残照日記

晩節を孤芳に生きる。

社会の木鐸

2011-07-26 18:41:30 | 日記

≪首相進退、盆明けに攻防 「3条件」の2次補正成立──東日本大震災の復旧対策を盛り込んだ今年度第2次補正予算は25日、共産党をのぞく与野党の賛成多数で参院本会議で可決され、成立した。菅直人首相が掲げた「退陣3条件」の一つがクリアされたが、残る再生可能エネルギー特別措置法案と特例公債法案は与野党が折り合っていない。首相は少なくともこれらが成立するまでは続投する意向で、進退を巡る攻防は8月後半にもつれ込みそうだ。≫(7/26 朝日新聞)

∇当然の事ながら、今朝の新聞社説はどれも“菅首相退陣”に触れている。産経は≪2次補正成立 「3条件」待たず退陣迫れ≫、読売は≪2次補正成立 政治の停滞打破へ動く時だ≫、毎日は≪2次補正成立 政権移行の作業を急げ≫、日経は≪首相はバトンを渡す準備を≫。朝日は今日の社説にはなく、昨日、紙面の1/3を割いて「長々」論じた、若宮啓文氏による≪菅首相よ、ゲリラに戻れ──さらば暗い政治≫(「座標軸」)だ。思うに、現時点に於けるマスメディアの使命の一つは、政局を概観して、その昏迷・阻害要因を闡明にし、且つ次のステップを語ることであろう。理想的に言えば、国際政治学者坂本義和が言うように、≪知識人には二つの軸が不可欠だと思う。ひとつは現状に対する批判力。もうひとつは構想力(≒提案力)≫。この点、他紙と比較して格段に劣り、下手をしたら朝日新聞の紙価を急落させかねないのが若宮論説にみられる軽薄・不味である。「自分の頭で考える」ことを決意した方々には、皮肉にも実に好適なる参考文献なのだが、全文がくど/\とやたらに長いので、かいつまんで要点を述べ、幾つかを指摘するにとどめよう。朝日新聞を購読の向きには是非全文の検証をお奨めする。

∇論説の趣旨はこうだ。いま、日本の政治は暗い。退陣表明後も辞めない菅首相と大震災・原発事故とが原因で。首相はまさに四面楚歌。彼にとっての憎き敵は4つ。①自民党等野党②「親小沢グループ」③原発を守ろうとする東電・経産省・政治家たち④身内の「菅おろし」勢力だ。菅首相が辞めずに粘っているのは、脱小沢、脱原発をやり遂げたいからかもしれない。…とこゝまではそれなりに納得いく筆を進めている。そして≪だが、それにしても政権運営は見ておられない。≫と後半の主張に移るところから怪しくなる。先ずまさかの暴言と辞任を招いた復興担当相や、自民党議員の一本釣り等の人事上の失態を挙げる。原発のストレステスト導入・「脱原発」発言は≪好ましい内容だったにせよ、野党時代の戦法を思わせる突撃で閣内の混乱をさらけだした。≫と、菅氏の政治手法=ゲリラ戦法と決めつける。こゝから結びまでが若宮論説の言いたいことであるのだが、以下に詳述するように、独り善がりな空論や君子論をかざしながら、一挙に、≪菅さん、この国会できっぱりと官邸に見切りをつけるがいい。バトンは怨念にとらわれない世代に渡し、自らはゲリラ議員に戻って脱原発で動き回る。それがいま、一番ふさわしい道ではなかろうか。≫と即時退陣を迫る、というものだ。

