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海外ニュース(翻訳)

1Q84(村上春樹) 米国で出版 ニューズウィークの書評を紹介する。

2011-12-09 | コラム
How to Read Haruki Murakami
村上春樹をどう読むか


Why we should stop looking for hidden meanings in the fantastical worlds of Japan’s cult novelist. 何故、私達は立ち止まって日本の流行作家のファンタジーの世界の中に隠れている意味を探そうとするのだろうか。

村上作品の読後感として多くの「?」を抱え込むというのがある。あえて分析し結論を出さずに「多くの謎」を抱え込み、?を楽しむ、これが大人の態度だ。こういう書評を訳していると、訳の限界と同時に可能性も感じる。「Something lost in translation !」でも可能性はある。 評者の言わんとするところは掬えたと思う。たぶん英語の楽しさはここにある。


by Emily Parker | December 5, 2011 12:00 AM EST
When Haruki Murakami agreed to let me interview him in his Hawaii home, I couldn’t believe my good fortune. It was 2006, and Murakami was one of my favorite writers. I frantically underlined passages of his work, searching for clues and connections between the talking animals, labyrinths, and historical references that dotted his prose. I couldn’t wait to ask the author in person: what does it all mean?
村上春樹が彼のハワイの自宅で私のインタビューに応じてくれると知って、私は自分の幸運が信じられなかった。 それは2006年のことだった。 村上は私の好きな作家の一人だった。 私は狂ったように、彼の作品に再度目を通し、話す動物や、複雑な関係そして彼の散文の中に点在する歴史的な参照など、それらの繋がりや手がかりを求めて、気になる文章に線を引いた。 私は、この作家に直接聞きたくて仕方なかった。 つまり・・これは一体何を意味しているのですか? ・・・・と。

Murakami, it turned out, didn’t seem to know. While he spoke eloquently about history and the Japanese education system, the author seemed peculiarly detached from the products of his own imagination. It was as if his novels emerged from some sub-conscious passageway whose door slammed shut once he put down his pen. “When I’m not writing, they are gone,” Murakami said of the mysterious creatures that populate his novels. “I don’t even dream.”
村上自身、分らないということだった。 彼は歴史や日本の教育制度など雄弁に話してくれたが、奇妙なことに、この作家は彼自身の創造力の精華である作品から切り離されているように思えたのだ。 それは、あたかも彼の小説が彼のある潜在意識の抜け道から生まれたもので、その出口の扉は彼が小説を上梓したとたんピシャリと閉じられているようだった。 「私が執筆していない時は、それらは全て意識の外にあります。」と村上は彼の小説で人気のミステリアスな動物について語った。「夢にもそれらは出てきませんよ。」

I was dismayed. I’d always thought of Murakami’s work as a treasure chest of meaning, and now I’d learned there was no master key. I took a five-year vacation from Murakami. So it was with some reluctance that I picked up his new opus, 1Q84, whose plot seemed nonsensical even by Murakami standards. But now I can confidently say that not only did I finish the book, I even enjoyed it. I just stopped searching for hidden meanings, and I suggest you do too.
私は狼狽した。 私はてっきり、村上の作品は色々な隠喩や意味の宝庫だと勝手に思い込んでいたが、そこには、その扉を開けるマスターキーなど無かったことを知らされた。 以来、私は村上作品に距離を置いて、5年ほど読むことは無かった。 そういうこともあって、この新しい彼の作品を取り上げるのに少し気が進まなかったのである。ましてその作品1Q84は、そのプロットからして、村上のこれまでの基準からみてもナンセンスに思えたのだ。 しかし、いまハッキリと自信をもって言えるのは、全部読み終えただけでなく、私はその作品を十分に楽しんでいるということだ。 私は、そこに隠された意味を考るのをやめたのだ、あなたにもそのように隠された意味を考えずに読むことをお勧めする。


Master of the subconscious: Murakami’s latest opus is greater than the sum of its parts, Gueorgui Pinkhassov / Magnum 潜在意識の達人:村上のこの作品は部分の和を、総体が超えている。ゲオルギー・ピンカソフ(写真家)

Here are a few other tips for reading 1Q84: ここに1Q84を読む上での幾つかのヒントを紹介しよう。

The whole is greater than the sum of its parts. Murakami’s strength is in his storytelling, his imagination, and his ability to lure readers into an unrecognizable universe. At 925 pages, 1Q84 is a serious commitment, not only because we’ve become accustomed to 140-character soundbites. But length has its benefits too. The more time you spend in Murakami’s world, the less you question your surroundings. And the story of 1Q84, as crazy as it will sound from the description that follows, is captivating in its own way. 1Q84 tells the parallel stories of Aomame and Tengo, two characters with a deep connection from the past. Aomame is an assassin who targets perpetrators of domestic violence. She sets out to kill an enigmatic cult leader who has been victimizing young girls. Tengo is a math teacher and aspiring novelist who rewrites “Air Chrysalis,” an imaginative but terribly written work by a girl named Fuka-Eri, who escaped this very same cult. Somewhere in all this, Aomame and Tengo fall out of the year 1984 and into 1Q84, a parallel universe where there are two moons. The cult commissions a semitragic villain named Ushikawa to trip them up.
全体は、その部分の総和よりも大きい。 村上作品の強さは、彼のストーリーの語りの巧みさであり、創造力であり、読者を「認識不能な空間」へ誘う能力だ。 925ページに及ぶ1Q84は驚くべき大作である、これは、なにも我々が140文字制限のサウンドバイト(ワンフレーズのキャッチコピー)に慣れ過ぎているせいだけではない。 しかし、長さはそのメリットもあるのだ。 村上の作品に、より時間を費やせば、費やすほど、多分あなたは周りが気にならなくなる、つまり没頭できるのだ。 1Q84の物語は、それが辿る記述から響いてくる圧倒的世界に、それ独特の方法で我々を虜にするのである。 1Q84は青豆と天吾のふたりの同時並行に進む物語展開となっている。この二人の登場人物は過去において深い絆で結ばれている。青豆はDVの犯罪者を標的とする暗殺者である。 彼女は若い女性が犠牲者になっている謎めいたカルト集団の教祖の暗殺にとりかかる。 天吾は数学教師で野心ある小説家でもあり、この同じカルト集団から逃れたフカエリという少女の想像力はあるが文章が拙い作品「空気さなぎ」をリライト(表の著者)している。 この世界のどこかで、青豆と天吾は1984年から、スリップして1Q84の世界にスリップしてしまう。そこは現実世界とのパラレル空間であり、そこには月が二つある。 カルト集団は、牛河という悲哀を帯びた悪党に委託して彼らを付け狙わせる。 

1Q84’s overall story is stronger than some of its individual phrases, and certain images are repeated too many times. Yes, we know that Ushikawa has a misshapen head, that the second moon is green, that Fuka-Eri doesn’t use question marks, and that calls from Tengo’s editor have a particular ring. These repetitions add length and little more. But let them go. Ultimately, they don’t obstruct the narrative tide.
1Q84では、個々のフレーズや、あるイメージが繰り返し表現されるが、全体の物語の展開がより強いメッセージとして読者に伝わる。 そう、我々は牛河の頭が歪んでいること、二つ目の月が緑色がかっていること、フカエリが疑問形で話さないこと、天吾の編集者からの電話が相互に特別な連環で繋がっていることを知るのだ。 これらが繰り返し小説の中に現れて、やや冗長の感はあるが、それも構わない。 最終的に、それらが全体のストーリー展開の流れを妨げていないからだ。


IQ84 by Haruki Murakami

Be one with the Japanese. Japanese cultural phenomena don’t always translate so well overseas. And yet Murakami has a truly dedicated following all over the world. Some would argue that he isn’t a “representative” Japanese writer, in part because his books reference the likes of Sonny and Cher. There’s also the fact that he occasionally refers to his own Japanese characters as “inscrutable.” Still, there’s no question that Murakami somehow captures the tone and rhythm of Japanese life, which in part explains why his books fly off the shelves there. Certain characters in 1Q84, most notably an NHK fee collector and a cram-school instructor, illuminate particular segments of Japanese society. At the same time, Murakami’s books touch on universal sentiments of fear and vengeance and enduring love. So enjoy living with the Japanese, at least for 925 pages, under the same two moons.
日本人と共にある一人。日本の文化の特徴は必ずしもいつも真っ当に海外に伝わっているわけではない。なのに、村上は世界中に熱狂的なファンを抱えている。 ある人は彼を日本人作家の代表だとは思わないと言う人もいる。なぜなら彼の作品の参照が「ソニー&シェール」だったりするからだ。 また、当の彼自身が時々自分の日本人的特徴に言及して、測りかねるところがあるとも言っている。 それでもなお、村上がとにかく日本の色彩や音調(雰囲気)を作品に織り込んでいるのは疑いのない事実で、それが海外で飛ぶように売れる一つの理由でもある。 確かに1Q84の登場人物は、NHKの集金人であったり、塾の講師だったり、日本社会の独特の断片を映し出している。 それと同時に村上の作品は世界共通の感情、つまり恐怖や復讐心そして耐え忍ぶ愛のようなものを描いている。 だから、同じ二つの月の下で、少なくとも925ページの間、日本人との人生を楽しんで欲しい。

Murakami is not George Orwell. This comparison is hard to avoid, given the title of 1Q84, its direct references to Orwell, and the inclusion of the sentence “Big Brother Is Watching You.”  Yet while Orwell’s “Big Brother” represents some dark, totalitarian force, the characters known as “Little People” that flit in and out of 1Q84 are far more elusive. We learn that they are “an invisible presence. We can’t even tell whether they are good or evil, or whether they have any substance or not.” We also know that they come out of the mouth of a dead goat. Orwell’s seemingly deliberate decisions about metaphor and allegory help ensure that author and reader interpret the world in the same way. Put more simply, Orwell had an agenda. Murakami, on the other hand, sets his images free and leaves us to decipher them at will. Or, better yet, to not decipher them at all. If Murakami is writing from his subconscious, after all, then why are we consciously analyzing him? Yuko, my closest friend in Japan, perhaps gives the best advice for reading Murakami: “I never try to figure out what he is trying to say. I simply enjoy the flow of his words and transfer them into my own film in my head. You know what I mean?”
村上はジョウジ・オーウェルとは違う。 この比較は避けて通れない。なぜならタイトルの1Q84がオーウェルの作品1984を直接意識しているし、「ビッグブラザーがあなたを監視している」という文章も含まれているのだから。 とはいえ、オーウェルに出てくるビッグブラザーは暗黒の圧倒的な支配者として表現されているが、村上の1Q84の中で現れては消えるトルピープルは、もっと捉えどころのない存在だ。 我々はそれらが見えない存在だということを知る。 我々は彼らが善なのか、邪悪なのかも言えないし、その存在も曖昧模糊としている。 我々は彼らが死んだ山羊の口から出てきたのを知っている。 オーウェルの作品のビッグブラザーは隠喩や寓意について周到に計算されており、それが読者と著者が世界を同じ方向から解釈することを促している。 もっと簡単に言えば、オーウェルの作品にはちゃんとした海路地図(アジェンダ)がある。 一方の村上は自分のイメージを自由に泳がせ、我々に勝手に読み解いてくれと途方に暮れさせるのである。 それも読み解かなくても良いというほどの突き話しかただ。 村上が潜在意識(意識下)で、この作品を書いているとしたら、なんで読者の我々が意識して彼を分析する必要があるのか。 私の最も親しいユーコのアドバイスが肯綮に中っているように思える。 つまり「私は、彼が何を言いたいのかなんて、ちっとも考えないわ、私は単純に彼の言葉の調べを楽しみ、それを私の頭の中のフィルムに映し込んでいくの。 わかるわね私の言いたいこと?」

©2011 The Newsweek/Daily Beast Company LLC

スティーブジョブズ おたくの真骨頂 その1(1/2)

2011-11-20 | コラム
The Tweaker
The real genius of Steve Jobs.
「ザ・凝り性」 スティーブ・ジョブスの真骨頂

by Malcolm Gladwell November 14, 2011

確かにスティーブ・ジョブスが発明したわけではないが、彼のこだわりからしか生まれなかったのも事実だ。どちらにしても、そこまで拘る人間はやはり尋常の域を超えている。むしろ欠点は人間臭さを感じさせて私は安心したりしている。


Jobs’s sensibility was more editorial than inventive. “I’ll know it when I see it,” he said.
ジョブスの感受性鋭さは発明的というより編集的なものだ。「私はそれをみてすぐに悟った。」と彼は言った。

