空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 グスクグスクをぐ~るぐる⑤ なぜか多い「山城」について

ここでは紹介しなかったですけど、

他のグスクもイロイロ見て回りました。

そこで思ったことが一つだけあります。

「なんか山城ばっかりだなぁ~」ってな感じ。


自分は「城マニア」ではございません。

いわゆる「琉球史」にも疎いです。

ただ、琉球王国が「武器を持たない平和国家」だった、

なんてことを言う人たちに同意することができません。

なぜかというと、沖縄に「山城」が多い事実と矛盾するからです。


山城を造る理由はただ一つ、

それは「攻めてくる敵を防ぐ」ことです。

古今東西、それは決して変わることがありません。

では「平和国家」だったはずの琉球王国は、

一体誰が攻めていったのでしょうか?


当時の中国はあり得ません。

当時の日本は島津が攻めました。

しかし、これは極論かもしれませんが、

日本が攻めてこないという認識があったがゆえの、

無防備状態だったかもしれません。

だからあの山城は日本から守るということではありません。


そうであるならば、

山の上という自然の要害を造った理由は何なのでしょうか?


先日豪快に焼け落ちた首里城も山城です。

厳密にいえば山の上というより台地の上かな…

しかも面白いことに、

その首里城の真下に沖縄第32軍は司令部を設置しました。

これは単なる偶然ではありません。

勿論、首里城があったから設置したのでもありません。

最初に首里城をあの場所に建てようとした人と、

第32軍があそこに司令部を造ることを決めた人は、

基本的に全く同じ考え方だったのです。

つまり「敵が攻めにくいような自然の要害を利用した」ということを…

もっとも、空からの攻撃の有無という違いはありましたけどね。


ではでは、首里城を造った人たちの「敵」というのは、

一体誰だったんでしょうね?

これが「平和国家だった琉球王国」に対する矛盾なんです。

八重山や奄美への「侵略」も考え合わせるとなおさらですね。


こうしてみると、琉球の歴史もなかなか面白いものがありますね。



これで「グスクグスクをぐ~るぐる」を終わりにしたいと思います。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

皆さんも是非、いろんなグスクを巡ってみてくださいな。

眺望の素晴らしさにハズレはないと思いますから…

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最新の画像もっと見る

最近の「1990年代の沖縄旅行 いろんな場所編」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事