∇若宮氏は、菅首相の「ゲリラ戦法」を否定したいのである。曰く、≪薬害エイズの資料発見で一躍ヒーローになった厚相時代のように、首相になったいまも大きな体制に挑むゲリラの意識が抜けないのではないか。≫と。この発想は、悪い意味で使用される「週刊誌的発想」に過ぎない。仮に若宮氏指摘の“四面楚歌4点説”が正しいとし、菅首相が敵前突破して己の信条を押し通そうとするなら、事の是非は別として、寧ろ戦術的には「ゲリラ戦法」が適切だといえる。≪大きな体制に挑むゲリラの意識が抜けない≫は、他紙や週刊誌がよく使う「常套語」だ。それに嵌りこんでしまっている。何故菅氏が首相の地位に固執するのか、折角4点を抽出して見せたのだから、そこをもっと突っ込んでみる深堀りが決定的に欠けている。それを抜きにして、≪だが、それにしても政権運営は見ておられない。≫と続ける浅はかさよ。そしてゲリラ意識が抜けないことを縷々述べた後、突然論理が飛躍して≪だが、それならここらが潮時だろう。≫と来た。≪権力のトップにある首相には全体を見渡して組織を巧みに動かす意志と能力が必要であり、そうそうゲリラ戦法が通じるものではない。≫からだ、と。

∇急に「政治家君子論」が飛び出して、≪そうそうゲリラ戦法が通じるものではない≫⇔≪それならここらが潮時だろう≫と言うのだが、若宮氏には「ゲリラ戦法」の意義が全く分っていない。こゝが「退陣の潮時」なら、「ゲリラ戦法」など使う必要は無い。「引くわけにいかない潮時」だから、ゲリラ戦法を使うのである。若宮論説はその後、被災地のがれきの未処理、放射線の波紋、節電不安拡大、欧米経済危機等深刻な局面にある事柄を羅列し、エピローグに入る。≪菅さん、この国会できっぱりと官邸に見切りをつけるがいい。バトンは怨念にとらわれない世代に渡し、自らはゲリラ議員に戻って脱原発で動き回る。それがいま、一番ふさわしい道ではなかろうか。≫と。先ず震災後に残された数々の未処理課題は、若宮氏が殊更あげつらう必要がないほど自明のことだ。しかも、この論調の裏に、毎日新聞「風知草」で山田孝男編集局員が指摘している次の風潮こそが、菅首相一人に責任の全てを被せ、当事者の責任の所在をうやむやにしてしまう危険思想なのである。≪四代目・柳亭痴楽の「綴り方狂室」に「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんな痴楽が悪いのヨ」という自虐ギャグがあった。いまの国会論戦がそれだ。震災も、政争も、円高も、財政赤字も、みんな菅直人が悪いのヨである。野党も与党も「菅さえやめれば万事解決」の胸算用。…≫

∇若宮氏が大声で叫ばなくとも、菅首相が≪この国会できっぱりと官邸に見切りをつける≫方向に進行しているし、仮令多少延命したところで、退陣が時間の問題であることは変わりない。それよりも、肝心の≪バトンは怨念にとらわれない世代に渡し≫云々とは、具体的にどうすればいいのかが、少しも語られていない。ましてや≪(菅氏)自らはゲリラ議員に戻って脱原発で動き回る。それがいま、一番ふさわしい道ではなかろうか。≫などという提案は、どうでもよいこと。菅氏が決めることであり、読者に面白がらせるように言ったつもりであろうが、ギャグにもならない。──今朝の他紙の主張はこの点だけ絞れば、余程優れている。感情的菅首相退陣論のみに終わらず、次のステップや与野党同時責任論を説いている。読売:≪民主党執行部による今回の謝罪(マニフェスト不履行の)を、特例公債法案を成立させるための「方便」にしてはならない。党内の反対・慎重論を抑え、子ども手当に限らず、高速道路無料化や農家の戸別所得補償などのバラマキ政策の大幅見直しの具体案を明示すべきだ。自民、公明など野党も、参院で多数を占めている以上、反対のための反対では困る。子ども手当の修正協議などで、民主党がより踏み込んだ案を示したら、積極的に合意点を探る責任がある。それが、「ポスト菅」政権に向けての与野党協議を充実したものにするだろう。≫