Not long after Steve Jobs got married, in 1991, he moved with his wife to a nineteen-thirties, Cotswolds-style house in old Palo Alto. Jobs always found it difficult to furnish the places where he lived. His previous house had only a mattress, a table, and chairs. He needed things to be perfect, and it took time to figure out what perfect was. This time, he had a wife and family in tow, but it made little difference. “We spoke about furniture in theory for eight years,” his wife, Laurene Powell, tells Walter Isaacson, in “Steve Jobs,” Isaacson’s enthralling new biography of the Apple founder. “We spent a lot of time asking ourselves, ‘What is the purpose of a sofa?’ ”
スティーブジョブスは1991年に結婚してさほど経たないころ、彼は、パルアルトの旧市街にある1930年代のコッツウォルズスタイルの家に妻と引っ越した。 ジョブスは、いつも住む場所の家具の選定と設置に悩んでいた。彼の以前の家にはマット、手ブルそして椅子があるだけだった。彼は完全な家具を揃えたかったが、その完全を追求するのに時間がかかった。今回は、妻と子供が二人いるが、それは大した違いではなかった。 「私達は家具について、理論的にいえば8年間も話してきたことになるわ。 私達は「ソファの本来の目的はなんだろう?など自問自答するのに随分時間を使ったわ。」と彼の妻である、ローレン・パウエルはウォルター・アイザックソンに、アップル創業者の新しい魅力的な伝記である彼の著書「スティーブジョブス」のなかで話している。

It was the choice of a washing machine, however, that proved most vexing. European washing machines, Jobs discovered, used less detergent and less water than their American counterparts, and were easier on the clothes. But they took twice as long to complete a washing cycle. What should the family do? As Jobs explained, “We spent some time in our family talking about what’s the trade-off we want to make. We ended up talking a lot about design, but also about the values of our family. Did we care most about getting our wash done in an hour versus an hour and a half? Or did we care most about our clothes feeling really soft and lasting longer? Did we care about using a quarter of the water? We spent about two weeks talking about this every night at the dinner table.”
それは単なる洗濯機の選定だったが、とても頭の痛い問題だった。ヨーロッパスタイルの洗濯機はアメリカのよりも、洗剤も水も少なくて済むし、生地にも優しいということがジョブスには分ったが、洗濯の全工程を終えるのに倍の時間がかかった。 さて家族はどちらにするか? ジョブスは説明する「我々は、家族で、何を犠牲にして、どちらをとるかについて暫らく話しました。そして揚句にデザインについても沢山話し合ったけど、家族の価値観についても話し合ったね。 1時間で洗濯を終えるか、1時間半かけても構わないか? 水を4分の1しか使わないことに拘るのか? 夕食時に2週間くらい、毎晩話し合ったよ。」

Steve Jobs, Isaacson’s biography makes clear, was a complicated and exhausting man. “There are parts of his life and personality that are extremely messy, and that’s the truth,” Powell tells Isaacson. “You shouldn’t whitewash it.” Isaacson, to his credit, does not. He talks to everyone in Jobs’s career, meticulously recording conversations and encounters dating back twenty and thirty years. Jobs, we learn, was a bully. “He had the uncanny capacity to know exactly what your weak point is, know what will make you feel small, to make you cringe,” a friend of his tells Isaacson. Jobs gets his girlfriend pregnant, and then denies that the child is his. He parks in handicapped spaces. He screams at subordinates. He cries like a small child when he does not get his way. He gets stopped for driving a hundred miles an hour, honks angrily at the officer for taking too long to write up the ticket, and then resumes his journey at a hundred miles an hour. He sits in a restaurant and sends his food back three times.
アイザックソンの伝記は、スティーブジョブスが、ややこしくて疲れる男だということを明記している。「彼の人生と人格の中には極端に面倒な部分があるの、それは本当だわ。 でもそれを美化しないでね。」とパウエルはアイザックソンに頼んでいる。そしてアイザックソンは立派にそれを守っている。彼はジョブスの経歴の中で、あらゆる人に取材し、20~30年に遡って、その会話や出会いを詳細に記録している。したがって、ジョブスが意地悪なのも我々は知ることになる。 「彼には不思議な能力があって、相手の弱点を正確に見つけたり、何が自尊心を失わせるかを見抜いて、相手を委縮させることができるんだ。」とジョブスの友人はアイザックソンに話している。 ジョブスは彼女を妊娠させたうえ、子供の認知を拒んでいる。彼は身障者用の駐車スペースに車を止めたこともある。部下を怒鳴りつけるし、うまく行かないときは子供の用に泣く。 彼は時速100マイル(160㎞)で運転し、警察に捕まり違反切符を切るのに時間がかかるとクラクションを苛立たしく鳴らし、またすぐに100マイルで運転し始める。彼はレストランに行き、オーダーを3回も突き返したりもする。

He arrives at his hotel suite in New York for press interviews and decides, at 10 P.M., that the piano needs to be repositioned, the strawberries are inadequate, and the flowers are all wrong: he wanted calla lilies. (When his public-relations assistant returns, at midnight, with the right flowers, he tells her that her suit is “disgusting.”) “Machines and robots were painted and repainted as he compulsively revised his color scheme,” Isaacson writes, of the factory Jobs built, after founding NeXT, in the late nineteen-eighties. “The walls were museum white, as they had been at the Macintosh factory, and there were $20,000 black leather chairs and a custom-made staircase. . . . He insisted that the machinery on the 165-foot assembly line be configured to move the circuit boards from right to left as they got built, so that the process would look better to visitors who watched from the viewing gallery.”
彼が、記者のインタビューを受けるためにニューヨークのホテルのスィートに着くと、夜の10時だというのに、ピアノの位置を変えろ、イチゴが足りない、花が良くないと言いだす。彼はカラーの反が好きだった。(そこで彼の広報担当助手が夜中に望みの花をもって戻ってくると、ジョブスは彼女に向って、このスィートは最低だと言っている。)「工場の機会やロボットは色を塗り、また塗り替えられた、なぜならジョブスが無理やり配色を変えたからだ。」とアイザックソンは書いている。それは1980年代の、ネクスト社を創業してジョブスが工場を建てたときの話である。 「壁はマッキントッシュの工場にあった、博物館の白に拘り、2万ドルもかけてレザーの椅子を置き、階段は特注・・・・おまけに、設備が入ったあとで、ジョブスは165フィート(約50m)の組み立てラインの機械を、配電盤を右から左に移すから合わせろと言いだした。その方が工場訪問者が見学路から良く見えるというのである。」とアイザックソンは書いている。

Isaacson begins with Jobs’s humble origins in Silicon Valley, the early triumph at Apple, and the humiliating ouster from the firm he created. He then charts the even greater triumphs at Pixar and at a resurgent Apple, when Jobs returns, in the late nineteen-nineties, and our natural expectation is that Jobs will emerge wiser and gentler from his tumultuous journey. He never does. In the hospital at the end of his life, he runs through sixty-seven nurses before he finds three he likes. “At one point, the pulmonologist tried to put a mask over his face when he was deeply sedated,” Isaacson writes: Jobs ripped it off and mumbled that he hated the design and refused to wear it. Though barely able to speak, he ordered them to bring five different options for the mask and he would pick a design he liked. . . . He also hated the oxygen monitor they put on his finger. He told them it was ugly and too complex.
アイザックソンはシリコンバレー時代の貧しい時代から、アップルでの早い成功そして、その自分が創業したアップル社からの恥辱に塗れた追放劇と書き起こし、ピクサスでの更に大きな成功へ、そして1990年代末のジョブスの復帰によるアップルの復活へと書き進める。そこで我々は当然、これらの激動の人生遍歴を通じて、より賢く円熟したジョブスの登場を期待することになる。 だが、彼は決して変わらない。 人生の終末期の病院に於いてさえ、彼は好みの看護師を決めるのに67人の候補に目を通している。「呼吸器科医が、深く鎮静状態にあるジョブスの顔に酸素マスクを着けようとしたとき」とアイザックソンはこう書いている、 ジョブスはマスクを剥ぎ取り、そのデザインが嫌だと呟いき装着を拒否した。 殆ど喋れない状況で、彼は5つのマスクから気に入ったのを選んだ・・・彼は指に着けた血中酸素モニターを嫌って、こう言った、形が悪いし、おまけに複雑だ。

One of the great puzzles of the industrial revolution is why it began in England. Why not France, or Germany? Many reasons have been offered. Britain had plentiful supplies of coal, for instance. It had a good patent system in place. It had relatively high labor costs, which encouraged the search for labor-saving innovations. In an article published earlier this year, however, the economists Ralf Meisenzahl and Joel Mokyr focus on a different explanation: the role of Britain’s human-capital advantage—in particular, on a group they call “tweakers.” They believe that Britain dominated the industrial revolution because it had a far larger population of skilled engineers and artisans than its competitors: resourceful and creative men who took the signature inventions of the industrial age and tweaked them—refined and perfected them, and made them work.
産業革命の大きな謎の一つに、産業革命がなぜイギリスで興ったのかというのがある。なぜフランスやドイツでなく? 多くの理由付けがなされている。 曰く、イギリスには石炭が豊富だったとか、良い特許のシステムがそこにあったとか、比較的高い労賃が、労働力を節約する技術革新に向かわせたと言う説まである。 しかしながら、今年の年初に出版された記事のなかで、エコノミストのラルフ・マイセンザールとジョエル・モーカーはちょっと違った理由に着目した。 つまり英国の人的資源の優位性が担った役割である、特に「凝り性職人」と呼ばれた人達の集団である。 この二人のエコノミストは英国が産業革命で圧倒的な地位を占め得たのは、その他の国に比して遥かに多くの熟練技術者と職人を擁していたからだとみている。つまり、豊かな資質と創造性を持った人たちが産業化の時代の特徴ある発明をし、それらを凝りに凝ったのである・・・洗練し、完璧を追求し、そしてそれを機能させたのである。

In 1779, Samuel Crompton, a retiring genius from Lancashire, invented the spinning mule, which made possible the mechanization of cotton manufacture. Yet England’s real advantage was that it had Henry Stones, of Horwich, who added metal rollers to the mule; and James Hargreaves, of Tottington, who figured out how to smooth the acceleration and deceleration of the spinning wheel; and William Kelly, of Glasgow, who worked out how to add water power to the draw stroke; and John Kennedy, of Manchester, who adapted the wheel to turn out fine counts; and, finally, Richard Roberts, also of Manchester, a master of precision machine tooling—and the tweaker’s tweaker. He created the “automatic” spinning mule: an exacting, high-speed, reliable rethinking of Crompton’s original creation. Such men, the economists argue, provided the “micro inventions necessary to make macro inventions highly productive and remunerative.”
1779年に、ランカシャーの退職した天才サミュエル・クロンプトンがミュール紡織機を発明し、綿工業の機械化を実現した。 イギリスの本当の強みはそれだけに止まらなかった。 ホリッジのヘンリー・ストーンは紡織機に金属のローラーを加え、トッチントンのジェームス・ハーグリーブスは紡織機の紡ぎ車の加速と減速をスムーズにする方法を編み出し、グラスゴーのウィリアム・ケリーはピストンのストロークを水力にし、マンチェスターのジョン・ケネディは紡ぎ車を細い番手の糸に応用し、同じくマンチェスターのリチャード・ロバーツは精密な機械の据え付けに優れ・・・凝り性の中の凝り性だった。彼は所謂”自動“ミュール紡織機を創り出した。つまり当初のクロンプトンの紡織機が正確で、高速で、信頼性のあるものになったのである。 つまり、これらの人々が小さな発明を積上げて大きな発明に繋げて高生産性と高利益性を生み出したことになる。

Was Steve Jobs a Samuel Crompton or was he a Richard Roberts? In the eulogies that followed Jobs’s death, last month, he was repeatedly referred to as a large-scale visionary and inventor. But Isaacson’s biography suggests that he was much more of a tweaker. He borrowed the characteristic features of the Macintosh—the mouse and the icons on the screen—from the engineers at Xerox PARC, after his famous visit there, in 1979. The first portable digital music players came out in 1996. Apple introduced the iPod, in 2001, because Jobs looked at the existing music players on the market and concluded that they “truly sucked.” Smart phones started coming out in the nineteen-nineties. Jobs introduced the iPhone in 2007, more than a decade later, because, Isaacson writes, “he had noticed something odd about the cell phones on the market: They all stank, just like portable music players used to.” The idea for the iPad came from an engineer at Microsoft, who was married to a friend of the Jobs family, and who invited Jobs to his fiftieth-birthday party. As Jobs tells Isaacson:
スティーブジョブスはサミュエル・クロンプトンだったのだろうか? はたまたリチャード・ロバーツなのか?ジョブスの死後の彼へ称賛のなかで、彼は繰り返し、大きなスケールの先見性を持つ人、発明家として言及されてきた。 しかし、アイザックソンの伝記の中では、彼はもっぱら凝り性の人(おたく)という意味合いで書かれている。 彼はマッキントッシュの独特の特徴である、そのマウスとスクリーン上のアイコンを、1979年の彼の良く知られているゼロックス社訪問の後、ゼロックスのPARCの技術者から、その知恵を拝借した。 最初のポータブルのデジタルミュージックプレイヤーは1996年には世に出ていた。アップルがアイポッドを発売したのは2001年になってからで、なぜならジョブスが市場に出ている既存のミュージックプレイヤーを見て、“本当にダメだ”と思ったからだ。 スマートフォンは既に1990年代に出てきた。 ジョブスはアイフォーンを2007年にリリースしている、10年以上後になってである。「なぜなら、彼は市場の携帯の何か不具合なところに気付いたからだ」と、アイザックソンは書いている。 「それらは全てお粗末で、それまでのポータブル・ミュージックプレイヤーとなんら変わりがなかった。」 アイパッドのアイデアはマイクロソフトのエンジニアのものだった、彼はジョブス一家の友人と結婚し、ジョブスを彼の50歳の誕生パーティに招待している。 ジョブスはそうアイザックソンに話している。 (つづく)

コーヒー党に朗報! カフェインはウツ病予防に効く??

