残照日記

晩節を孤芳に生きる。

政治改革⑭

2011-07-11 18:32:43 | 日記
≪首相 原発争点の解散は考えず──菅総理大臣は衆議院本会議で、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、今の政権だけでなく、これまで与党だった自民・公明両党にも責任があるという考えを示す一方で、原発問題を争点にした、衆議院の解散・総選挙は「一切考えていない」と述べた。≫(7/8NHKニュース)

∇≪<原発>2段階で安全評価…「1次」で再開判断 政府見解──政府は11日午前、原発の安全性確認に関する統一見解を発表した。定期検査で運転停止中の原発については設計上の想定を超える地震や津波などにどの程度耐えられるかを比較的短期間で確認する「1次評価」で再稼働の可否を判断。そのうえで、運転中も含むすべての原発を対象に、新たな基準に基づき、「2次評価」によって運転を継続するかを判断する2段階方式とした。統一見解は枝野幸男官房長官と海江田万里経済産業相、細野豪志原発事故担当相の連名で、枝野氏が11日午前の記者会見で発表した。菅直人首相が運転停止中の原発を再稼働させる条件としてストレステスト(耐性試験)の実施を指示したことには、政府・与党内に異論もあったが、統一見解は「欧州諸国で導入されたストレステストを参考に、新たな手続き、ルールに基づく安全評価を実施する」として再稼働前の1次評価実施を明記した。…≫(7/11 毎日新聞)

∇7月9日放映のNHKスペシャル、「徹底討論どうする原発」は面白かった。番組は、現時点までの国内外の原発事故の実態と現在及び今後の動向等が最新情報をもとにビデオでコンパクトにまとめられ、視聴者が自由参加できる“パネルディスカッション”方式を採用して行なわれた。政治への国民参加型討論の好例として、評価できる番組であったと思う。それは又、後述する「国民投票」制度を推進する上でも、一つの示唆を与えるものである。周知の通り、「パネルディスカッション」とは、≪討議する問題について、通例数人の対立意見の代表者が、聴衆の前で論議をかわすこと。≫(「広辞苑」) 今回は、大局的な見地からの「脱原発」派、「原発維持推進」派を対立軸として、原発事故担当大臣細野豪志氏及び有識者5名、そしてNHK解説委員水野倫之氏が議論に加わった。そして、テレビ画面を見ている視聴者が、ツイッターや当該HPから自由参加でき、適宜、幾つかの意見が紹介された。こうした視聴者からの意見は、最終的には約1万件を超え、原発問題が如何に国民的関心のある「話題」であるかを感じた。

∇こゝで、視聴者を含めた参加者の意見は、「脱原発」派に属していても、「即脱原発」と「段階的脱原発」そして「自然消滅脱原発」等とに分れ、一方「原発維持推進」派も、「世界一の技術力による原発維持」「選択肢の一つとして原発維持の不可避」等々維持条件が異なるなど、単なる“二者択一”ではない多角的な立場での意見が交換された。老生が一番興味を抱いたのが、こうした討議の進め方にあった。番組でも紹介されたドイツの「脱原発」も、このような「公開討論」を通しての30年にも亘る「熟議」が背景にあることに意義がある。──事の発端は、或る原発施設近隣で幼児が奇病にかかる傾向があるのを或る住民が気がついた。彼女は隣人たちと国に働きかけ、事実確認のために総ての原発付近地域に於ける調査を訴求した。その結果、国の調査で、明らかにその事実が証明され、一市民の働きかけによる「地域公開」討論が拡がった。やがて「脱原発」を掲げる「緑の党」が某地域で勝利。原発推進を表明していたメルケル首相は、「脱原発」対「原発推進」同数の専門家による検討委員会に意見書提出を命じ、倫理問題迄発展した熟議の末、彼等の提言を重視して「10年後脱原発」を決めた。

∇無論「脱原発」を決めたドイツには、雇用への悪影響や電力コストの増大という問題をどうするかという難題が、今後も原発立地の地元を含めた国民的議論の中でも続く。他方で原発依存80%のフランスは、費用は高くても世界一安全な原子炉建設という方向で推進し、世界エネルギー市場を、最新原発技術で席捲する方針をサルコジ大統領は堅持している。原子炉の壁を二重構造にし、メルトダウンした場合も貯蔵場所が用意され、継続冷却が可能な設計構造をとっているという。アメリカでは、オバマ大統領が原発の継続を打ち出す一方、市場競争の立場から株主が原発にノーを突きつける事態が起きている。安全性を高めるコストが増大し、採算がとれなくなっていることが主な理由だそうだ。又、フランスやアメリカでも、福島原発の影響で、今後共積極的推進を掲げることに疑義を唱える市民パワーが続々現れ始めているようで、今後の持続推進がスムーズに行く可能性は低い。etc──NHKスペシャルを見ていて気がつくのは、パネラー達の討論当初の発言と、最終意見を述べる約3時間の間に、途中で種々の情報が入ることにより、自論そのものの“豹変”こそないが、双方歩み寄りの兆が大いに伺えた。こゝが一番重要なことではなかろうか。

∇実は、参加した有識者と雖も、原発問題の隅々まで理解・把握している人は殆どいなかったと言っていい。例えば、単位当りエネルギーコストは、期待されている「太陽エネルギー」「風力」等の現状コストが、政府で発表された時点から飛躍的に下がっている筈だと参加者誰もが認識している。又、原発コストに、クライシスアクシデント(危機的事故)によって生じる膨大費用そして燃料の廃棄や永久処理費までが含まれていないことも知っている。なのに誰も詳しいシミュレーション数値を知らない。そして今、仮に全国の原発全基がストップした場合、はたして総電力はどれくらいを確保でき、結果としてどれくらいの“危機度”が発生するのか、原発と比較した再生エネルギー群の「不安定性」は不可避なことなのか、誰も知らない。──あらゆる議論の前提となる一番基本情報をあいまいにしたまゝ、「脱原発」否「原発維持」を論ずる愚かさよ! それがこうした「公開討論」の場で、一般参加者は勿論、有識者でさえ気付かされる。その「事実をベースとする」という、当たり前な原点に戻ることが、政治問題にかかわらず、すべての問題解決に欠かせぬことではなかろうか。もう一度認識しよう、ドイツが脱原発を決定するまでには、充分な国民参加の「公開討論」が下敷きにあったことを。次回以降この点をより深く研究してみたい。もうすぐ「鬼平犯科帳」が始まるので、今日はこゝまで。