∇産経:≪民主党執行部や自民党などは、国益が日々損なわれる状況をいつまで放置するつもりなのか。他の重要法案が審議中であることを理由に、首相の延命を容認するような姿勢はおかしい。一刻も早い退陣に動くべきだ。≫ 日経:≪8月末に会期を迎える今国会中に、代表選を実施し、国会で新首相を選ぶ必要がある。首相はバトンを渡す準備を進める時だ。≫ そして今回は、毎日新聞の冷静な現状動向を踏まえた菅首相退陣論が、バランスのとれた言説に思えるがどうだろう。毎日:≪自民党もいたずらに合意を拒み、政争に走るような対応を取るべきでない。党内にはこのところ、強硬策で首相を解散に追い込む意見も強まっている。菅内閣の支持率が落ち込む中、首相退陣よりもこのまま衆院選を戦った方が得策という計算が働いているのかもしれない。だが衆院選は新首相の下、ほとんどの被災地で選挙の実施が可能となり、各党が政策の一定の対立軸を打ち出せる環境で行うべきだ。首相に本当に退陣を迫るのであれば「3条件」を速やかに決着させ、続投の大義名分を奪うことが最も効果的なはずだ。仮にそれでも首相が地位に居座るのであれば内閣不信任決議案を再度提出し、退陣を迫ることも決して暴挙とは言えまい。…政権の幕引きを真剣に急ぐ時だ。そのためにも次期内閣のあるべき姿について、与野党は責任を持って議論を進めなければならない。≫ 笠信太郎「社説」については次回とする。

批判・判断力

2011-07-25 18:27:21 | 日記
≪2次補正予算が成立…首相退陣3条件の一つ──東日本大震災からの復旧に向けた追加策を盛り込んだ2011年度第2次補正予算は、25日の参院本会議で与党と自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。第2次補正予算は、総額1兆9988億円で、東京電力福島第一原子力発電所事故の賠償関連経費と、被災企業や個人が抱える「二重ローン」問題の対策費が柱。菅首相は、第2次補正予算と、赤字国債を発行するための特例公債法案、再生可能エネルギー特別措置法案の成立を退陣3条件としている。≫(7/25読売新聞)

【だまされぬ批判力を育もう】無職 田中徹 71歳
≪原発さえなかったら、原発が憎い、安全神話にだまされた。過去に聞いたことがあるような言葉である。先の戦争の直後には、戦争さえなかったら、戦争が憎い、皇国神話にだまされた、と国民は言った。多大の犠牲と損害を被った心痛の声だったと思う。しかしまた、神話にだまされたのである。ということは誰かだました者がいることになる。私は先の戦争も今回の原発をめぐる問題もマスコミには一定の責任は免れないと思う。マスコミは権力の側に偏っていないか常に自問してほしい。そして、私たち国民も簡単にだまされないように、ふだんから批判的な目や心を育てなければならない。(後略)≫(7/20 朝日新聞「声」欄より)

∇最近「読者の声蘭」に、≪「原発の是非、自分で考えよう」──自分たちの安全を人任せにしておくのは、そろそろやめるべきだ。そう指摘すると「自分たちには十分な情報も知識もないから無理だ」という言葉が返ってくるだろう。でもドイツなどの人々は自分の頭で考え、原発に「ノー」を突きつけた。≫(世田谷区65歳男性)、という類いの投稿が目立って増えてきている。それは「原発問題」に限らない。国民をだまし続けてきた政治家、企業、マスコミ、有識者への批判は、大震災発生後4ヶ月を経て、加速度を増している感がする。国民は冷静さを取り戻し、批判の矛先を、だまされて来た我々国民側にもある、自分の頭で彼等の発する情報を咀嚼し、その虚実を見抜く判断力を育むべく努力すべきだ、と自己反省に向けられ始めた。いゝ傾向だ。S・スマイルズではないが、≪国民全体の質がその国の政治の質を決定する。…暴君に統治された国民は確かに不幸である。だが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。奴隷のような心を持った国民は、単に国のリーダーや制度を変えただけでは囚われの身から解放されはしない。≫(「自助論」三笠書房版)