2011-09-28 | コラム
Caffeinated Women May Be Fighting Depression With Every Cup
カフェイン漬けの女性は一杯毎にウツと戦っているのかも・・・



明日からさっそくコーヒーを飲もっ!

September 27, 2011


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See that sparkle? It could be the caffeine
For many of us, coffee is the first thought of the day. Just thinking about it gives us the buzz, the energy and the power to ask ourselves the next question, do I make it at home or shell out another $4 at the local Starbucks as I race to work?
私達の多くにとって、コーヒーは一日の初めに考えることである。ちょっと考えただけで、コーヒーは心地よさとエネルギーをくれ、次の問いを我々に投げかける力がある、「仕事を片付けるのに家でしようかしら、それともスターバックスで4ドル払ってやったほうが、能率があがるかな?」

Well, you may decide to do both if you've seen new research that suggests women who drink more than one cup a day may decrease their risk of depression.
でも、もしあなたが、一日に一杯以上のコーヒーを飲む女性は鬱病になるリスクが下がるという新しい研究結果を見たらコーヒーと仕事を選択するかもしれませんね。

The more coffee women drink, the greater we reduce our risk of depression, according to the study. And since one in five women are diagnosed with depression at some point in life, it may be worth contemplating that double shot of espresso.
研究結果によると、女性がより多くコーヒーを飲むほど、鬱病のリスクをより下げることができるということです。 そして5人に1人の割合で女性は、人生のどこかで鬱と診断されているそうなので、そうなるとエスプレッソのダブルショットは考えてみる価値があるかもしれません。

A study published in the Archives of Internal Medicine finds women who drank two to three cups of coffee a day reduced their risk of depression by 15 percent, compared to women who consumed only one cup or less per week.
Those who drank about one cup of coffee per day also reduced their depression risk, although not by nearly as much.
ザ・アーカイブ・オブ・インターナルメディスンに発表された研究によると一日に2~3杯のコーヒーを飲む女性は一週間にコーヒー一杯以下しか飲まない女性よりも、うつ病にかかる率が15%も低いということです。
1日に一杯のコーヒーを飲む人も、そこまではないですが、鬱を軽減するようです。


The study was led by senior author Dr. Alberto Ascherio, a professor of epidemiology and nutrition at Harvard School of Public Health.
この研究はこの論文の主著である、ハーバートスクールの公衆衛生学の疫学と栄養学の教授アルバート・アシェリオ博士の指導のもとなされました。

Ascherio says he's not quite sure how caffeine makes people feel better. "Our results suggest that caffeine may have a beneficial effect on the cellular level, and may protect neurons lost to neurodegenerative disease," he tells Time's blog, Healthland. "We are establishing a certain degree of reasonable evidence that caffeine has a long-term effect on the risk of depression, but we cannot attribute this to any pathology."
アシェリオは、カフェインがどうして人々に快感をもたらすのか、あまりハッキリしていないという。「我々の実験結果が示唆しているのは、カフェインが細胞レベルで有益な効果を持っているらしいということと、神経変性疾患で失われるニューロンを保護するらしいということです」と彼はタイムのブログ「ヘルスランド」で述べている。「我々は、カフェインがウツのリスクに長期的な効果があるという、ある程度の理論的証拠を確立しているが、この結果をもって病理学に帰することは無理があります。」

The biggest coffee drinkers saw the largest reduction in risk, according to the study. Those who drank four cups or more per day reduced their risk of depression by 20 percent.
この研究結果によると、コーヒーのヘビードランカーは鬱リスクの軽減の相当おおきな効果に浴していることになります。 一日に4杯或いはそれ以上飲む人は鬱リスクを20%以上減じることが出来るということです。

Researchers from Harvard School of Public Health looked at more than 50,000 women enrolled in the ongoing Nurses' Health Study. The average age of participants was 63. None of the women were diagnosed with depression at the beginning of the study.
ハーバートスクール公衆衛生学の研究者は継続実施中の看護師の健康研究に籍をおく5万人以上の女性を観察した。参加者の平均年齢は63歳。研究の当初、対象の女性は誰も鬱と診断されている人はいないという条件設定です。

Over 10 years, researchers documented the number of women who developed depression, and compared it to the amount of caffeine they consumed. Eighty percent of the caffeine was consumed in coffee; twelve percent in tea and five percent in caffeinated soft drinks.
10年以上にわたり、研究者は対象者の中でうつ病を発症した人数と、消費されたカフェインの量を比較してきました。 カフェインの80%はコーヒーから摂取されたもので、12%は紅茶、5%がカフェイン入りソフトドリンクとなっています。

Researchers caution that it's still too soon to race out and celebrate good mental health with a "cup of Joe". More study is needed to actually prove that caffeine has a protective effect against depression.
研究者達は、これで「一杯のコーヒー」が精神衛生良いと結論付けて喜ぶのは時期尚早に過ぎると警告している。 カフェインがウツに対して、これを防ぐ効果があると実際に証明するには、更なる研究が必要だとしている。

Over the years, coffee and caffeinated products have earned a bad rap at times, but concerns about too much caffeine just don't seem to be panning out, according to an editor's note at the end of the Archives paper.
何年ものあいだ、コーヒーとカフェイン商品は時としていわれのない非難を浴びてきたが、カフェインを取りすぎる懸念はあまり良い結果にはならなかったと、そのアーカイブの記事の最後に編集者が記している。

Efforts to study their effects on cardiovascular problems, inflammation, and even cancer have shown little effect, notes Seth Berkowitz.
"Taken together, these results reassure coffee drinkers that there seem to exist no glaringly deleterious health consequences to coffee consumption," he says.
心臓血管の問題、炎症、そして癌に対してさえ僅かではあるが、カフェインの効果が研究努力で判明しているとセス・バーコウィッツは言っている。
「総じて、これらの研究結果はコーヒー愛飲者に、コーヒーの消費がその後の健康に有害だとは明らかに言えないということです。」と彼は言う。


Earlier research, including one study among men, suggests that caffeine reduced depression, suicide, and could possibly have a protective effect against certain prostate cancers, too.
男性を対象にした先の研究では、カフェインがウツ、自殺そして前立腺がんに対してもこれを防ぐ可能性があることが示唆されている。

トーマス・フリードマン (著書抜粋) 

2011-09-10 | コラム
That Used To Be Us
我々はかつてそうだった。

How America Fell Behind in the World It Invented and How We Can Come Back
如何にしてアメリカは自ら作り出した世界に後れをとったのか、そしていかにして復活することができるのか


昨日の続き、著書の抜粋です。草食系などという言葉が流行る日本も同じ病かもしれない。荒野を目指す荒々しさが若者から消えて久しい。 文化の成熟と無縁ではない気もするが。

by Thomas L. Friedman and Michael Mandelbaum

Hardcover, 380 pages, Farrar Straus & Giroux, List Price: $28 | purchase
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Book Summary 要約
New York Times columnist Tomas Friedman makes recommendations for meeting four major challenges currently facing the United States, including globalization, the information technology revolution, chronic deficits and unbalanced energy consumption.

ニューヨークタイムズ紙のコラムニスト、トーマス・フリードマンは現在米国が直面する4つの主要なチャレンジ(課題)にアドバイスをしている。 それらはグローバリゼーション、情報テクノロジー、慢性的赤字、エネルギー消費の不均衡である。


Read an excerpt of this book
Excerpt: That Used To Be Us
One  「ザット ユースト トゥービー アス」より抜粋
If You See Something, Say Something
This is a book about America that begins in China.
In September 2010, Tom attended the ¬World Economic ¬Forum's summer conference in Tianjin, China. Five years earlier, getting to Tianjin had involved a ¬three-¬and-¬a-¬half-¬hour car ride from Beijing to a polluted, crowded Chinese version of Detroit, but things had changed. Now, to get to Tianjin, you head to the Beijing ¬South Railway Station—¬an ultramodern flying saucer of a building with glass walls and an oval roof covered with 3,246 solar panels—¬buy a ticket from an electronic kiosk offering choices in Chinese and En¬glish, and board a ¬world-¬class ¬high-¬speed train that goes right to another roomy, modern train station in downtown Tianjin. Said to be the fastest in the world when it began -operating in 2008, the Chinese bullet train covers 115 kilometers, or 72 miles, in a mere twenty-nine minutes.

これは中国から始まるアメリカについての本である。
2010年の9月、トムは中国の天津での世界経済フォーラムのサマーコンファレンスに参加した。 5年前、天津に行くには、デトロイトの中国版のような混雑して汚染された北京から3時間半の車旅行が必要だった。しかし事情はすっかり変わった。今や天津に行くには、まず北京の南鉄道駅に向かう・・・その駅は超モダンな空飛ぶ円盤のような建物で壁が総ガラス、楕円の屋根は3246個のソーラーパネルで覆われている・・そこの中国語と英語で表示された電子キオスクでチケットを購入し、世界クラスの高速鉄道にのって天津の中心街のモダンでゆったりしたもう一つの駅に着く。 2008年に開業したときは世界最速といわれ、中国の高速鉄道は115㌔72マイルを29分足らずで駆け抜ける。


The conference itself took place at the Tianjin Meijiang Convention and Exhibition Center — ¬a massive, beautifully appointed structure, the like of which exists in few American cities. As if the convention center wasn't impressive enough, the conference's ¬co-¬sponsors in Tianjin gave some facts and figures about it (www.¬tj-¬summerdavos.cn). They noted that it contained a total floor area of 230,000 square meters ¬(almost 2.5 million square feet) and that "construction of the Meijiang Convention Center started on September 15, 2009, and was completed in May, 2010." Reading that line, Tom started counting on his fingers: Let's see — September, October, November, December, January.

会議自体は天津の梅江(メイジャン)博覧会・会議場(コンベンション&エクシビションセンター)であった・・・その会場は美しい設備の整った建築物でアメリカの都市でもそんなに見られないくらいの博覧会場だった。 まるで、コンベンションセンターだけでは十分に印象的ではないとでもいうように、天津の会議の共同主催者のが幾つかの情報を教えてくれた。 そのセンターの床面積は23万平米(およそ2.5百万平方フィート)で、メイジャンコンベンションセンターの建設は2009年の9月15日に着工し、2010年の5月に完成したとのこと。 その説明文を読み、トムは指を折り始めた、えーと・・9月、10月、11月、12月、1月・・・・・
Eight months. なんと8か月で・・・


Returning home to Maryland from that trip, Tom was describing the Tianjin complex and how quickly it was built to Michael and his wife, Anne. At one point Anne asked: "Excuse me, Tom. Have you been to our subway stop lately?" We all live in Bethesda and often use the Washington Metrorail subway to get to work in downtown Washington, D.C. Tom had just been at the Bethesda station and knew exactly what Anne was talking about: The two short escalators had been under repair for nearly six months. ¬While the one being fixed was closed, the other had to be shut off and converted into a ¬two--way staircase. At rush hour, this was creating a huge mess. Everyone trying to get on or off the platform had to squeeze single file up and down one frozen escalator. It sometimes took ten minutes just to get out of the station. A sign on the closed escalator said that its repairs were part of a massive escalator "modernization" project.

