残照日記

晩節を孤芳に生きる。

批判・判断力

2011-07-25 18:27:21 | 日記
≪2次補正予算が成立…首相退陣3条件の一つ──東日本大震災からの復旧に向けた追加策を盛り込んだ2011年度第2次補正予算は、25日の参院本会議で与党と自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。第2次補正予算は、総額1兆9988億円で、東京電力福島第一原子力発電所事故の賠償関連経費と、被災企業や個人が抱える「二重ローン」問題の対策費が柱。菅首相は、第2次補正予算と、赤字国債を発行するための特例公債法案、再生可能エネルギー特別措置法案の成立を退陣3条件としている。≫(7/25読売新聞)

【だまされぬ批判力を育もう】無職 田中徹 71歳
≪原発さえなかったら、原発が憎い、安全神話にだまされた。過去に聞いたことがあるような言葉である。先の戦争の直後には、戦争さえなかったら、戦争が憎い、皇国神話にだまされた、と国民は言った。多大の犠牲と損害を被った心痛の声だったと思う。しかしまた、神話にだまされたのである。ということは誰かだました者がいることになる。私は先の戦争も今回の原発をめぐる問題もマスコミには一定の責任は免れないと思う。マスコミは権力の側に偏っていないか常に自問してほしい。そして、私たち国民も簡単にだまされないように、ふだんから批判的な目や心を育てなければならない。(後略)≫(7/20 朝日新聞「声」欄より)

∇最近「読者の声蘭」に、≪「原発の是非、自分で考えよう」──自分たちの安全を人任せにしておくのは、そろそろやめるべきだ。そう指摘すると「自分たちには十分な情報も知識もないから無理だ」という言葉が返ってくるだろう。でもドイツなどの人々は自分の頭で考え、原発に「ノー」を突きつけた。≫(世田谷区65歳男性)、という類いの投稿が目立って増えてきている。それは「原発問題」に限らない。国民をだまし続けてきた政治家、企業、マスコミ、有識者への批判は、大震災発生後4ヶ月を経て、加速度を増している感がする。国民は冷静さを取り戻し、批判の矛先を、だまされて来た我々国民側にもある、自分の頭で彼等の発する情報を咀嚼し、その虚実を見抜く判断力を育むべく努力すべきだ、と自己反省に向けられ始めた。いゝ傾向だ。S・スマイルズではないが、≪国民全体の質がその国の政治の質を決定する。…暴君に統治された国民は確かに不幸である。だが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。奴隷のような心を持った国民は、単に国のリーダーや制度を変えただけでは囚われの身から解放されはしない。≫(「自助論」三笠書房版)

∇先日家内の一周忌に、香華を手向けに訪れてくれた友人が、雑談の折、政局の昏迷も困ったものだが、それにしても近年のマスコミの体たらくぶりを厳しい言葉で批判していた。世論を育て上げていくべきマスコミが、国民の範を垂れていない、と。確かに、例えば朝日新聞の、政局に関する一ヶ月分の社説や論説委員の主張をざっと拾い読みしてみるとよい。「時宜の逸脱」「論旨不明」「場当たり主張」「右顧左眄」等の乱脈ぶりが、如実に浮かび上がってくる。我が国“代表紙”の一つとされる朝日新聞の論説首脳陣が、何故かくも凡庸知識人になり下がってしまったのか。笠信太郎「ものの見方」の冒頭に出る、≪スペインの明敏な外交官、マドリヤーガが書いた≫言葉から引用された、イギリス人気質=「歩きながら考える」をもじって言えば、「考えながら歩く」からそうなってしまっているのではないか。「歩きながら考える」という所作は、例えば、政治上の課題で或る方向の決断をした後も、それを不断にチェックしつゝ、かつ並行して少数異論の優れた意見を採り入れたりしながら、決断の適否を監視・修正する態度を指している。一方で、「考えながら歩く」やり方は、志向する方向そのものが決まらないまゝ歩いているので、周りの顔色やざわめきが気になってしょうがない。結果“場当たり主義”に陥ってしまう。

∇最近、英国のルパート・マードック氏傘下の英大衆紙が引き起こした「盗聴事件」が、メディア不信を炙り出した。まさにこれこそ、かつての「歩きながら考える」イギリ人気質が、「考えながら歩く」現代気質へと変貌している一端を窺わせる違法行為事件である。≪何でもありの取材が横行する背景には、スキャンダルやゴシップを扱う大衆紙が最もよく売れる英国の新聞文化もある。≫と24日の朝日新聞は他人事のように伝えているが、実は朝日とて同罪を犯していることを認識していない。今朝の「座標軸」で、主筆たる若宮啓文氏が論じている「菅首相よ、ゲリラに戻れ─さらば暗い政治」は、ハッキリ言って読むに耐えない「考えながら歩いて」いる、時宜を逸脱し、論旨乱脈した論説の“悪見本”である。時あたかも毎日新聞「風知草」で、山田孝男氏が「みんな直人が悪いのか」と題して原発問題を手際よく論じているが、余程かつてのバランスよい朝日論説に近い。こゝで「かつての朝日論説」とは、例えば「ものの見方について」「花見酒の経済」の名著を著し、朝日新聞論説主幹を務めた笠信太郎の「社説」等を指す。彼の書いた昭和29年8月16日付「世論・新聞・民衆」と、今朝の若宮社説を具体的に比較して、次回、「歩きながら考える」マスメディアのあり方を一考してみることにしたい。今日はこゝまで。

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