∇先日家内の一周忌に、香華を手向けに訪れてくれた友人が、雑談の折、政局の昏迷も困ったものだが、それにしても近年のマスコミの体たらくぶりを厳しい言葉で批判していた。世論を育て上げていくべきマスコミが、国民の範を垂れていない、と。確かに、例えば朝日新聞の、政局に関する一ヶ月分の社説や論説委員の主張をざっと拾い読みしてみるとよい。「時宜の逸脱」「論旨不明」「場当たり主張」「右顧左眄」等の乱脈ぶりが、如実に浮かび上がってくる。我が国“代表紙”の一つとされる朝日新聞の論説首脳陣が、何故かくも凡庸知識人になり下がってしまったのか。笠信太郎「ものの見方」の冒頭に出る、≪スペインの明敏な外交官、マドリヤーガが書いた≫言葉から引用された、イギリス人気質=「歩きながら考える」をもじって言えば、「考えながら歩く」からそうなってしまっているのではないか。「歩きながら考える」という所作は、例えば、政治上の課題で或る方向の決断をした後も、それを不断にチェックしつゝ、かつ並行して少数異論の優れた意見を採り入れたりしながら、決断の適否を監視・修正する態度を指している。一方で、「考えながら歩く」やり方は、志向する方向そのものが決まらないまゝ歩いているので、周りの顔色やざわめきが気になってしょうがない。結果“場当たり主義”に陥ってしまう。

∇最近、英国のルパート・マードック氏傘下の英大衆紙が引き起こした「盗聴事件」が、メディア不信を炙り出した。まさにこれこそ、かつての「歩きながら考える」イギリ人気質が、「考えながら歩く」現代気質へと変貌している一端を窺わせる違法行為事件である。≪何でもありの取材が横行する背景には、スキャンダルやゴシップを扱う大衆紙が最もよく売れる英国の新聞文化もある。≫と24日の朝日新聞は他人事のように伝えているが、実は朝日とて同罪を犯していることを認識していない。今朝の「座標軸」で、主筆たる若宮啓文氏が論じている「菅首相よ、ゲリラに戻れ─さらば暗い政治」は、ハッキリ言って読むに耐えない「考えながら歩いて」いる、時宜を逸脱し、論旨乱脈した論説の“悪見本”である。時あたかも毎日新聞「風知草」で、山田孝男氏が「みんな直人が悪いのか」と題して原発問題を手際よく論じているが、余程かつてのバランスよい朝日論説に近い。こゝで「かつての朝日論説」とは、例えば「ものの見方について」「花見酒の経済」の名著を著し、朝日新聞論説主幹を務めた笠信太郎の「社説」等を指す。彼の書いた昭和29年8月16日付「世論・新聞・民衆」と、今朝の若宮社説を具体的に比較して、次回、「歩きながら考える」マスメディアのあり方を一考してみることにしたい。今日はこゝまで。

国民的議論

2011-07-24 18:07:04 | 日記
【経済成長神話の否定】哲学者 梅原猛
≪問:「原発を廃止するにはどうすればよいか。」⇒梅原:「エネルギー政策の転換⇒太陽光発電システムの開発しかない。もう一つ重要なことは、やたらにエネルギーを消費し、暖衣飽食することを理想とする文明を変えるべきである。エコノミックアニマルの国家を否定しなければならぬ。利他の精神に満ちた文化国家にせねばならぬ。…今、被災地の過酷な状況の中で助け合う人々を見るとあながち不可能ではない。≫(3/26京都新聞)。

『経済成長とモラル』ベンジャミン・M・フリードマン著
≪問:「人間、あるいは社会全体は所得水準が向上すると、より開放的、寛容になり、さらには民主的な諸制度も広まるものなのだろうか。あるいは逆に他人のことは忘れがちになるのだろうか。」⇒B・M・フリードマン:「経済成長と社会のモラルがお互いにプラスの影響を及ぼしあうと結論している。…興味深い例外は大恐慌時であり、経済危機にもかかわらず、平等な経済的機会の実現への制度構築に努力が傾けられた。」≫(東洋経済新報社出版 植田和男東京大学教授書評より)

∇≪ノルウェー連続テロのアンネシュ・ブレイビク容疑者の弁護士は23日夜、同国のテレビに対し、ブレイビク容疑者が事件について、「必要なものだった」と述べたことを明らかにした。弁護士は「彼は連続テロの行動は残忍だと認識しているが、これは必要なものだと考えていると話した」と語った。≫(時事通信) 経済が比較的好調で、普段は平和な国・ノルウェーで、移民排斥を求める右翼政党が、選挙を通じて勢力を大幅に伸ばしているという。連続テロ容疑の乱射殺人犯は、自己の「正当性」を信じて疑っていない。