その旅行からメリーランドの故郷に戻り、トムは天津の複合施設について縷々述べ、如何に早く短期間でそれが建設されたかをマイケルと彼の妻アンに説明した。 そこで、一つアンが質問した、「ごめんなさいトム、あなた地下鉄の駅に最近行ったことある?」 我々は皆ベセスダに住んでおり、しばしばワシントンのメトロレイル地下鉄をワシントンDCの中心地まで仕事に行くのに使っているので、アンが何を言いたいのか正確にわかっていた。 2つのエスカレーターが半年近くも修理中だったのだ。修理中の一つは閉鎖されており、もう一つは停止されて、2方向の固定階段として使われていた。ラッシュアワーには、これが大きな混雑の原因になっていた。プラットホームから乗降しようとする人は誰でも、この固まったエスカレーターに一列にひしめいて登ったり、降りたりすることになる。 時には駅を出るだけで10分もかかってしまう。 閉鎖したエスカレータ―の張り紙には、この修理が大規模なエスカレーターの近代化プロジェクトの一部だと書いてある。

What was taking this "modernization" project so long? We investigated. ¬Cathy Asato, a spokeswoman for the Washington Metropolitan Transit Authority, had told the Maryland Community News (October 20, 2010) that "the repairs were scheduled to take about six months and are on schedule. Mechanics need 10 to 12 weeks to fix each escalator."

なんで、この近代化プロジェクトをそんなに時間がかかるのか?我々は調査した。ワシントンのメトロポリタン交通当局のスポークスマンであるキャシー・アサトはメリーランドコミュニティニュースに次のように答えた。「修理は6か月を予定しており、予定通りに進んでいる、技術者は各エスカレーターを修理するのに10週間から12週間を必要とする。」

A simple comparison made a startling point: It took China's Teda Construction -Group ¬thirty-¬two weeks to build a ¬world-¬class convention center from the ground up — ¬including giant escalators in every corner — ¬and it was taking the Washington ¬Metro crew ¬twenty-¬four weeks to repair two tiny escalators of -twenty-¬one steps each. We searched a little further and found that WTOP, a local news radio station, had interviewed the ¬Metro interim general manager, Richard Sarles, on July 20, 2010. Sure, these escalators are old, he said, but "they have not been kept in a state of good repair. We're behind the curve on that, so we have to catch up . . . Just last week, smoke began pouring out of the escalators at the Dupont Circle station during rush hour."

ここで驚くべき点で単純な比較をしてみた。中国のテダ建設グループは世界規模のコンベンションセンターを更地から・・・各コーナーの巨大なエスカレーターを含み・・・建設し完成するのに32週間を要し、一方、ワシントンの地下鉄の要員は2つの21段しかない小さなエスカレーターを修理するのに24週間かかるというのだ。 我々は少し詳しく調べることにした、そして地方のニュースラジオ局が地下鉄の臨時部長であるリチャード・サーレスに2010年の7月20日にインタビューしていたのを見つけた。 確かに、これらのエスカレーターは古いが、「良い修理状態に保たれていなかった。 その点で遅れていたので、遅れを取り戻さなければならなかったのです。・・丁度先週、ラッシュアワー時にデュポンサークル駅で、エスカレーターが煙を出し始めたのです。」とその部長は話していた。

On November 14, 2010, The Washington Post ran a letter to the ¬editor from Mark Thompson of Kensington, Maryland, who wrote:
I have noted with interest your reporting on the $225,000 study that ¬Metro hired Vertical Transportation Excellence to conduct into the sorry state of the system's escalators and elevators . . . I am sure that the study has merit. But as someone who has ridden ¬Metro for more than 30 years, I can think of an easier way to assess the health of the escalators. For decades they ran silently and efficiently. But over the past several years — ¬when the escalators are running — ¬aging or ¬ill-¬fitting parts have generated horrific noises that sound to me like a Tyrannosaurus Rex trapped in a tar pit screeching its dying screams.

2010年の11月14日にワシントンポスト紙がメリーランド州のケンシントンのマーク・トンプソンから編集者への手紙を掲載していた。 トンプソンはこう書いている。
私は貴紙の地下鉄の運営会社が22万5千ドルの費用をかけて、バーチカル・トランスポーテーション・エクセレンスを雇い、酷い状態のエスカレーター及びエレベーターシステムの調査を実施しているという記事を興味深く拝見しました。・・・その調査に利点があることは認めますが、30年以上も地下鉄を利用している者として、私は、そのエスカレーターを査定する簡単な方法を知っています。 何十年もそれらは静かに、そして効率よく動いていましたが、この数年間というもの・・・エスカレーターが動いている時は・・・老朽化したか合わなくなったパーツが酷い音を立てていて、私には泥沼に足をとられた恐竜のレックスの断末魔の悲鳴のように聞こえていましたよ。


The quote we found most disturbing, though, came from a Maryland Community News story about the long lines at rush hour caused by the seemingly endless ¬Metro repairs: " 'My impression, standing on line there, is people have sort of gotten used to it,' said Benjamin Ross, who lives in Bethesda and commutes every day from the downtown station."

だが、我々が見つけた、もっと驚かされる記事は、メリーランド・コミュニティ・ニュースの記事で、ラッシュアワー時の長い列は、おそらくエンドレスに繰り返される地下鉄の修理の影響だとするものだった。 ベセスダに住み、ダウンタウンの駅から毎日通勤するベンジャミン・ロスは「そこに列をなして立っていることに人々は、ある種の慣れに染まってしまっているといのが私の印象だ」と語っている。

The National Watercooler   
People have sort of gotten used to it. Indeed, that sense of resignation, that sense that, well, this is just how things are in America today, that sense that America's best days are behind it and China's best days are ahead of it, have become the subject of watercooler, ¬dinner-¬party, ¬grocery-¬line, and classroom conversations all across America today. We hear the doubts from children, who haven't been to China. Tom took part in the September 2010 Council of Educational Facility Planners International (CEFPI) meeting in San Jose, California. As part of the program, there was a "¬School of the Future Design Competition," which called for junior high school students to design their own ideal green school. He met with the finalists on the last morning of the convention, and they talked about global trends. At one point, Tom asked them what they thought about China. A young ¬blond-¬haired junior high school student, Isabelle Foster, from Old Lyme Middle School in Connecticut, remarked, "It seems like they have more ambition and will than we do." Tom asked her, "¬Where did you get that thought?" She couldn't ¬really¬ explain it, she said. She had never visited China. But it was just how she felt. It's in the air. 

人々はそれに慣れてしまっている。 実際、その諦めの心境は、このような状態にあるのが今日のアメリカなんだと人が納得しており、と同時にアメリカの良い時代は過去のものとなり、逆に中国の前途は洋々としているということが、アメリカ中の井戸端会議、ディナーパーティ、スーパーでのレジ待ちの列内、そして学校のクラスでの話題となっている。我々は中国に行ったことがないという子供達の中にもその懸念を感じた。 トムは2010年の9月にカリフォルニアのサンホセで教育施設計画者国際会議に参加した。そのプログラムの一部として「学校の未来設計競技会」というのがあった、それは中学校の生徒に呼びかけて、彼ら自身の理想のグリーンスクールを設計してもらうというものだ。 彼はそのコンベンションの最終日の朝にファイナリストの面々に会って、世界的なトレンドについて彼らと話し合った。 そのなかでトムが生徒たちに中国についてどう思うかを聞いたところ、コネチカット州のオールドライム中学校の若い、ブロンドの髪の中学生イサベル・フォスターがこう答えた「中国人のほうが、私達よりもより野心的で意欲的だと思う。」 トムは彼女に「そういう考えは、どこからきたの?」と尋ねたが、彼女は実際それを説明することは出来なかった。しかも彼女は中国に行ったことがないと答えた。しかし、それは彼女がなんとなく雰囲気の中でそう感じ取っているのである。

We heard the doubts about America from Pennsylvania governor Ed Rendell, in his angry reaction after the National Football League postponed for two days a game scheduled in Philadelphia between the Philadelphia Eagles and the Minnesota Vikings — ¬because of a severe snowstorm. The NFL ordered the games postponed because it didn't want fans driving on icy, ¬snow-¬covered roads. But Rendell saw it as an indicator of something more troubling — ¬that Americans had gone soft. "It goes against everything that football is all about," Rendell said in an interview with the sports radio station 97.5 The Fanatic in Philadelphia (December 27, 2010). "We've become a nation of wusses. The Chinese are kicking our butt in everything. If this was in China, do you think the Chinese would have called off the game? People would have been marching down to the stadium, they would have walked, and they would have been doing calculus on the way down."

 厳しい雪嵐のため、フィラデルフィアイーグルスとミネソタバイキングのフィラデルフィアでの予定された試合をNFLが2日間延期にするとした後、これに怒ったペンシルバニア州知事エド・レンドルからも、アメリカについての懸念を耳にした。 NFLは、ファンが氷や雪に覆われた道路をドライブしてくるのを望まないとして、そのゲームの延期を命じた。 しかし、レンドル知事はそれをもっと根深い問題として捉えていた・・・それはアメリカ人がヤワになってしまったということである。 「アメフトというのは元来なんにでも立ち向かっていくのが本質なのです」と彼は、スポーツラジオ番組のファナティックインフィラデルフィアのインタビューに答えた。「我々はすっかり弱虫の国になってしまった。 中国人はいつも我々のケツを蹴飛ばしている。 もし、同じことが中国であったら、中国人も同じようにゲームを中止にすると思うかい? 彼らは競技場に整斉と集まってくるよ、歩いてくるだろうし、道を踏みしてくるだろうね。

We read the doubts in letters to the editor, such as this impassioned post by Eric R. on The New York ¬Times comments page under a column Tom wrote about ¬China (December 1, 2010):
We are nearly complete in our evolution from ¬Lewis and ¬Clark into ¬Elmer Fudd and Yosemite Sam. We used to embrace challenges, endure privation, throttle our fear and strike out into the (unknown) wilderness. In this mode we rallied to span the continent with railroads, construct a national highway system, defeated monstrous dictators, cured polio and landed men on the moon. Now we text and put on makeup as we drive, spend more on video games than books, forswear exercise, demonize hunting, and are rapidly succumbing to obesity and diabetes. So much for the pioneering spirit that made us (once) the greatest nation on earth, one that others looked up to and called "exceptional."

ニューヨークタイムズ紙にトムが中国について書いたコラムの下に投稿された熱いコメントのように、編集者への手紙の中にも、私たちは懸念を読み取ることがある。
我々は、ルイスクラーク探検隊の冒険物語からエルマーファッドとヨセミテサムの漫画へと殆ど進化をしてきた。 私たちはかつて挑戦をし、欠乏に耐え、恐れを克服して未知の荒野へと突き進んだ。 このやり方で我々は大陸に鉄道を張り巡らすために集まり、ハイウェイ網を建設し、怪物のような独裁者を倒し、ポリオを撲滅し、そして月面に着陸したのである。 ところが今はメールをし、運転するときには化粧し、本よりもビデオゲームに時間を費やし、運動をはなからやめ、ハンティングを悪者扱いし、そして急速に肥満と糖尿病に脅かされつつある。 我々を地球上で最も偉大な国家たらしめた開拓者魂の多くが、そう、かつてよその国から尊敬されていたその魂が、例外的なこととなってしまった。


Sometimes the doubts hit us where we least expect them. A few weeks after returning from China, Tom went to the ¬White ¬House to conduct an interview. He passed through the ¬Secret Service checkpoint on Pennsylvania Avenue, and after putting his bags through the ¬X-¬ray machine and collecting them, he grabbed the metal door handle to enter the ¬White ¬House driveway. The handle came off in his hand. "Oh, it does that sometimes," the Secret Service agent at the door said nonchalantly, as Tom tried to fit the wobbly handle back into the socket.

ときおり、殆ど予期しなかったところで、私たちは懸念に遭遇する時がある。中国から帰国して2~3週間後、トムはインタビューをするためにホワイトハウスに出向いた。 彼はペンシルバニアアビニューのシークレットサービスの検問を通り、そして彼のバッグをx線の検査機を通して回収し、ホワイトハウスに繋がる道へ入る鉄のドアの取手に手をかけた。 すると取手が外れたのである。 トムがぐらぐらする取手を穴に戻そうとしていると、 「おっと、それは時々そうなります。」とシークレットサービスはドアのところで事もなげに言ったのだ。

And often now we hear those doubts from visitors here — ¬as when a neighbor in Bethesda mentions that over the years he has hired several young women from Germany to help with his child care, and they always remark on two things: how many squirrels there are in Washington, and how rutted the streets are. They just can't believe that America's capital would have such potholed streets.

そしていまや我々は来訪者から多くの懸念を耳にするようになった・・・ベセスダに住んでいる、ご近所さんは何年も子供の面倒を見てもらうためにドイツから数人の若い女性を雇っているが、彼らはいつも2つのことをコメントするという。 一つはなんてワシントンにはリスが多いのだろうというのと、もう一つは通りが轍だらけだということだ。 彼らにとって、アメリカの首都の道路がそんなにへこんでいるとは信じられないのだ。

Excerpted from That Used To Be Us: How America Fell Behind in the World It Invented and How We Can Come Back by Thomas L. Friedman and Michael Mandelbaum, published in September 2011 by Farrar, Straus and Giroux, LLC. Copyright 2011 by Thomas L. Friedman and Michael Mandelbaum. All rights reserved.

