残照日記

晩節を孤芳に生きる。

政治改革Ⅷ

2011-07-03 19:58:30 | 日記
【大衆人の典型的な特徴】
≪(現代の)専門家は自分がたずさわっている宇宙の微々たる部分に関しては非常によく「識っている」が、それ以外の部分に関しては完全に無知なのである。…(だが、この専門家こそが「大衆人」の原型で)我々は「知者・無知者」とでも呼ばねばなるまい。これはきわめて重大な問題である。というのは、この事実は、彼は、自分が知らないあらゆる問題(例えば、政治、芸術、社会慣習、あるいは自分の専門以外の学問等)において無知者としてふるまうのではなく、そうした問題に関しても専門分野において知者である人が持っているあの傲慢さ(人の言葉に耳をかさないことや、より高い見識に従わないこと)を発揮するであろうことを意味しているからである。≫(オルテガ・イ・ガゼット「大衆の反逆」角川文庫)

∇前回まで、政治にとってマスコミ報道は、社会の木鐸たるべき「橋渡し役」であり、世論形成に大きな影響を与えるから、我々は彼らを監視すべきだ、としてその一端を試みてみた。次に監視しなければならないのが有識者・専門家たちである。──さて、オルテガは、ヨーロッパにおける「現代」とは、人々が過去に多くの悲喜劇を繰り返した後、豊かな文明が生まれ、それを当然の如く相続して、文明のの便宜に浴することが出来た「凡庸人」によって支配される社会である、と言う。この「凡庸人」は、生まれたときから苦もせず文明を享受しているため、人生を楽観視し、自分をそのまゝ肯定し、あらゆることに介入し、自分の凡俗な意見を、なんの配慮も内省も手続きも遠慮なしに強行しようとする“甘やかされた子ども”に似ている、とし、そのような彼らを「大衆人」と名付けた。そして、その典型が科学者、医者、技術者、財政家、教師等の所謂「専門家」であると言う。<専門家は自分がたずさわっている宇宙の微々たる部分に関しては非常によく「識っている」が、それ以外の部分に関しては完全に無知なのである>。しかし、<彼の自己満足と自己愛の感情は、彼をして自分の専門外の分野においても支配権をふるいたいという願望にかりたてる>のである。

∇だが、その能力はあまり役立たない。何故なら無知なくせに知者ぶるからである<それはきまり文句、偏見、アイデアの端くれ、空虚な言葉をもって、至るところに介入して来るだけだから。>(色摩力夫著「オルテガ」中公新書) ところで我が国の憲法前文は、≪そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。≫と謳い、国民主権とそれに基く代表民主制の原理を宣言してある。<オルテガの見解によれば、国家がまともに機能するためには、少数の選ばれた者、即ち、エリートと多数の大衆との間に、分業と協力の合理的な関係が成立する以外にない、そしてその前提に、エリートの「模範性」と大衆の「従順性」との間のメカニズムが欠かせない>(同著)とする。オルテガの<エリート>を“国民の信託”によって選出された国会議員による国会、更には行政府としての内閣(殊にその首たる総理大臣)と置き換え、<大衆>を<国民>と同義語と捉えれば、国政がうまく機能し、その福利を国民が享受するためには、分業として信託された政治エリートからなる国会や内閣の「模範性」と、信託した側の国民の「従順性」の双方が欠かせないことになる。

∇もし、国会や内閣の「模範性」が信託に価せず、とした場合、現行の議会制民主主義に於いて、国民が「直接行使」してそれを糺す場面は「選挙」を通じて行なう以外に方法はない。もうひとつが、広義の意味に於ける「世論」という間接的圧力で、彼らを追い込むことである。さて、以上の叙述から、マスコミ・有識者・専門家の役割を問えば、何度も言うように、国民が世論形成するに役立つ、公平な「橋渡し」役である、と断じていいだろう。そして、国民の「従順性」とは、彼等から得た情報を元に、誤報・妄語に惑わされず、自分たちが選出した政治エリートたちを信じ、彼らに協力・協同することを指す。そういう原点に戻って近時のマスコミ・有識者・専門家を鑑みる時、彼らはまさにオルテガが言う<「大衆人」化した「専門家」>になり下がっている危惧を感じる。即ち、彼らは、自分がたずさわっている狭い専門領域以外に関しては完全に無知なのに、<自分の専門外の分野においても支配権をふるい>たがる。<それはきまり文句、偏見、アイデアの端くれ、空虚な言葉をもって、至るところに介入して来るだけだけ>なのに。──

∇端的に言えば、この<「大衆人」化した「専門家」>たちは、決まって、時の政府をこき下ろす役を演じる特徴がある。政治の何たるかを知らぬくせに、<なんの配慮も内省も手続きも遠慮なしに>、どか/\「政治評論の場」に土足で踏み入り、知らず識らず国民の「従順性」を打ち破ろうとする方向にベクトルを働かせる。彼らが共通して使う用語が、例えば「リーダーシップの欠如」「求心力低下」「長期ビジョンがない」「国家戦略的思考の欠如」「政治理念の欠如」「政治空白」「初動ミスと対応後手」「外交戦略欠乏」etc etcだ。我々国民は、<「大衆人」化した「専門家」>たちの尻馬に乗って、我々が選び我が国家を率いている政治エリートを、こき下ろして、<日本国総理大臣の地位と政治主導の名を地に堕しめ>て(「21世紀臨調」提言に出る言葉)、他人事のように、ほくそ笑んでいる場合ではない。例えば「精神科医 香山リカ氏の話」として昨日の朝日に掲載された次の記事をどう読むか。

≪大局的な見方苦手に見える──首相はもともと市民運動家なので、対立構造がはっきりし、目の前に困難のある方が元気が出てくるのだろう。目先の課題に取り組むことは得意なようだが、ものごとを大局的にとらえるのは苦手のようにみえる。震災直後は日本をどう立て直すのかが問われたが、長期的なビジョンを打ち出すことはできなかった。今はがれきの処理といった具体的な課題が目の前にあり、それはツボにはまっている。問題は、首相という立場でやる必要があるかどうかでしょう。≫

∇①<目先の課題に取り組むことは得意なようだが、ものごとを大局的にとらえるのは苦手のようにみえる。>②<震災直後は日本をどう立て直すのかが問われたが、長期的なビジョンを打ち出すことはできなかった。>③<今はがれきの処理といった具体的な課題が目の前にあり、それはツボにはまっている。問題は、首相という立場でやる必要があるかどうかでしょう。>と分けて読者諸兄姉が落ちついて読めば、たかが一介の「精神科医」が、傲岸不遜にも総理の仕事を子どもを見下ろす態度で批評していることに腹立つ筈である。①<ものごとを大局的にとらえるのは苦手>、例えばどういう事実に関して?、それがどうあれば「大局的」なのか?、香山氏ならそれが簡単にできるのか? ②<震災直後に長期的ビジョン>なんか出せるはずがない。どうしたら一刻も早く、原発被害を押さえ、被災者を救援するかで精一杯だろう。まさにこの言葉こそが当事者意識を欠いた、無責任で空虚で他人を批判する決まり言葉の一例である。③<がれき処理>などといった(低次元の)仕事は菅首相にお似合いだが、それを<首相という立場でやる必要があるかどうかでしょう>などと人を小馬鹿にした言葉を平気で使う。この“高名なる”精神科医の精神頭脳こそ疑われるべきだと思うがどうだろう。 今日はこゝまで。