残照日記

晩節を孤芳に生きる。

国民的議論

2011-07-24 18:07:04 | 日記
【経済成長神話の否定】哲学者 梅原猛
≪問:「原発を廃止するにはどうすればよいか。」⇒梅原:「エネルギー政策の転換⇒太陽光発電システムの開発しかない。もう一つ重要なことは、やたらにエネルギーを消費し、暖衣飽食することを理想とする文明を変えるべきである。エコノミックアニマルの国家を否定しなければならぬ。利他の精神に満ちた文化国家にせねばならぬ。…今、被災地の過酷な状況の中で助け合う人々を見るとあながち不可能ではない。≫(3/26京都新聞)。

『経済成長とモラル』ベンジャミン・M・フリードマン著
≪問:「人間、あるいは社会全体は所得水準が向上すると、より開放的、寛容になり、さらには民主的な諸制度も広まるものなのだろうか。あるいは逆に他人のことは忘れがちになるのだろうか。」⇒B・M・フリードマン:「経済成長と社会のモラルがお互いにプラスの影響を及ぼしあうと結論している。…興味深い例外は大恐慌時であり、経済危機にもかかわらず、平等な経済的機会の実現への制度構築に努力が傾けられた。」≫(東洋経済新報社出版 植田和男東京大学教授書評より)

∇≪ノルウェー連続テロのアンネシュ・ブレイビク容疑者の弁護士は23日夜、同国のテレビに対し、ブレイビク容疑者が事件について、「必要なものだった」と述べたことを明らかにした。弁護士は「彼は連続テロの行動は残忍だと認識しているが、これは必要なものだと考えていると話した」と語った。≫(時事通信) 経済が比較的好調で、普段は平和な国・ノルウェーで、移民排斥を求める右翼政党が、選挙を通じて勢力を大幅に伸ばしているという。連続テロ容疑の乱射殺人犯は、自己の「正当性」を信じて疑っていない。

∇「絶対的に正しい解答」はない。いつも「荘子」の次の寓話を思い出す。<私と君が言い争っているとしよう。君が勝てば私の負け、私が勝てば君が負ける訳だが、果たして勝った方が是で、負けた方が非なのだろうか。真実か否かの絶対的判定者がいないのだから判定できない。仮に第三者がそこに現れて、君の主張に同調したり、又は逆に私に加担したとしよう。それとても単に「第三者」というもう一人がどちらかと意見を同じくしただけのこと。君と私の考えが同じでかつ第三者が賛成した場合も同様だ。皆が同じ意見だっただけの話。──要するに、何が真実で、正義とは何かという問題は、相対的なもので、その是非は永遠に判定できない。>(斉物論)

∇「原発維持」を説く人は現在も少なくないが、流石に「積極的原発推進」派は激減した。「脱原発」派も、「減原発」「縮原発」「卒原発」「段階的脱原発」と「完全脱原発」等の幾つかに分かれる。≪日本はこの先、原子力にどのくらい依存すべきなのか、自問する必要がある。≫(駐日デンマーク大使・F・M・メルビン氏) まさにその通りである。絶対的な意味で「正解」が無い中、我々は「自問」し、最終的には「決断」していかねばならない。それは単純な「二者択一」的安易な発想で片付けられない複雑で多面的な難問を、一つずつ解きほぐしながら、気の遠くなるほど微に入り細を穿って検討されなければならない。今度こそ「国民的議論」を重ねる必要がある。

∇「国民的議論」の方法は色々ある。ざっと思いついた先例を挙げれば次の通りだ。個人の小さな行為を集めて、新しい流れを作った「ジャスミン革命」方式、米国中間選挙で共和党を圧勝させた草の根「茶会」運動方式、最近NHK等が採り入れている視聴者が自由参加できる「パネルディスカッション」、慶応大学が実施した世論調査と熟議を結びつけた「DP(討論型世論調査)」、デンマークでやった、国会下にある委員会主宰の公募市民十数人による「コンセンサス会議」、幾つかの選択肢を国民投票で「意思表示」してもらい、政治がそれを尊重して、国会等で熟議を重ねるという「諮問型国民投票」、複数のこれらの組み合わせ、さらに草の根討議が発展して直接政治行動として意思を訴求する「デモ」etc etc。

∇政治家任せにせず、我々も議論を始めよう。留意すべき第一は、昨日提案した「歩きながら考える」こと。上記メルビン大使曰く、≪もし日本が、事故で失った数千億円を地熱発電やバイオマス、大型風力といった再生可能エネルギーに投資していたら、今頃はより安全でクリーンなエネルギーを手にしていたはずだが、それが真剣に検討されたことはなかった。≫ 選択肢の幾つかの継続的研究の必要性を忘るべからず。第二は、事実を確かめない机上の空論に引きずられるべからず。≪或る学会で懸賞問題を出して答案を募ったが、その問題は「コップに水を一杯入れておいて更に徐徐に砂糖を入れても水が溢れないのは何故か」というのであった。応募答案の中には実に深遠を極めた学説のさまざまが展開されていた。然し当選した正解者の答案は極めて簡単明瞭で「水はこぼれますよ」というのであった。≫(寺田寅彦「台風雑爼」)


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