ドル急落の原因?S&Pは正しいのか?

2011-08-18 | コラム
Rating The Wall Street Ratings Agencies
ウォール街の格付け会社を格付ける

August 17, 2011

この記事を読んで「合成の誤謬」という言葉を想起しました。個々にとって正しい判断が、全体に
取っては誤りになるというものです。たとえば、みんなが一斉にパソコンで混まない時間帯の電車を調べてそれに乗った場合、その電車は結果として混んで大変になるというようなことです。高度に情報化された社会の問題点でもあります。株価、為替しかり。 多様性が尊重される一方で、同じ方向への振れが極大化する現代の特徴の一つです。個々でリスクを避けて動くと、全体でリスクが高まる結果になっている。
 
 
M. Spencer Green/AP

A trader reacts after the close of trading in the Nasdaq 100 Index pit on the floor of the CME Group on Aug. 8 in Chicago. Stocks plummeted after Standard & Poor's downgraded U.S. debt.

Earlier this month, Standard & Poor's announced that it had downgraded the U.S. credit rating from AAA to AA+, citing political risks and the nation's rising debt burden. It was the first time in history that the U.S. credit rating was lowered.
On Wednesday's Fresh Air, law professor Frank Partnoy joins Dave Davies for a conversation about what S&P's decision means and how ratings agencies acquired the influence they have in our economy. Partnoy used to work in derivatives on Wall Street and now studies the markets and financial regulation. He says he didn't think much of S&P's decision.

今月上旬、スタンダード&プアーズが、政治的なリスクと国の負債の急増を理由に、米国の信用評価をAAAからAA+に格下げしたと発表した。米国の信用が格下げになるというのは歴史始まって以来の出来事であった。
水曜日のフレッシュエアーで、法律教授のフランク・パートノイはデイブ・ディヴィスとスタンダード&プアーズの決定の意味するところと、どのように格付け会社がその影響を米国経済にもたらすかについて話し合った。 彼はスタンダード&プアーズの決定を重視していないというものだった。


"It's not a major downgrade to default levels — they're not saying the U.S. is going to default," he says. "They are saying that the chances of the United States defaulting are higher, and I don't think that that's right. I think that most investment professionals don't think that that's right."
Partnoy explains that after S&P's announcement, the bond markets reacted to the decision in the exact opposite way that one might expect.
"Instead of prices going down, prices went up. People looked at United States Treasuries and said, 'Oh, we're going to buy these, this is a good place to invest, it is still just as safe,' " Partnoy says. "And I think that is consistent with how the markets have reacted to S&P over the years. It's a great paradox of these credit ratings agencies that they change these ratings in ways that have very little informational value. It doesn't actually tell us anything about the chances of the U.S. defaulting. ... It's not useful."

「それはデフォルトレベルの大きな格下げではない、彼らは米国がデフォルトに向かっているとい言っているのではない。」「彼らが言っているのは、米国のデフォルトの可能性が高くなったと言っているが、それは正しくないと思っている。 殆どのプロの投資家もそうは思っていない。」と彼は言う。
パートノイは、S&Pの発表のあと、国債市場は、その決定に対して、予想に反した正反対の反応を示したと説明している。「国債の価格は下がるどころか、上昇したのだ。」 人々は米国債を見て、「米国債は買いだ、投資するチャンスだ。米国債はまだ安全だ」と言っている。「私は、その反応は、市場がこれまで何年もS&Pに反応してきた内容と一貫性があると考えている。それは情報価値のない手法で評価を変える格付け会社の大いなるパラドックスだ。その格付け変更はなんら米国のデフォルトの可能性に言及していないし、情報として使えない。」と彼は言う。


The History Of Ratings Agencies  格付け会社の歴史
So how did Wall Street ratings agencies like the S&P and Moody's acquire the influence they have in the economy?
It started in 1909, when investor John Moody was trying to determine how to tell the public which companies and bonds would be the safest to invest in. He acquired long lists of financial information about each company, but the lists weren't exactly easy for the general public to parse. Moody decided that it would be easier for his company to look at each company's financial information and credit history — and then assign each investment opportunity a rating based on a scale.

それではスタンダード&プアーズやムーディーズといったようなウォールストリートの格付け会社は、どのようにしてその経済に対する影響力を獲得していったのだろうか?
それは、投資家のジョン・ムーディーズが、人々にどの会社や債券が一番安全で投資に適しているかを、いかにして伝えるかを思いついた1909年に始まった。彼は夫々の会社の財務情報の長い資料リストを入手したが、そのリストは一般の人々にとって解析するのが困難だった。そこでムーディは、彼の会社が、個人に代わって夫々の会社の財務情報と信用の履歴を見ていく方が容易だと考えた。 そして尺度に基づいた評価で投資機会を知らせることにした。


"He said, 'I wonder what would happen if I just gave people a simple mnemonic device and it would boil down to a letter — start with AAA, which would be the safest, then AA and A, all the way down to D,' " Partnoy says. "It's kind of like the grades I give my students in law school — from A going all the way down to the bottom, with D being default. And this caught on."
Moody published his information about railroad investments in a book. Any investor looking to buy a railroad bond would purchase his book and then would know, based on the ratings scale, which investments were safest and which were the riskiest for their investments.

ムーディは言った。“もし、私が人々に簡単に評価を覚えられる方法を与えられたらどうなるだろう。 それが詰まるところアルファベット表示になった。 それはAAAの(もっとも安全)から始まり、次にAAそしてAというふうにDまでつける。”」「それは私が、自分の法科の学生を評価するのと同じだ――Aからはじまって、一番下のDのデフォルトまで、そして、このやり方が流行った。」とパートノイは説明する。
ムーディは鉄道投資について、本にして出版した。 鉄道債券を買う投資家は彼の本を購入して、その評価尺度に基づいて、彼らの投資のどの投資が安全で、どの投資がリスクが高いかを知るようになった。


After the stock market crash of 1929, the agencies began to also rate bond investments for banks — at the request of the U.S. government. But things began to change in the 1960s and 1970s. Instead of charging investors for their ratings information, the agencies began to charge the bond issuers themselves for the ratings.
"People were quite critical of this and said it could create a conflict of interest," Partnoy says. "You can imagine what the difference between ratings of restaurants and movies might be if instead of the Michelin Guide or the Zagat guide, if the restaurants or movie companies themselves were paying the raters to be rated, it's an obvious conflict of interest. And now it's very commonplace that companies and governments — anyone who wants to borrow money — they are the ones who are paying for the rating."
In addition, some regulation agencies like the Securities and Exchange Commission began outsourcing some of their work to the ratings agencies.

1929年の株式市場の暴落で、評価会社は、米国政府の要請に基づき、銀行の債券投資の評価も手掛けるようになった。しかし、1960年代から1970年代に事態が変化し始めた。その評価情報の代金を投資家からではなく、債券発行会社から取るようになったのである。
「人々はこの事態に非常に批判的で、利益の混乱(相反)を生むと言っていた。」パートノイが説明する。「レストランや映画の評価がミシュランやザガットではなく、レストランや映画会社が評価会社に自分たちの評価の為にお金を支払っているとしたらと想像してみてください。それは明らかに利害相反です。 そして今や会社であれ政府であれ、資金を調達したい者は誰であれ、その評価会社に支払っているのが、当たり前になっているのです。」
更に加えて、証券取引委員会のような、幾つかの規制機関までもが、その仕事の一部を格付け会社に外注し始めたのです。


"The SEC had the job of figuring how much capital broker-dealers would have to set aside in order to remain safe," Partnoy says. "So they said, 'We're going to designate these [ratings] agencies ... to do our work for us. You go out and rate these bonds.' And more and more regulators [like the SEC] thought this was a good idea. They said, 'We don't have to do our job. We can get ratings agencies like S&P or Moody's to do our job for us.' ... A web of regulation grew over the most recent decades to make it so that if you're a company and you want to borrow and you want a large institutional investor to buy your bonds, you got to get a rating. There's no choice."

「証券取引委員会には、ブローカーやディーラーが安全のために、どれくらいの資本を投資せずに保持しているかを調べる仕事がありますが、彼らはその仕事をしてもらうために、これらの格付け会社に外注することにします。そして他の規制機関も、飛びついて後に続きます。彼らはS&Pやムーディズが我々に代わってしてくれるから、自分たちは、その仕事をやらなくていいと考えるようになりました。 このようにして規制の網がこの何十年かで増大し、あなたが資金を調達したかったり、自社の債券に大きな制度上の投資を受けようとすれば、絶対に格付け会社から評価をしてもらわねばなりません。 他に選択肢がないのです。」と彼は説明する。

Ratings agencies then became the official arbiters of what is safe for long-term investing. Some mutual fund investments, for example, are dictated by rules that largely depend on ratings — they can only buy bonds rated AAA or AA. Insurance companies, global banks and pension funds are also largely dictated by what the ratings agencies say.
"Over time, we've created this very strange business model for the ratings agencies where, regardless of whether we think their ratings have value — whether we think this bond actually is AAA, that doesn't matter," Partnoy says. "It has to be AAA in order to be sold whether the AAA is accurate or not."

格付け会社は、そうやって長期投資にとって何が安全かということに関しての公的な権威機関になっていったのです。例えば、幾つかの投資信託は大部分をこの格付けのルールに従っています。 彼らはトリプルAかダブルAの債券しか扱いません。 保険会社、メガバンク、年金ファンドなどもおおむね格付け会社の言うことに左右されます。
「そういうことを繰り返すうちに、この奇妙な格付け会社のためのビジネスモデルが出来上がってしまったのです。 そこでは我々が彼らの格付けを意味があるかどうかに関係なく・・・我々がこの債券が本当にAAAと考えているかどうか、など問題でなくなったのです。」「トリプルAが正しい評価かどうかにかかわらず、売るためにはAAAで無ければならないとなったのです。」とパートノイは説明する。


Frank Partnoy is the George E. Barrett Professor of Law and Finance and is the director of the Center on Corporate and Securities Law at the University of San Diego. He worked as a derivatives structurer at Morgan Stanley during the 1990s. He is the author of FIASCO: Blood in the Water on Wall Street, Infectious Greed: How Deceit and Risk Corrupted the Financial Markets, and The Match King: Ivar Kreuger, The Financial Genius Behind a Century of Wall Street Scandals.

フランク・パートノイはジョージ・E・バレットの法律と財務の教授であり、サンディエゴ大学の企業センタ―証券法の部長でもある。 彼は1990年代にモルガンスタンレーでデリバティブストラクチャラー(派生商品の組合せ担当)として働いている。
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Frank Partnoy is a law professor at the University of San Diego.

Interview Highlights  インタビューハイライト
On the role the ratings agencies played in the financial collapses of 2007 and 2008   
2007年と2008年の経済崩壊における格付け会社の果たした役割について。
"The ratings agencies were absolutely at the center of the crisis. They enabled and facilitated all of the complex financial instruments that really were at the core of why the markets melted down, first in 2007 and then in 2008. What they did, basically, was initially rate mortgage-backed securities — the bundles of prime and subprime mortgages — and then in a second wave of ratings, they took those mortgage-backed securities and they rated bundles of those bundles, which were called collateralized debt obligations. Basically what they were doing was repackaging things they had already rated. The reason there was such a big problem in 2007 and 2008 was they had taken subprime mortgage bundles that initially had low ratings, and then when they were bundled a second time, they gave them much, much higher ratings. It turned out those higher ratings were false and they had to downgrade them, and the downgrade was what caused the collapse of Lehmann Brothers and nearly many other banks."

「格付け会社は間違いなく、その危機の中心にいました。彼らは、市場がなぜメルトダウンしたのかの核心であった複雑な経済指標の全てを有効にし、活用した。最初は2007年そして次に2008年に。 彼らがやったことは、基本的に抵当権付証券を最初に評価―プライムとサブプライム抵当のセットです――そして次に格付けの第二の波で、彼らは、それら抵当権付証券を引き取り、それらの組合せ債券とのセットを格付けしたのです。我々が言うところの債務担保証券です。基本的に彼らがやっていたのは、彼らが格付けしている商品の※リパッケージングだったのです。 では、なぜ2007年と2008年にそのような大きな問題が起きたかというと、彼らが当初に低い格付けのサブプライム抵当債券のセットを引き受け、次にそれを、更に別の組合せをして、その商品にとても高い格付けをしたのです。 その高い格付けが誤りであったとバレて、彼らは格付けを下げざるを得ませんでした。その格下げがリーマンブラザーズと関連銀行の破綻の引き金になったのです。」
※リパッケージ
すでに存在している金融商品を基に、デリバティブなどの方法で別のキャッシュフローを持つ、別の商品に作り直して、投資家に提供すること。たとえば市場で割安で取引されている証券を買い集めて、SPV(特別目的会社)に保有させて、新たな債券をSPVが発行するなどの形をとる。英語ではRepackagingという。


On what would have happened had the ratings agencies said the mortgage-backed securities were risky
もし格付け会社が抵当権付証券は危険だと言っていたらどうなったでしょうか

"If they had done what they were supposed to do, these would not have been rated AAA. They would have been rated AA or A or BBB or even further down the scale. If they were rated lower, then large institutional investors wouldn't have bought them, and at the major banks, people would have seen flashing red lights that said, 'Oh, these things are risky.' The problem was, when people looked at these instruments, they saw AAA and they believed that it was actually AAA. In fact, it wasn't."