∇「絶対的に正しい解答」はない。いつも「荘子」の次の寓話を思い出す。<私と君が言い争っているとしよう。君が勝てば私の負け、私が勝てば君が負ける訳だが、果たして勝った方が是で、負けた方が非なのだろうか。真実か否かの絶対的判定者がいないのだから判定できない。仮に第三者がそこに現れて、君の主張に同調したり、又は逆に私に加担したとしよう。それとても単に「第三者」というもう一人がどちらかと意見を同じくしただけのこと。君と私の考えが同じでかつ第三者が賛成した場合も同様だ。皆が同じ意見だっただけの話。──要するに、何が真実で、正義とは何かという問題は、相対的なもので、その是非は永遠に判定できない。>(斉物論)

∇「原発維持」を説く人は現在も少なくないが、流石に「積極的原発推進」派は激減した。「脱原発」派も、「減原発」「縮原発」「卒原発」「段階的脱原発」と「完全脱原発」等の幾つかに分かれる。≪日本はこの先、原子力にどのくらい依存すべきなのか、自問する必要がある。≫(駐日デンマーク大使・F・M・メルビン氏) まさにその通りである。絶対的な意味で「正解」が無い中、我々は「自問」し、最終的には「決断」していかねばならない。それは単純な「二者択一」的安易な発想で片付けられない複雑で多面的な難問を、一つずつ解きほぐしながら、気の遠くなるほど微に入り細を穿って検討されなければならない。今度こそ「国民的議論」を重ねる必要がある。

∇「国民的議論」の方法は色々ある。ざっと思いついた先例を挙げれば次の通りだ。個人の小さな行為を集めて、新しい流れを作った「ジャスミン革命」方式、米国中間選挙で共和党を圧勝させた草の根「茶会」運動方式、最近NHK等が採り入れている視聴者が自由参加できる「パネルディスカッション」、慶応大学が実施した世論調査と熟議を結びつけた「DP(討論型世論調査)」、デンマークでやった、国会下にある委員会主宰の公募市民十数人による「コンセンサス会議」、幾つかの選択肢を国民投票で「意思表示」してもらい、政治がそれを尊重して、国会等で熟議を重ねるという「諮問型国民投票」、複数のこれらの組み合わせ、さらに草の根討議が発展して直接政治行動として意思を訴求する「デモ」etc etc。

∇政治家任せにせず、我々も議論を始めよう。留意すべき第一は、昨日提案した「歩きながら考える」こと。上記メルビン大使曰く、≪もし日本が、事故で失った数千億円を地熱発電やバイオマス、大型風力といった再生可能エネルギーに投資していたら、今頃はより安全でクリーンなエネルギーを手にしていたはずだが、それが真剣に検討されたことはなかった。≫ 選択肢の幾つかの継続的研究の必要性を忘るべからず。第二は、事実を確かめない机上の空論に引きずられるべからず。≪或る学会で懸賞問題を出して答案を募ったが、その問題は「コップに水を一杯入れておいて更に徐徐に砂糖を入れても水が溢れないのは何故か」というのであった。応募答案の中には実に深遠を極めた学説のさまざまが展開されていた。然し当選した正解者の答案は極めて簡単明瞭で「水はこぼれますよ」というのであった。≫(寺田寅彦「台風雑爼」)


政治改革⑳

2011-07-23 18:42:59 | 日記
【国民投票】
≪「日本国憲法」第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。≫
注:「国民投票制度」は、上記第96条に定める日本国憲法の改正に関する手続を内容とする「日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)」に則り実施される。平成22年5月18日に施行された。

