残照日記

晩節を孤芳に生きる。

政治改革⑳

2011-07-23 18:42:59 | 日記
【国民投票】
≪「日本国憲法」第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。≫
注:「国民投票制度」は、上記第96条に定める日本国憲法の改正に関する手続を内容とする「日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)」に則り実施される。平成22年5月18日に施行された。

∇最近、笠信太郎著「ものの見方について」(角川文庫)の冒頭句がよく脳裏をかすめる。≪イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える。…この筆法でいうなら、ドイツ人もどこかフランス人に似ていて、考えた後で歩き出す、といった部類に属するといってよいかもしれない。歩き出したら、もうものを考えないというたちである。≫──実行と思想が離れ離れでなくどこか老獪なイギリス人、逆に実行が先行するスペイン人、フランス革命に見られる、筋を通して立派に考え、それから一目散に走り出し、その後はもうあまり考えなくて、20年間走り続け、おかげで全欧州を戦火のなかに巻き込んでしまったフランス人等、当時の国民気質を喩えで表し、「ものの見方・考え方」を考察した、非常に考えさせられる古典的名著である。因みに日本人についてはこう概観した。≪どちらかといえば、血気にはやって自分たちが現にやっていることの意味や重みを忘れて突っ走ってしまうようなところは、フランス人に似たようなところもあり、かと思うと、若い人々に特に多いことであるが、「理論」といったものにはずいぶん引きずり廻されるというような点では、ドイツ人に似ているところがあるような気がしないでもない。≫。

∇もっとも、ドイツの理論尊重に似ていると言ったが、≪同じ理論尊重でも、理論の内容を自分で見極めようという努力はおこたりがちである。≫とも。──この笠信太郎の「見方」が当っているとかいないとかは今、問題としない。たゞ、現在にも通用する日本人気質の弱点を言いえて妙なところがあり、第二次世界大戦後のドイツ人気質は大いに変貌し、我が国でも学ぶべき数々の点があることを指摘しておかねばならない、と考える。周知の通り、日本は明治初期以来、欧米諸国から色々学んで、先進国の仲間入りを果たした。例えば、陸軍はフランス式を、海軍はイギリスから、更にドイツの法学を学び、経営や経済は米国から学んだ。そして笠が上著を発刊した昭和32年当時には、次の如き「日本人」像が浮かび上がっていた。≪日本では自然科学の領域でこそ世界的水準の人もだんだん出てきたが、社会科学や歴史学や哲学の方面では、それもまだ寥々たるものである。─日本人自身が展開した大きな体系が、国民の考えに影響し、国民の考えを形つくるまでに至っているような理論的労作というものはまだほとんど皆無に近い。≫。即ち、科学や経済では世界的水準に追いついてきたが、自分の頭で考え、或は見極めるという、所謂「思想」面では、まだ/\自立しているとはいえない、と。我が国民は、その欠陥を背負ったまゝ今日に至っている気がする。

∇この度未曾有の大震災に遭遇し、「税と社会保障の一体改革」に絡んだ復興財源問題や、「脱原発」or「原発維持・推進」等々が、避けられぬ政治上の国策課題として、決断に差し迫られている。そのため、従来のように、単に与野党の方針を問う「解散・総選挙」というよりも、「国民的議論」の必要性、ひいては「国民投票」の是非が有識者・一般国民の間で頻りに論じられるようになってきた。既に一内閣と国会にのみに任される問題の範疇を超えているからである。老生自体は「政治改革」上、非常によい機会だと考える。但し、一気に「国民投票」を実施するのではなく、「国民的論議」を盛んにし、上述した如き、日本人気質を「時間をかけて」是正した後に行なう必要がある。この点、我が国は、“現在のドイツ人気質”に大いに見習うべきであろう。周知の通りドイツは福島第一原発の事故を受けて、他国に先駆けて脱原発政策を正式に決めた。国内に17基ある原子力発電所を2022年までに閉鎖し、風力等再生可能エネルギーを中心とした電力への転換を目指すことに、世論が政府を後押した。今朝の朝日新聞「私の視点」で、ギド・ベスターレ独外相は「熟議経た民意が支える決断」と題して以下の如く論じていた。

∇≪ドイツの決断は、社会の幅広い層の多数意見に支えられている。国内では長年にわたって、原子力の非軍事利用をめぐる議論が徹底的に行なわれてきた。そして、技術面、また計画性や経済性の観点からも、エネルギー政策の転換は実現可能であるという幅広い民主的な合意が出来たのだ。≫と。≪ドイツが今回掲げた目標は、熟議を経た上で決められたものであり、野心的ではあるが現実的でもあるということだ。安定供給、負担可能な価格、温暖化防止や環境への配慮という全ての目標について、責任をもって達成していく。≫とも。ドイツは1990年に風力や太陽光といった再生可能エネルギーの買い取り制度が導入され、その後、左右の政治的対立を超えた約20年以上の「熟議」が交されていた。笠信太郎の≪考えた後で歩き出す≫タイプから、≪歩きながら考える≫人種へと変貌していた。30年以上も脱原発を掲げて戦ってきた「緑の党」のクリス・キューン州代表は、「脱原発の実現後は、脱化石燃料が目標だ」と、次に向かって早くも≪歩きながら考え≫始めている。

∇尚、ドイツでは、戦前のナチスが国民投票・住民投票といった形で合法的に独裁を行ったことへの反省から、直接民主主義的要素を排除し、間接民主主義による政治を徹底して行っているのが特徴とされる。(フリー百科「ウィキペディア」) ドイツ国民が、集団心理を利用して、排外的な愛国主義を扇動したナチス・ファシズムに乗ったのは、自分の頭で考えることをしなかった我々国民の責任だと深く自省したからだ。先日朝日新聞「社説余滴」に、松下秀雄政治担当論説委員が、≪ドイツは戦後、過去を反省して、後任を決めないと首相を不信任できない「建設的不信任」制度を設けた。日本も、その精神に倣ってはどうか。≫と指摘していたが、選挙制度や連邦議会の解散についても、色々な面で新発想を企てゝいるドイツに、我が国も学ぶべきではないか。学ぶことというのは、既成の「制度」「方式」でなはく、その「熟議を経た民意が支える決断」という面でだ。我が国民の質は世界に冠たるものがあることを信じる。決定的に直すべきは、集団になると、笠の言う≪血気にはやって自分たちが現にやっていることの意味や重みを忘れて突っ走ってしまうようなところ≫であり、福沢諭吉の指摘する「惑溺しやすい」気質である。「国民投票」に至るまでの「熟議」=「国民的議論」のやり方については、既に幾つか提案されているものがある。次回以降それらについて考究してみたい。尚、「政治改革」と銘打つのは今回で御終いにする。気随気儘につぶやいていきたいから。今日はこゝまで。