「もし、彼らが、期待されたようにキチンとしていたら、これらはトリプルAに評価されなかったはずです。 それらは良くてAAかA またはBBB いやそれより下だったかもしれません。もしそれらが低く評価されていれば、大きな機関投資家はそれらを買わなかったでしょう、そして主要銀行でも、人々は赤信号の点滅をみて、“これは危険だ”と言ったはずです。 問題なのは人々がこれらの格付け会社の便利な格付けを見たとき、トリプルAであれば、そのままトリプルAと信じてしまうということです。 事実はそうでなかったのです。」

On his experience with the ratings agencies while working on Wall Street
ウォール街で働いているときの、この格付け会社にからむ経験について

"I think it would be fair to say that we would run circles around them. The quality of the rating agencies' models was very low, and they often didn't have a very good understanding of what they were rating. ... In some ways, the mistakes that they've made more recently are tougher because they involve complicated math, very high-level understanding of the interrelationships among the subprime mortgages and the securities in these pools. So I do have some sympathy, having looked at the testimony from the rating agency employees that they were in over their heads. But nevertheless, if you're in a business and you're in over your head, I think the right thing to do is to step back and say, 'We're not willing to do this anymore.' And the employees at the ratings agencies who said, 'This is crazy — we can't put AAA on this,' they were ignored and very much ill-treated."

「こういうのが適当だと私は思います。つまり我々は彼等よりうまくやっているということです。格付け会社のビジネスモデルは非常に質が悪く、彼らは、しばしば、格付けしている対象を良く理解していないことがあります。 ある意味で、最近彼らが犯したミスは非常に厳しい状況下だったともいえます。つまりその格付けには複雑な数理論、サブプライム抵当と証券の、その全体の中での、相互関連についての非常に高度な理解を必要としたからです。ですから、格付け会社の社員がそれらは自分たちの理解を越えていたと証言するのを見て、私は少し同情さえしています。 しかし、それにもかかわらす、ビジネスの世界にいれば、やはり想像を超えることに遭遇するのです。 私が正しいと思うのは、一歩下がって「こんなことは、これ以上やりたくない」と言うことだと思います。 格付け会社のある社員達がこう言っています。「これは異常だ、 我々はこれにAAAなんて付けられない。」 彼らは無視されて、非常に冷遇されています。

On the Dodd-Frank financial overhaul law and regulatory reliance 
ドッドフランク金融規制改革法について

"There are two crucial changes. One is in the area of regulatory reliance on ratings. In other words, this web of regulation that depends on S&P and Moody's on the credit rating — like the requirement that your mutual funds buy only funds that are rated in the top two categories. What the Dodd-Frank bill did on that was require that various regulatory agencies remove references to ratings from those rules. It said take them out. Get rid of them. ... The challenge has been for regulators to come up with some substitute. ... There's some pressure for a proposal that I've advocated for a while, which is to rely on market prices, to look at the markets as one reference point for deciding whether or not something is creditworthy so that you reflect information and wisdom from a variety of market participants. That is showing up in some of the regulatory changes."

「そこには二つの極めて重大な変化があります。一つは格付けの規制依存の分野です、言い換えると、規制の網が、その信用格付けをスタンダード&プアーズとムーディーズの二社に依存しているということです。 ‐- 投資信託が上から二つの格付け(AAAとAA)だけにしか投資できなくする要求のようなものです。ドッドフランク条例がやったのは、いろいろな規制機関にそのルールを評価の参照から外させたことです。条例が言っているのは、そのルールを取り除けということです。規制機関にとっては新たな課題(代案)に取り組まねばなりません。かなり抵抗はありましたが、私が以前から主張してきた提案があります。その提案は、市場価格を信頼し、市場を注意深くみて信用の可否の指標とするということです、そのためには市場関係者の様々な情報や知識を生かすということです。この動きは規制の幾つかの変化として現れてきつつあります。」

アメフト衝撃から選手を守る。怖い脳震盪

2011-08-15 | コラム
At Last, Football Faces Concussion Problems Head-On
漸くアメフトが脳震盪問題に向き合う



ボクシング同様、アメフトも格闘技の一面がある。激しいスポーツは常に危険と背中合わせの部分
があるが、できるだけ防具だけでなく、ルール改正なども含めて選手の、その後の人生に負荷をかける
ことがないようにすることが大事では。選手に命を削るようなことを強いるスポーツは痛々しい。


August 14, 2011
The NFL got back to the playing field this past week for its first preseason games since the players and owners agreed to a new collective bargaining agreement. But the scene at NFL training camps is a bit different this year.
New rules now limit the amount of full-contact practice that players can participate in. Gone are the grueling summer two-a-days.
These rules were put in place to address growing concerns about player injuries, concussions in particular. Medical research suggests that the bone-crunching hits that energize fans have serious health consequences for players long after they hang up their pads.

経営陣と選手たちの労働協約が合意したため、全米プロフットボールリーグ(以下NFL)のオープン戦が先週始まった。しかし、NFLのトレーニングキャンプは、今年は少し違っている。
新しいルールは試合参加選手のフルコンタクト(身体全体での激突)のこれまでのやり方を制限している。 激しい一日に2回の練習試合も無くなった。
これらのルールは選手の負傷特に脳震盪についての懸念の深刻化に対処するために導入された。医療研究機関は、ファンが喜ぶような選手同士の激突は、選手の健康上に、引退後もずっと深刻な問題を引き起こすと言っている。


Warnings From A Former Player  元選手からの警告
Chris Nowinski isn't your typical Harvard graduate. After earning a degree in sociology and spending four years on the football team, Nowinski made his professional wrestling debut in 2001.
Two years later, he suffered a bad concussion, but tried to keep wrestling. The post-concussion symptoms became so severe that Nowinski had to take an extended absence, and eventually retired in May 2004.
Nowinski's own concussion experience led him to write a book on the subject and found a group called the Sports Legacy Institute to research athletic trauma. He's concerned about players with concussion histories who continue to play.

クリス・ノウィンスキーは、あなたが思っているような典型的なハーバード卒の人間ではない。社会学の学位を取得後、フットボールチームで4年間を過ごし、2001年にプロレスデビューを果たしている。
2年後、彼は酷い脳震盪を患ったが、レスリングを続けようとした。 しかし、脳震盪の後遺症はひどく、彼は暫く休業したが、結局2004年に引退した。
ノウィンスキー自身の脳震盪の経験から、彼は脳震盪についての本を執筆し、スポーツ・レガシー・インスティテュートという運動選手の外傷を研究するグループと出会うこととなる。彼は脳震盪後も競技を続けている選手たちを心配している。


The standard for diagnosing the seriousness of a concussion is how long the symptoms last, he says. "The longer the symptoms last, the more of an indication it might be that maybe you should hang it up," Nowinski tells David Greene, guest host of weekends on All Things Considered.
Nowinski's Sports Legacy Institute has done research into a condition called chronic traumatic encephalopathy, or CTE. This degenerative disease has been diagnosed in many retired football players, and may have led to the suicide of former Chicago Bears player Dave Duerson earlier this year.
"If you're an athlete thinking about your future," Nowinski tells Greene, "a lot of the guys who have long-term problems never had a problem when they were active athletes."
Out of the first 15 former football players his team examined, 14 had CTE. Nowinski sums up his research bluntly: "I think we've found that playing a lot of football is a very dangerous proposition."

脳震盪の重症度を診る基準は、どの位長く症状が続くかですと彼は説明する。「症状が長く続くようなら、出来るだけ早く競技を止めるべきだ」とウィークエンドの番組オールシングスコンシダードのホストであるデイビス・グリーンに話している。
ノウィンスキーのスポーツ・レガシー・インスティテュートは慢性外傷性脳症(CTE)と呼ばれる状況の研究を実施してきた。 この変性(退行性)疾患は、引退した多くのフットボール選手にみられ、それが今年の初めに起きた元シカゴベアーズ選手デイブ・デユアソンの自殺にも繋がっていると思われる。
「将来のことを考える選手なら、長期にわたる問題を抱える多くの選手が現役時代は問題を感じなかったと言うことを知っておくべきだ」とノウィンスキーはグレーンに語った。
彼が調べた元フットボール選手の15名のうち、14名がCETと診断された。ノウィンスキーは彼の研究結果を端的に一言で「フットボールの試合を沢山することはとても危険だ」と結論付けた。


Concussions Under Friday Night Lights  金曜日の夜の光の下の脳震盪
One high school player that Nowinski might worry about is Spencer Helgren from West Ishpeming, Mich. He plays offensive and defensive line for the Westwood High School Patriots.
In the third quarter of a game late last season, Helgren took a head-to-head hit from another lineman. He thought he was OK, and went back to cover a punt a few plays later. He was knocked down by a blocker, and after hitting the ground, he began to cry.

ノウィンスキーが心配している一人の高校生選手は、ミシガン州のウェスト・イシュメミングのスペンサー・ヘルグレンである。 彼はウエストウッド高校のチーム、パトリオットで攻撃と防御ラインをしている。
先のシーズン後半のゲームの第3クオーターで、ヘルグレンは他のラインマンと正面からぶつかった。 その時、彼は大丈夫と感じて、その後数回パントのカバーに回ってプレイした。そして、彼はブロックの選手によって地面に叩きつけられて、泣いた。



Submitted Photo/University of Michigan Public Relations

"I'm not the kind of guy that cries ever," he says. "I'm one of those guys that's kind of like a wall."
He knew something was up, but passed all of the team trainer's concussion test. And then he was cleared to play the next week.
In that game, Helgren suffered another head-to-head hit, and this time, he wasn't allowed back to the field.
"That's what started the six-month, 24-hour-a-day splitting headache that never went away," he says.

「僕はかって泣くような男ではなかった。 壁のように頑丈な選手の一人だった。」とヘルグレンは言う。 彼は何かが起こったと感じたが、トレイなーの脳震盪テストはクリアーした。そして次の週も試合に出た。 その試合で彼はまた激突したが、今度は試合に戻ることは許されなかった。 「それ以来、6か月間、一日中頭が割れるような痛みに悩まされている」と彼は言う。

A Coach's View  コーチの見解
The seriousness of both the short- and long-terms symptoms of head injuries make coach Jamey DuBose of Prattville High School in Alabama very careful when a player takes a big hit.
"If it's a head injury, we don't risk," DuBose tells guest host David Greene. "We just had a scrimmage Friday night and we had a kid take a big shot on a kick return. The kid was shaken up a little bit and we sat him down for the rest of the night."
DuBose, whose team is ranked No. 1 in the nation this fall by Rivals.com, says this caution is the result of new awareness about the seriousness of concussions.
"If I would've been a coach 10, 15 years ago, that player would have been back out there playing again," he says.
But even with this new awareness, players still want to get out onto the field and hit their hardest. Helgren himself says that he plans to return to his team this fall.
Because player behavior is so difficult to change, many are trying to figure out ways to at least limit the damage on a player's head.

頭の外傷の短期、長期両方の症状の深刻さを考慮して、アラバマ州のプラットビル高校コーチのジェイミー・デュボースは選手が激突したときは特に注意している。
「もし、頭部の外傷だと、リスクは避けるようにします。 金曜日の夜はキックリターンで挽回するようにさせます。 子供たちを少し入れ替えて、その子をその晩休ませます。」とデュボースは説明した。 この高校はライバルドットコムでこの秋全国一にランクされているチームであり、このような注意施策は脳震盪の深刻さを、みんなに新たに再認識させることとなった。
「10年から15年も前だったら、わたしも控えの選手はまた使ったでしょう。」と彼は言う。
しかし、この最近の認識にもかかわらず、選手は競技場に出て試合をしたがります。そして頭部をまた強打します。 ヘルグレン自身、この秋にはチームに戻るつもりです。
選手のこうした行動を変えるのは非常に難しいので、選手の頭部の損傷を少なくとも局限する方法を多くの人が考えています。


Engineering a Solution 工学的な解決策
Researcher Stefan Duma of Virginia Tech University has been studying how the human body responds to extreme impacts — during war, say, or auto accidents. A lifelong football fan, Duma began looking into sports impacts about 10 years ago.
A big-time football school like Virginia Tech has proved to be an ideal research environment.
Since 2003, Duma and his team have measured every head impact that each player experiences in every practice and every game. He says that typical impacts - the ones that occur 15 to 20 times on every play - have a strength of 30 to 40 times the force of gravity.