∇最近、笠信太郎著「ものの見方について」(角川文庫)の冒頭句がよく脳裏をかすめる。≪イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える。…この筆法でいうなら、ドイツ人もどこかフランス人に似ていて、考えた後で歩き出す、といった部類に属するといってよいかもしれない。歩き出したら、もうものを考えないというたちである。≫──実行と思想が離れ離れでなくどこか老獪なイギリス人、逆に実行が先行するスペイン人、フランス革命に見られる、筋を通して立派に考え、それから一目散に走り出し、その後はもうあまり考えなくて、20年間走り続け、おかげで全欧州を戦火のなかに巻き込んでしまったフランス人等、当時の国民気質を喩えで表し、「ものの見方・考え方」を考察した、非常に考えさせられる古典的名著である。因みに日本人についてはこう概観した。≪どちらかといえば、血気にはやって自分たちが現にやっていることの意味や重みを忘れて突っ走ってしまうようなところは、フランス人に似たようなところもあり、かと思うと、若い人々に特に多いことであるが、「理論」といったものにはずいぶん引きずり廻されるというような点では、ドイツ人に似ているところがあるような気がしないでもない。≫。

∇もっとも、ドイツの理論尊重に似ていると言ったが、≪同じ理論尊重でも、理論の内容を自分で見極めようという努力はおこたりがちである。≫とも。──この笠信太郎の「見方」が当っているとかいないとかは今、問題としない。たゞ、現在にも通用する日本人気質の弱点を言いえて妙なところがあり、第二次世界大戦後のドイツ人気質は大いに変貌し、我が国でも学ぶべき数々の点があることを指摘しておかねばならない、と考える。周知の通り、日本は明治初期以来、欧米諸国から色々学んで、先進国の仲間入りを果たした。例えば、陸軍はフランス式を、海軍はイギリスから、更にドイツの法学を学び、経営や経済は米国から学んだ。そして笠が上著を発刊した昭和32年当時には、次の如き「日本人」像が浮かび上がっていた。≪日本では自然科学の領域でこそ世界的水準の人もだんだん出てきたが、社会科学や歴史学や哲学の方面では、それもまだ寥々たるものである。─日本人自身が展開した大きな体系が、国民の考えに影響し、国民の考えを形つくるまでに至っているような理論的労作というものはまだほとんど皆無に近い。≫。即ち、科学や経済では世界的水準に追いついてきたが、自分の頭で考え、或は見極めるという、所謂「思想」面では、まだ/\自立しているとはいえない、と。我が国民は、その欠陥を背負ったまゝ今日に至っている気がする。

∇この度未曾有の大震災に遭遇し、「税と社会保障の一体改革」に絡んだ復興財源問題や、「脱原発」or「原発維持・推進」等々が、避けられぬ政治上の国策課題として、決断に差し迫られている。そのため、従来のように、単に与野党の方針を問う「解散・総選挙」というよりも、「国民的議論」の必要性、ひいては「国民投票」の是非が有識者・一般国民の間で頻りに論じられるようになってきた。既に一内閣と国会にのみに任される問題の範疇を超えているからである。老生自体は「政治改革」上、非常によい機会だと考える。但し、一気に「国民投票」を実施するのではなく、「国民的論議」を盛んにし、上述した如き、日本人気質を「時間をかけて」是正した後に行なう必要がある。この点、我が国は、“現在のドイツ人気質”に大いに見習うべきであろう。周知の通りドイツは福島第一原発の事故を受けて、他国に先駆けて脱原発政策を正式に決めた。国内に17基ある原子力発電所を2022年までに閉鎖し、風力等再生可能エネルギーを中心とした電力への転換を目指すことに、世論が政府を後押した。今朝の朝日新聞「私の視点」で、ギド・ベスターレ独外相は「熟議経た民意が支える決断」と題して以下の如く論じていた。

