残照日記

晩節を孤芳に生きる。

政治改革⑲

2011-07-20 18:56:41 | 日記
【阿留辺幾夜宇和】
≪人は阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)と云ふ七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。乃至(ないし)、帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。此のあるべき様を背く故に、一切悪きなり。≫(「栂尾明恵上人遺訓」)

【それぞれの分を尽くす】
≪斉の景公政を孔子に問う。孔子対(応)えて曰く、「君 君たり、臣 臣たり」。≫(顔淵篇)≪子夏が曰く、百工、肆(し=店)に居て以て其の事を成す。君子、学びて以て其の道を致す。( 子夏が言った、「職人達は仕事場にいてそれでその仕事を仕上げる。君子は学問をしてそれでその道を極める。」と。≫ (子罕篇)≪子曰く、命を為(作)るに卑ジンこれを草創し、世叔これを討論し、行人(外交官)子羽これを脩飾し、東里の子産これを潤色す。( 孔子が言うには、「[鄭(てい)の国の外交文書は大変勝れていて、落ち度が無かった。その理由は]命令書を作るときには、卑ジンが草稿を作り、世叔がこれを検討し、外交官の子羽が添削し、東里にいた子産が色付けしたからだ。」と。≫ (憲問篇)

≪首相、沢選手に「まとめる力学びたい」──「うまくまとめ上げるのはプロの力量。私も今から勉強するのは間に合いませんが、そういうところを学びたい」。菅直人首相は19日、サッカーの女子ワールドカップで優勝した日本代表メンバーの表敬を受けて主将の沢穂希選手にこう語りかけた。沢選手は「スタッフやチームメート、応援してくれた皆さんのおかげ」と笑顔で答えた。 沢選手は表敬後、「チームが一丸となり、最後まで諦めないプレーを全面的に出せたのが良かった」と記者団に語った。「首相に何かアドバイスを」と問われると、「ないです」とほほえんだ。≫ (7/20朝日新聞)≪菅首相は19日午前の衆院予算委員会で、サッカー女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会での日本代表(なでしこジャパン)の優勝について、「ネバーギブアップ、絶対にあきらめないという気迫が優勝という素晴らしい結果をもたらした。全国民、特に被災地の皆さんに大きな勇気を与えていただいた」と称賛した。そのうえで、「『なでしこジャパン』の行動には、私もやるべきことがある限りはあきらめないで頑張らなければならないと感じた」と語り、政権運営への意欲を示した。≫(7/19読売新聞)

∇昨夜NHKの「ニュースウオッチ9」に「なでしこジャパン」の主力選手たちが出演した。「今回世界一になれたキーワードは?」を問われ、彼女たちがボードに書いた文字は、「団結力」「チームワーク」「ベンチワーク」「絆」「仲間」だった。即ち、沢選手の語る、≪チームが一丸となり、最後まで諦めないプレー≫が、「勝利の女神」を呼び込む大きな要素であることを、あらゆる組織のリーダーたちに再認識させてくれた。それにしても、このチームは何と爽やかな印象を与えてくれるのだろう。どうも気負わない自然体の雰囲気にその鍵があるような気がする。それは何故だろうか。思うに、≪チームが一丸とな≫ったのも、≪最後まで諦めな≫かったのも、ただ一点、「選手皆が優勝したかった」の一念にあったからなのではないか。菅首相が沢選手に「まとめる力を学びたい」と言ったというが、彼女に所謂強烈な「リーダーシップ」があったようには見えないし、肝心の佐々木監督の風貌・指揮ぶりを垣間見ても、「ムードメーカー」風ではあるが、特段優れた「リーダーシップ」を発揮したようにも見えない。好きなサッカーで「世界一」になりたい者たちが集り、ひたすら頑張った。たゞそれだけだったのではないか。

∇そうだとすれば、これからの「チームワーク」や「リーダーシップ」のあり方へのよきヒントになりそうだ。政治上のそれにも当て嵌まる気がする。何度もこのブログで述べてきたように、現在抱える政治上の問題は、突然勃発した未曾有の大震災に手探りで試行錯誤せざるを得ない問題や、過去の内閣により先送りされてきた≪「解決不可能」な問題だけが問題になる≫(ダニエル・ベル)超難題ばかり。しかも、≪議会政治が行き詰まり、もはやどの党派も多数派を占められなくなった≫(同)状態で議会政治が行なわれている。ズバリ言えば、問題の難度や複雑さは、一人の天才政治家が仮に現れたとしても、易々と片付けられるような範疇にない。なのに、相も変わらずマスコミや有識者、そして野党、否、与党内でさえ、首相に「首相たる品格」「明確な理念・方針」「強烈なリーダーシップ」等を要求し、すべての責任を押し付けている。冷静であるべきな歴史学者や政治学者でさえ、その陥穽に陥り、所謂「賢人宰相論」「英雄待望論」がまことしやかに語られ、希求される。卑近なところを例示すれば、例えば先日読売新聞の「書評」欄に載った、歴史学者で東大教授・山内昌之氏の、ヒューム著「道徳・政治・文学論集」(名古屋大学出版会)がそうだ。題名は「賢人が導く良き政治」。