バージニア工科大学の研究者ステファン・デュマは戦争や交通事故といった極端な衝撃に対して人間がどのように反応するかを、これまで研究してきましたが、フットボールの大ファンでもあるデュマは10年ほど前からスポーツ衝撃について調べています。
バージニア工科大学のようなトップレベルのフットボールの学校は理想的な研究環境であることがわかりました。 2003年以来、デュマと彼のチームは、各選手が練習や試合で受けた頭部への衝撃を測定しました。彼は各試合で起きる10回から15回の典型的な衝撃は30Gから40Gの強さがあると言っています。


But the biggest hits are much more intense - up to 150 times the force of gravity.
"That's at the level of a severe car accident," he says.
Duma started testing how well different models of football helmets cushion these extreme impacts. And his team gave each one a star rating.
The newest, safest helmets got four to five stars — and he says they could cut risk of concussion in half.
The most popular helmet in the NFL last year — and the one worn by about half of Virginia Tech's players — got a paltry one-star rating. Now, because of Duma's research, every Hokie player will suit up this fall with a brand-new five-star helmet.
Duma admits that the best way to limit concussions is for players to tackle properly. Though they may feel invincible donning the latest armor, football players are still soft-tissue humans, vulnerable to the immense forces of the game

しかし、酷いのになると150Gを越えるものもあるという。「それは重大な車両事故に匹敵するレベルです。」と彼は言う。 デュマはどのような型のヘルメットが衝撃を和らげるか試験をしています。そして、その性能の評価を星印で表しています。
最新の最も安全なヘルメットは4つ星から5つ星で、脳震盪のこれまでのリスクを半分程度に低減します。 NFLで去年最も人気があったヘルメットで、約半数の工科大学の選手が着用したものは、一部一つ星の評価でした。 今はデュマの研究の結果、ホーキーの選手たちは、この秋から新しい5つ星のヘルメットを着用します。
デュマは脳震盪を防ぐ一番の方法は選手たちが正しいタックルを身に着けることだと考えています。 選手たちは最新の鎧(防具)を身に着けて無敵と感じるかもしれないが、中身の選手はあくまで柔らかい生身の人間であり、試合の強烈な衝撃には脆弱だということを忘れてはいけない。


バイリンガルは頭がいい?

2011-08-14 | コラム
Why It’s Smart to Be Bilingual
バイリンガルは何故スマート

The brain’s real super-food may be learning new languages.
脳の最高の栄養は新しい言語を学ぶことかもしれない。

アメリカでも、低学年での第二外国語の授業が急速に広がりつつある。長い間、アメリカ人は外国語の
習得が苦手であるといわれてきた、それはアメリカが世界の中心であるという自信に裏付けられ
たものだったのかもしれない。時代は明らかに次のフェーズへ移行しつつある。スペイン語と中国語
それにフランス語は人気のある順というのも興味深い。





Aug 7, 2011 10:00 AM EDT

Iain Masterton / Getty Images
On a sweltering August morning, in a classroom overlooking New York’s Hudson River, a group of 3-year-olds are rolling sticky rice balls in chocolate sprinkles, as a teacher guides them completely in Mandarin.

うだるような8月の朝、ニューヨークのハドソン川を見下ろす教室で、教師が全て中国語で指導するなか、3歳の子供のグループが、べたつくおにぎりをチョコレートでまぶしている。

This is just one toddler learning game at the total--immersion language summer camp run by the primary school Bilingual Buds, which offers a year-round curriculum in Mandarin as well as Spanish (at a New Jersey campus) for kids as young as 2.

これは、2歳の子供に中国語やスペイン語(ニュージャージーキャンパス)の一年コースを設けている、バイリンガル・バッヅ小学校で実施されている語学総合集中訓練のサマーキャンプでの幼児学習ゲームの一つである。
Bilingualism, of course, can be a leg up for college admission and a résumé burnisher. But a growing body of research now offers a further rationale: the regular, high-level use of more than one language may actually improve early brain development.

バイリンガル能力は、もちろん、大学入学や経歴を磨くのに役立つかもしれない。しかし、多くのリサーチがそれ以上の理由を今提供している。 それは、規則的かつ、ハイレベルの2か国語以上の言語の使用は早期の脳の発達を実際に促す可能性があるというもの。

According to several different studies, command of two or more languages bolsters the ability to focus in the face of distraction, decide between competing alternatives, and disregard irrelevant information. These essential skills are grouped together, known in brain terms as “executive function.” The research suggests they develop ahead of time in bilingual children, and are already evident in kids as young as 3 or 4.

幾つかの研究によると、2か国或いはそれ以上の言語を使いこなすことは、気が散ったときの集中力、二つの競合する案を前にしての決断力、無駄な情報を切り捨てる力を飛躍的に向上させるとのこと。これらの主要な能力は脳科学の用語では「実行機能」という言葉で、まとめて表現される。 このリサーチでは、それらの能力はバイリンガルの子供達に早期に育ち、3歳、4歳で既に顕著に違いが現れることを示している。

While no one has yet identified the exact mechanism by which bilingualism boosts brain development, the advantage likely stems from the bilingual’s need to continually select the right language for a given situation. According to Ellen Bialystok, a professor at York University in Toronto and a leading researcher in the field, this constant selecting process is strenuous exercise for the brain and involves processes beyond those required for monolingual speech, resulting in an extra stash of mental acuity, or, in Bialy-stok’s terms, a “cognitive reserve.”

まだ、バイリンガル能力がその発達を促すのか、正確なメカニズムについて明らかに解明されてはいないが、その優位性は、与えられた状況に対して、ふさわしい言葉の選択を常に迫られる、バイリンガルの特徴にあるようだ。 トロントのヨーク大学教授で、この分野に詳しい研究者であるエレン・ビアリィストックによると、このコンスタントな言葉の選択のプロセスは脳にとっては非常に負荷のかかる訓練であり、単一言語を話すときに必要とされるもの以上の脳による処理が必要とされ、結果として隠れていた知力が引き出されるという。 この知力を彼女の定義では「認知的予備力」という。

Bilingual education, commonplace in many countries, is a growing trend across the United States, with 440 elementary schools (up from virtually none in 1970) offering immersion study in Spanish, Mandarin, and French, in that order of popularity.

多くの国々では普通の、このバイリンガル教育が全米、440の小学校で急速に普及しつつある、(1970年には実質ゼロだった)、それらの学校では、人気順にスペイン語、中国語、フランス語の順で集中教育を実施している。

For parents whose toddlers can’t read Tolstoy in the original Russian, the research does offer some comfort: Tamar Gollan, a professor at University of California, San Diego, has found a vocabulary gap between children who speak only one language and those who grow up with more. On average, the more languages spoken, the smaller the vocabulary in each one. Gollan’s research suggests that while that gap narrows as children grow, it does not close completely.

自分の子供がトルストイを原語であるロシア語で読めない両親にとって、次のリサーチはある満足をもたらしている。 サンディエゴのカリフォルニア大学教授のタマー・ゴランは一言語のみを話す子供と2言語以上話す子供には明らかに語彙の大きな開きがあることを見つけた。 平均的に、多くの言語を話すほど、各言語でのボキャブラリーは減少する。 ゴラン教授の研究では子供が成長するにつれ、この語彙数の開きは、狭まっていくが、完全にはその差は埋まらないとのこと。

The rule of thumb for improving in any language is simple practice. “The more you use it, the better off you are,” Gollan says. “Vocabulary tests, SATs, GREs—those are tests that probe the absolute limits of your ability, and that’s where we find that bilinguals have the disadvantage, where you know the word but you just can’t get it out.”

経験から言って、どんな言語も単純な訓練で上手になります。「使えば使うほど良くなります。」「SATsやGREsの語彙テストは能力の絶対的な限界を明確にするテストです。そして、そこでバイリンガルの不利点がわかります、それは単語は知っていても、それが出ないということです。」とゴランは言う。

Gollan believes this deficit can be compensated for with extra study. A more complicated question is how and whether bilingualism may interact with other cognitive issues that can appear in early childhood, specifically attention disorders, says Bialystok. Because attention-deficit/hyperactivity disorder ※(ADHD) is linked to compromised executive functioning, it is unclear what impact learning a second language—which calls upon exactly these executive skills—might have on children with this condition. Research on this question is underway.

ゴランは、この欠点は更なる勉強で補われると信じています。もっと、ややこしい問題は、バリリンガル能力が、幼児期に現れる認知問題特に注意力障害に影響するのか、しないのかの問題、影響するとしたら、如何に影響するかの問題ですと、ビアリィストックは言う。 なぜならば、注意欠陥多動障害(ADHD)は実行機能障害とリンクしており、第二言語(まさにこれら実行機能を必要とする)を学ぶことが、その状況下で子供たちに与えるかも知れない影響がまだハッキリしていないのです。 研究はこの分野では解明の途上にあります。 


※注意欠陥・多動性障害(ちゅういけっかん・たどうせいしょうがい、英語: AD/HD: Attention Deficit / Hyperactivity Disorder)は多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害もしくは行動障害。注意力を維持しにくい、時間感覚がずれている、様々な情報をまとめることが苦手などの特徴がある。日常生活に大きな支障をもたらすが適切な治療と環境を整えることによって症状を緩和することも可能である。脳障害の側面が強いとされ、しつけや本人の努力だけで症状などに対処するのは困難であることが多い

Some of the most valuable mental perks of bilingualism can’t be measured at all, of course. To speak more than one language is to inherit a global consciousness that opens the mind to more than one culture or way of life.

もちろん、バイリンガル能力の、もっとも価値のある幾つかの精神的な恩恵は計り知れない。一つ以上の言語を話すことは2つ以上の文化や生活様式に心を開かせるグローバルな意識と不可分ではありえません。

Bilinguals also appear to be better at learning new languages than monolinguals. London-based writer Clarisse Lehmann spent her early childhood in Switzerland speaking French. At 6, she learned English. Later she learned Spanish, German, and, during three years spent living in Tokyo, Japanese.

バイリンガルはモノリンガルの人よりも新しい言語を習得するのが早いようです。 ロンドンに本拠を構える作家のクラリッセ・レーマンは彼女の幼少期をフランス語のスイスで過ごしています。6歳で彼女は英語を習得し、後にスペイン語、ドイツ語と学び、東京にいる3年間で日本語を習得しました。

“There’s a witty humor in English that has a different sensibility in French,” she says. “And in Japanese, there’s no sarcasm. When I tried, it would be ‘We don’t understand what you’re trying to say.’?”

「英語で機知に富むユーモアが、フランス語では異なった繊細な意味を持ちます。そして皮肉を込めて“私たちは貴方がおっしゃろうとする意味がわかりません”といっても日本語では皮肉にならないことがあります。」

With five languages under her belt—and a working familiarity with Latin and Greek as well—Lehmann finally considers herself sufficiently multilingual. “Enough, enough!” she says. “I don’t want to learn any more languages.”