∇≪ドイツの決断は、社会の幅広い層の多数意見に支えられている。国内では長年にわたって、原子力の非軍事利用をめぐる議論が徹底的に行なわれてきた。そして、技術面、また計画性や経済性の観点からも、エネルギー政策の転換は実現可能であるという幅広い民主的な合意が出来たのだ。≫と。≪ドイツが今回掲げた目標は、熟議を経た上で決められたものであり、野心的ではあるが現実的でもあるということだ。安定供給、負担可能な価格、温暖化防止や環境への配慮という全ての目標について、責任をもって達成していく。≫とも。ドイツは1990年に風力や太陽光といった再生可能エネルギーの買い取り制度が導入され、その後、左右の政治的対立を超えた約20年以上の「熟議」が交されていた。笠信太郎の≪考えた後で歩き出す≫タイプから、≪歩きながら考える≫人種へと変貌していた。30年以上も脱原発を掲げて戦ってきた「緑の党」のクリス・キューン州代表は、「脱原発の実現後は、脱化石燃料が目標だ」と、次に向かって早くも≪歩きながら考え≫始めている。

∇尚、ドイツでは、戦前のナチスが国民投票・住民投票といった形で合法的に独裁を行ったことへの反省から、直接民主主義的要素を排除し、間接民主主義による政治を徹底して行っているのが特徴とされる。(フリー百科「ウィキペディア」) ドイツ国民が、集団心理を利用して、排外的な愛国主義を扇動したナチス・ファシズムに乗ったのは、自分の頭で考えることをしなかった我々国民の責任だと深く自省したからだ。先日朝日新聞「社説余滴」に、松下秀雄政治担当論説委員が、≪ドイツは戦後、過去を反省して、後任を決めないと首相を不信任できない「建設的不信任」制度を設けた。日本も、その精神に倣ってはどうか。≫と指摘していたが、選挙制度や連邦議会の解散についても、色々な面で新発想を企てゝいるドイツに、我が国も学ぶべきではないか。学ぶことというのは、既成の「制度」「方式」でなはく、その「熟議を経た民意が支える決断」という面でだ。我が国民の質は世界に冠たるものがあることを信じる。決定的に直すべきは、集団になると、笠の言う≪血気にはやって自分たちが現にやっていることの意味や重みを忘れて突っ走ってしまうようなところ≫であり、福沢諭吉の指摘する「惑溺しやすい」気質である。「国民投票」に至るまでの「熟議」=「国民的議論」のやり方については、既に幾つか提案されているものがある。次回以降それらについて考究してみたい。尚、「政治改革」と銘打つのは今回で御終いにする。気随気儘につぶやいていきたいから。今日はこゝまで。

妻の一年忌

2011-07-22 16:51:47 | 日記
○風蘭のゆれて妻思(も)ふ一年忌  楽翁

∇私事ながら、今日は家内の命日。こゝまで来るには色々あったが、過ぎてみれば、あっという間の一年だった。早暁より車を飛ばし、浦和にある霊園に向かった。今日、猛暑は一休み。お蔭で涼しい中での墓参を済ませた。数日前から老生の末弟、友人・知人たち、そして家内生前の「お仲間」グループ、今日も仙台の「うまのすけ」さんやM・Iさん等々が、忌日を覚えていてくれて、香華や供物そして便りの数々を。──改めて有難さに手を合わせた次第である。

∇難聴の老生が聞き取れた、家内の最後の言葉は、「皆、優しかったよ。あいがとう(有難う)」だった。老生「よかったね」家内「(頷く)……」。それから一週間後、疼痛に耐えてきた家内の顔に精気と安らぎが戻り、やがて身体全体を揺すぶるような深い呼吸と眠りの状態に入った。そして7月22日午前8時45分、さながら京都市太秦広隆寺に鎮座まします、かの弥勒菩薩の如き穏やかな表情で他界した。享年58歳だった。老生にとって、かけがいのない、人生最良のパートナーだった。生前沢山の素晴らしい先輩・友人知己に恵まれ、愛された家内。そして終末に施された優れた医師団・看護師・ヘルパーさんらによる手厚い看護や介護の数々。本当に皆々様「あいがとう」ございました。妻よ、天地の大部屋に大の字になって、永遠の偃息を堪能していて欲しい。老生ももう少しこちらにいて、時至れば、そちらに行く。準備は万端整えてあるよ。もっとも、二度と会うことはなかろうがね……。そう/\、キミが友人から株分けして頂いて、玄関前の樫の木に移植した「風蘭」が、心地よさそうに風にゆら/\揺れていた。(写真)