。
つまり「敵が攻めにくいような自然の要害を利用した」ということを…
もっとも、空からの攻撃の有無という違いはありましたけどね。
ではでは、首里城を造った人たちの「敵」というのは、
一体誰だったんでしょうね?
これが「平和国家だった琉球王国」に対する矛盾なんです。
八重山や奄美への「侵略」も考え合わせるとなおさらですね。
こうしてみると、琉球の歴史もなかなか面白いものがありますね。
これで「グスクグスクをぐ~るぐる」を終わりにしたいと思います。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
皆さんも是非、いろんなグスクを巡ってみてくださいな。
眺望の素晴らしさにハズレはないと思いますから…