∇山内氏は「書評」の冒頭に、≪菅直人首相の日々の言動に絶望している市民にとって、日本政治の現状を静かに反省する手がかりとなる書物である。≫、として書中の「人間本性の尊厳ないし卑しさについて」というエッセイが現代政治を考える上で有益である、として次の如く述べている。≪確かに世には、賢明な人や有徳の人と呼べる人は少ないかもしれない。しかし、賢明や有徳とは知恵や美徳の度合いにかかわるものでなく、或る人を別の人と比較する作業から生じる考えなのだ。世界に賢人はほとんどいないと断定することは、実際何も言っていないに等しい。あえていえば、誰が首相になっても同じという言説は間違いである。ヒューム風にいうなら、比較すれば高い知恵をもつ人が必ず存在し、その人はよりましな首相として国民を導けるということなのだ。いわば無政府状態に瀕した日本をもう一度文明社会へ戻すために勇気を与えてくれる重厚な書物である。≫と。では訊こうではないか。≪比較すれば高い知恵をもつ人が必ず存在し、その人はよりましな首相として国民を導ける≫という≪よりましな首相≫とは誰か。そしてこの書評は誰を対象に一読を薦める文章なのか。従って、誰にとって≪日本政治の現状を静かに反省する手がかり≫となるのか。

∇本文を読んでいないので断言はできないが、恐らく、ヒュームのこの文章は、世に凄い賢人・有徳者がいなくても、ダメな政治家を、彼より優れた政治家に代えることが重要だ、と述べたものではあるまい。山内氏の書評は、暗に菅首相を入れ替えよと誰かにそゝのかしているだけのものだ。ヒュームが「いやはや、体よく利用されてしまっているわい」と苦笑いしている筈だ。現代の一流学者とされる山内昌之氏にしてこの程度だ。──「なでしこジャパン」に戻ろう。彼女たちには全世界チームと比較した際、飛びぬけて凄い監督や選手はいなかった。だが勝った。無論世界に通用する技術は持っていた。しかし、一番の勝因は、「一人一人が自分の分を尽くしきった」ことではなかろうか。際立ったリーダーシップを持った監督は、自在に選手を操る。当然選手たちは監督の采配に頼る。又、飛びぬけて優れた選手のいるチームは必然的にその選手に頼る。だが競技が始まれば、競技場はまさに「戦場」だ。一瞬一瞬臨機応変の対処が要求される。出場選手には持場持場での役割が課せられている。スター選手ばかりにボールを送れない。監督の顔を見ている暇なぞない。勢い、一人一人の「勝利」への熱意や執念と、役割の成就だけが競技を好転させることに繋がる。あとは「神意」に任せるだけだ。「なでしこ」たちはそうして勝った。

∇政治にも適用できないか。考えてみれば、凄いリーダーが存在すること自体、国民の質が低い証左ともいえる。現在、凄い「リーダーシップ」を持つ人物が支配する国家を挙げてみれば分る。今朝の朝日新聞のインタビュー記事「知識人とは」で、国際政治学者の坂本義和氏がこう述べていた。≪今日の世界で代表的な政治家といったら、だれを思い浮かべますか。一時期はオバマ米大統領だったでしょうが、今やその輝きはありません。しかし、それは単に政治家の力量が足りないのではなく、いま世界全体で構造的な変化が生じていて、国家とか市場という20世紀の枠組みではとらえきれない問題が起きているからです。…新しい発想や構想はまだ模索中なのです。新しいビジョンンがなければ、優れた指導者も出ない。こうした時代の政治家は気の毒ですが、みな小者に見えてしまう。≫と。そして彼はこう加えた。≪これからの主体となるのは、市民だと思います。…NGOの活動などを見ても、国境を超えて交流し、現地の人の自立を支援する高い能力を持つ市民のネットワークが生まれています。…(こうした)市民の連帯をどうグローバル化していくかが、重要な課題になるでしょう。≫と。政府主導だけに頼らない市民レベルでの小さなグループの集合体、何もかも政府の責任にせず、自治体は自治体のやるべきことを、官僚や企業も政府に癒着せず、科学者等有識者、マスコミも≪人間が人間らしく生きるために≫どうすべきかを、餅屋餅屋で構想し、互いの分を尽くす。無論市民も可能な限り「自立」する。……。「なでしこジャパン」から学ぶ点はこの辺にありそうだ。今日はこゝまで。遅れましたが、八十悟空さんの激励に感謝!!