残照日記

晩節を孤芳に生きる。

待ちの時

2011-07-31 18:10:01 | 日記
【「待つ」という解決法】(「論語」より)
≪子游曰く、君に事(つか)うるに数々(しばしば)すれば、斯(ここ)に辱められ、朋友に数々(しばしば)すれば、斯(ここ)に疎んぜらる。≫(里仁篇)≪子曰く、「大臣なる者は、道を以て君に事(つか)え、不可なれば則ち止む」≫(先進篇)≪子貢、友を問う。子曰く、忠もて告げて善もて之を導く。不可なれば則ち止む。自ら辱めらるること無かれ。≫(顔淵篇)⇒主君や友人に過失又は異論があって、諫言するにしても、「数々(しばしば)する」な。口やかましくやりすぎると、却って嫌がられ、反発心に火を点け、主君からは恥辱を受けることになったり、友からは疎遠にされる。このような時の処世法は「不可なれば則ち止む」、即ち「待ちの哲学」が必要だ、と。

【政治を判断する座標軸】(7/31東京新聞「社説」)
≪政治に対する厭世気分が広がっている。根本原因を探れば、国民に「政策を軸にした選択肢」が用意されていない点にあるのではないか。菅直人政権の内閣支持率が急落している。時事通信によれば、七月の支持率は前月に比べて9・4ポイント落ちて12・5%。他の調査でも同じ傾向だ。脱原発を掲げて上昇する要素もあったが、そうはならなかった。事実上「辞める」と言いながら、ずるずると首相が居座る姿に多くの人々がいらだっている。では野党の人気が高まったかというと、そうなっていない。自民党の支持率は15%にとどまり、支持政党なしが67・4%に上っている。つまり、菅政権は支持できないが自民党も支持できない。そんな民意がうかがえる。これは何を意味するか。大胆に言えば、既成二大政党の枠組みが国民の声を十分にすくい上げていない。そう思う。世論調査が絶対とは言わないが。…≫(注:ですます体をである体に変更してある)

∇今朝の東京新聞の社説は、他紙にみられる現政権のみの批判傾向に止まらず、野党第一党である自民党をくるめての「両成敗」と、今後の提案について一歩踏み込んだ点で賛同できる。当該社説は上記に続いて、≪国民が政治に求めるのは政策だ。突き詰めれば、だれが首相だろうと、多数が望む政策をちゃんと実行してくれればそれでいい。国民の採点は選挙で示す。そういう仕組みが機能するには、政治家と政党が実現しようとする政策を明快に掲げ、政権をとったなら約束通りに実行してもらわなくてはならない。ところが残念ながら、そうなっていない。民主党政権は二年前の総選挙で「脱官僚・政治主導」の旗を掲げて圧勝したが、いま見る影もない。…政権が掲げた旗を隠してしまうなら、代わりに私たちが政党と政治家に政策を問うてみたい。それが「政治を考える座標軸」になると思うからだ。≫として「増税・原発・公務員制度」の三点を挙げる。①増税に関しては≪「改革なくして増税なし」「成長なくして財政再建なし」と考える党内野党勢力が両党に存在しているから≫ウヤムヤのまゝ。②原発・エネルギー問題に関しても民主党側は「脱原発」否「減原発」の≪言葉遊び≫だし、自民党側も≪脱原発論者から強力な原発推進派まで混在≫している。そして③公務員制度改革は全く進展していない。寧ろ≪民主党政権は逆コースを進んでいる≫と。

∇更に続ける。≪増税と原発推進、公務員制度改革への抵抗。この裏側には共通点がある。それは「官僚の既得権益」だ。増税が実現すれば差配できる予算が増える。原発推進政策は電力会社への官僚天下り利権と表裏一体だった。議員を選ぶ国民から見れば、政党が「増税、原発・エネルギー、公務員制度改革」という三つの座標軸ですっきりと立場が異なれば投票で判断しやすい。ところが自民、民主の二大政党は中がてんでんばらばら、どっちに転ぶか分からない状況で選びようがない。それが現状だ。≫ じゃあどうするか。≪当面は政党ではなく個々の議員の政治行動をしっかり監視する。選挙前の公約と実際の行動が違っているようなら、次の選挙で支持しない。メリハリが必要だ。…政治家一人ひとりの真価が問われている。≫というのである。殆どの世論調査が内閣支持率の凋落振りのみを強調し、結局「菅おろし」に加担して「ハイそれまで」で終ってしまうのに比し、東京新聞の社説が意味を持つのは、≪支持政党なしが67・4%に上っている。つまり、菅政権は支持できないが自民党も支持できない。そんな民意がうかがえる。これは何を意味するか≫、という点に焦点を当てたことにある。そして「座標軸」として、当面は≪個々の議員の政治行動をしっかり監視する≫ことを提案している。誰がどんな発言をしたか、しっかり記憶して、爾後の行動との整合性をチェックしよう、そうやって時を待とう、と。賛成できる提案だ。

∇確かに、「君子は機をみて作(為)し、日を終わるを俟たず」(「易経」繋辞下伝)の言葉通り、「機敏さ」は勿論大事だが、それはまさに“時機到来”の時の処世法だ。現在は「易経」で「待ちの時」を意味する「需(じゅ)」の卦の時。即ち、≪雲が天に上り、まだ雨となって大地を潤すには至らぬ時。かような時は、君子は悠々と飲食享楽して時を待て≫。愈々8月、菅直人首相が辞任表明した所謂「辞任期限の月」に差し掛かった。それが盆前か、8月末ギリギリかは首相専権事項且つ首相の戦術であるので未だ明然としないが、こゝまでくれば時間の問題で、水面下では静かに「ポスト菅」の動きも察せられる。マスコミや国民にとってギャア/\騒がず「待つ度量」が必要な時だと思う。自然は音も香も無く時を刻んで、しかるべき頃合に万物を生成化育している。ものなべて時に遭わねば開花しない。それまでじっと待っている。時あたかも、経産省原子力安全委と電力業界との「やらせ」問題が発覚している。この徹底的究明の道筋だけは現内閣で詰めてもらいたい。思わぬ“ネズミ”が飛び出てくるやも知れない。日本のエネルギー問題の根幹を揺すぶり兼ねない緊急焦眉の課題だ。東京新聞が「監視」課題に挙げた「増税・原発・公務員制度」にも関連する。もう少しの辛抱だ、「社説」の提言を組み入れて待ってみよう。今は「需」の時、当事者は“人事を尽くして天命を俟つ”。即ち≪人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない。≫(「広辞苑」) 老生の如き隠居爺は、≪悠々と飲食享楽して時を≫待とう。