5つの言語を身に着けて、そしてラテン語とギリシャ語も同様にしばしば使い、レーマンはついに自分は十分にマルチリンガルだと感じています。 「十分、十分、わたしはもうこれ以上の言葉を学ぶ気はないわ」と彼女は言っている。

英国暴動の根本原因は?(NWコラムニストが語る)

2011-08-11 | コラム
A Clockwork Orange
時計仕掛けのオレンジ

As the riots in London continue unabated, Rosemary Righter argues that the root cause is a lack of parenting, and teenagers who are not held accountable when they should be.
ロンドンの暴動が続く、ローズマリ・ライターがその根本原因は子育ての欠如と負うべき責任を負わされない十代の子供達にあると指摘する。

人々は生活を賭けた労働から解放され、衣食住の心配をすることがなくなった世の中。15歳のアレックス少年は、機械的に規則正しく過ぎてゆく毎日に退屈していた。完全に管理された未来社会で、あまりあるエネルギーをもてあそぶティーン・エイジャーの理由なき反抗を描く。製作・脚本・監督は「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック、原作は1962年に発表されたアンソニー・バージェスの同名小説。撮影はジョン・オルコット、音楽はウォルター・カーロス、編集はビル・バトラー、美術はラッセル・ハッグ、ピーター・シールズが各々担当。出演は「if もしも…」のマルコム・マクドウェル、パトリック・マギー、ウォーレン・クラーク、ジェームズ・マーカス、マッジ・ライアンなど。

今回の暴動を教育に遠因があるとして、反人種差別教育が逆差別に陥り、相対的な道徳が不偏性を
損ねたとしている。日本の同和問題で被差別の人が黒人だったらと考えると解りやすいかもしれない。
アメリカでは差別をなくすため、ある比率で公立大学に黒人を入れることを法制化したところ、大学の
質が著しく低下したという。差別はしないほうがいいが、差別をなくすとは保護を意味しない。また過去の
差別を今償うことでもない。感情が絡むだけに解決は、端的な解決策ではなく、世代をまたいだ緩やかな努力の継続がいるのだろう。
読者の一人が、多民族国家の悲劇であり、日本ではこのようなことは起きないとコメントしていた。




by Rosemary Righter | August 9, 2011 3:35 PM EDT
At the height of this spring’s Egyptian popular uprising, as we all marveled not just at the courage but the self-discipline of crowds mustered in their millions in the cause of individual rights and dignity, in London a rioting student from a pampered background casually chucked a fire extinguisher from a roof into the crowded streets below. Britain was demeaned by that comparison. Similarly, it is demeaned today by the contrast between the citizens’ revolts against dictatorship in Libya and Syria and the opportunistic trashing of great tracts of London’s streets by lawless gangs of youths bent, as two teenage girls boastfully put it, on “showing the police, and showing the rich, that we can do whatever we want.” Their “rich” victims have been mostly small neighborhood shops—wantonly set ablaze as often as looted—and families living in gutted small apartments above those shops.

この春のエジプト民衆の蜂起が最高潮に達したとき、私たちは皆、個人の権利と尊厳の為に何百万にもなった群衆の勇気だけでなく、自制心にも驚かされた。一方ロンドンでは甘やかされて、暴れまわる学生が下の通りの群衆にめがけて、屋根から消火器を当たり前のごとく放り投げる。 英国はその品格の比較において面目丸つぶれであった。 同様に今日は、リビアとシリアの独裁体制に対する市民の反乱とロンドンの各通りの広域で繰り広げられる、無法化した若い暴徒による、混乱に便乗した破壊行為の比較において面目を潰している。二人の10代の少女は自慢げに「警察共に見せてやる。金持ちどもに見せてやる。我々が何でもやりたいことが出来ることを。」と言っているが、彼らのやりたいこととは、放火し、略奪することだった。そして「彼らのいう”金持ち“の犠牲者は、実は殆どが近所の小さな商店と、全焼した階上の小さなアパートに住む家族だった。」

To describe last Thursday’s fatal shooting by police of a young black man, Mark Duggan, as a “trigger,” let alone a cause, of this mayhem is far wide of the mark. The friends and relatives who descended on the police station in Tottenham, north London, to demand answers were angry but nonviolent, and although Tottenham has a high proportion of unemployed black youth, it is no longer the police no-go area it was in 1985, when a machete and knife-wielding mob hacked Police Constable Keith Blakelock to death.

先週木曜日のマーク・ダガンという若い黒人の警官による射殺事件こそが、この破壊行為の原因だとするのは、はなはだ的外れと言わざるを得ない。ロンドン北部のトッテンハムの警察署に、なぜだと押しかけたダガンの友人や親類たちは怒っていたが非暴力であった。トッテンハムは若い黒人の失業者の多い地区ではあるが、1985年に斧とナイフを振り回す暴徒に警察官ケイス・ブラケロックが殺された事件があったときとは違い、もはや警察が立ち入りを禁止する地域ではない。 

The rioters who torched and thieved their way through Tottenham on Saturday were not out to avenge Duggan’s death: they were out to exploit it. To claim the streets as theirs, for laughs, for loot, and for the power-buzz of terrifying people, of seeing them panic and of seeing outnumbered police back away from their brick, bottle, and firebomb onslaughts. As thousands of them then did in relatively deprived Archway, Bethnal Green, Hackney, and Peckham; in leafy suburban East Dulwich, Ealing, and Croydon; and in affluent Chelsea and Notting Hill—anywhere the whim took them. In numbers far beyond the capacity of any metropolitan police force to contain. In numbers at which the mob instinct takes over and lawlessness, adroitly manipulated by gang leaders, breaks free of normal inhibitions about getting caught.

暴徒の連中が土曜日にトッテンハムのあちこちで働いた放火や窃盗は決してダガンの死に抗議したものではない。彼らは、通りを俺のものと主張するために、憂さ晴らしや、略奪、そして人々を脅し、パニックに陥れ、警察を大勢で圧倒し石やビンや火炎瓶で攻撃して追い散らすための大騒動をする目的で、その事件に便乗したのだ。なぜなら、何千人もの、この暴徒の輩は比較的貧しいアーチウエイ、ベスナルグリーン、ハッケニ―、そしてペッカームで暴れている。そして緑の郊外地区、ダルウィッチ、イアリング、クロイドン、更に裕福な地区のチェルシー、ノッティングヒルと・・・彼らの気の向くまま何処でも暴れている。 その数は、対応するどのロンドン警視庁の能力をも遥かにしのいでいる。 暴徒が本能的に感知した数での圧倒とギャング共が巧みに創り出した無法状況は、逮捕されるという通常の心理的抑制のタガを外してしまった。


Matthew Lloyd

To blame this orgy of violence on “government cuts,” as the left-wing former mayor of London Ken Livingston shamelessly has done, is also wrong. Not only have the cuts, while real, still for the most part to make any serious impact, “cuts” is a cop-out excuse for inexcusable behavior for which we all, as citizens, are collectively responsible. We have seen this coming and we have done, we have dared to do, pathetically little about its root cause: the collapse in Britain of parenting and, beyond that, of our readiness to take individual and collective responsibility for the fact that, as a nation, we seem to have become afraid of teenage children.

この凄まじい暴力を「政府の財政削減」のせいと恥ずかしげもなく非難した左翼の前ロンドン市長ケン・リビングストンも間違っている。財政削減だけではない、それでも多くの人にとって深刻な影響は実際あるが、「財政削減」のせいにすることは、市民として我々皆が集団で責任担っている弁解できない行為に対する責任逃れである。 我々は、いずれこの様な事が起こることを予見していたし、そのように仕向けてきた。我々は敢えて、その根本的な原因について何もしてこなかったのだ。 即ち、英国の子育ての崩壊と、それ以上に、一国民として、十代の子供たちを恐れるようになった事実に対しての我々が個人的、集団的責任を取る覚悟の喪失である。

There is an excuse for everything. If they behave appallingly, they are “hyper-active,” and if they learn nothing, they are either dyslexic or have attention-deficit disorder. If they are juvenile criminals, they may, in extremis, be subjected to ASBOS, “anti-social behavior orders,” rather as though they had farted, not mugged a 90-year-old for her pensioner’s purse. We have passed edgily by hooded teenage groups on street corners, even while David Cameron, then in opposition, urged us to “hug a hoodie.” Hug a hoodie? Try asking one of these 13-year-olds to pick up the spent can of extra-strength cider he has just chucked under your feet. There are sink schools where teachers count it as a really successful day when they got through roll call without a riot, and actually teaching is an optional extra. Teachers are told to work more closely with parents on children’s behavior, but as my teacher niece explodes, “Find me a parent, for starters! And then find me a parent who isn’t going to threaten to report me, or worse, for dissing her kid.”

言い訳の理由はなんにでもつく。 もし、子供たちが悪さをすれば、「過活動症候群」といい、彼らが何も学ばなかったら、彼らは「失読症」か「多動性障害(注意力欠如)」となる。そして少年犯罪を犯せば、ギリギリで、SDBOS 即ち反社会的行為令で扱われる。 90歳の年金受給の女性を襲って財布を奪っても、まるで、おならをした程度の扱いだ。我々は通りのコーナーにたむろするフードを被った10代のグループにイライラしながら通り過ぎる。それでも当時野党のディビッド・キャメロンは我々にこう訴えた「そういう子供を抱きしめてあげなさい。」 彼らを抱きしめるって? ためしに、そこいらの13歳の一人に、自分が足元に捨てたばかりの、甘すぎるジュースの空き缶を拾うように注意してみたらいい。 朝礼の点呼で騒動がないときは本当にいい方だと教師が説明する、掃き溜めのような学校がある、そこでは教えるということは、教師にとってオプションの付けたしにしか過ぎない。 教師は子供の行動について親と密接に連絡を取り合いなさいと言われているが、教師である、私の姪は激怒して言う。「新入生に私を親と思いなさいという!すると先生(私)に報告すると“注意しない親”と同じに私をみるの、ひどいのは“自分を軽蔑する親”と私が同じだと思うのよ。」



A hooded youth walks past a burning vehicle during the rioting in the London borough of Hackney., Peter Macdiarmid / Getty Images
In the British Museum recently, I (fairly) politely told a child to stop rubbing an ancient Assyrian statue with its chocolate-sticky fingers; as the museum guard looked on, her mother came at me like the Furies, saying she’d have me thrown out for verbal assault on the little pest. Poor parents have forgotten how to say “no” to the child demanding Nike trainers for his or her fast-growing feet, or iPods, or the expensive Blackberries that so many of the supposedly badly deprived teenage rioters have used to orchestrate trouble.

英国博物館で最近、私は(かなり)丁寧に子供にそのチョコレートで汚れた指で古代のアッシリアの像を触らないように注意したことがあった。博物館の警備員が見ていたが、この小さな厄介者(子供)に酷いことを言ったから、私を追い出すと言って、彼女の母親が鬼の形相で私のところに来た。 ダメな親は背が直ぐに伸びる子供がナイキのトレーナーを欲しがっても、どうやって「ダメ」というか知らない。アイポッド然り、高価なブラックベリー端末しかりである。そして多くの貧困層の子供が、このブラックベリー端末を今回の騒動の計画をやり取りするのに使っている。

We are asking the impossible of the police: they cannot remedy society’s sloppiness about inculcating moral values, making clear what are the normal rules of conduct, and teaching children that they have responsibilities toward others that go together with respect for their own rights. And when riots happen, we tend to blame the police for their arrogance toward the most arrogant semiliterate cohort of kids this country has ever bred. Particularly if the cohort in question is heavily composed of minorities—as in cosmopolitan London it almost always will be. This has been building up for decades, beginning with Lord Scarman’s report on the 1981 Brixton riots, which implied that until the ethnic composition of the police force reflected “the society they serve,” they somehow lacked legitimacy as law enforcers. Battered again by the McPherson report in 1999, this time for “institutionalized racism,” fear of offending minority sensibilities became even more of an obsession with London’s Metropolitan Police than it already was among teachers in Britain’s inner-city schools. This has ended by undermining the cardinal policing principle, a “without fear or favor” impartiality and equal treatment for all.

我々は警察に無理なことを頼んでいる。 彼らは社会のだらしなさを矯正できないし、道徳の価値を植え付けることも出来ない、何が行動の普通の基準かをはっきりさせ、そして子供たちに責任を担うことを教え、他人には他人の権利を尊重して共に歩くことを教えることも出来ないのだ。 しかるに、騒動が起きると、我々はこの国が、かつて育ててきた、読み書きもろくに出来ない非常に横柄な子供達に対する警官の態度が傲慢だと非難する傾向にある。 特に、この「問題児の群衆」が多くの少数民族からなっていると ―― 国際都市ロンドンのようなところだと常にそうなる。  この傾向は1981年のブリクストンのスカーマン卿のレポートに始まって、何十年も強まっていくことになる。 スカーマンレポートは、警察の中の少数民族(エスニック)の割合が、社会のそれと同じ比率になったとき、法執行機関としての合法性を、ともかくも欠いてしまうというもの。 このレポートはマクファーソンレポートによって、1999年制度化された人種差別として再び叩かれることになる。それは英国の都市部の学校の教師の間で既に広がっていた少数民族の感情を傷つけることを恐れる風潮が、警察にそれ以上あり、過敏になっていたからである。 結局このことが、恐れや情実を排除し、偏りのない公平な扱いを全ての人に対してするという、警察の基本原則を危うくしてしまった。

A generation of senior police officers has earned promotion by learning the language of social workers, of “racism issues” and moral relativism clothed as cultural sensitivity. In Tottenham, nervous cops at first held back, sensitive to the anger the Duggan shooting had engendered, hoping that the British police’s preferred tools of “persuasion, advice, and warning” would forestall the need for a more forceful response even as shop windows started shattering: in their anxiety to avoid another Tottenham riot, they treated the riot that was breaking out as though it was a demonstration. London burns in consequence. But it is we as a society, not the beleaguered police, who gave these Blackberry-and-brick-armed juvenile fiends the idea that “anything goes.” London is fighting back hearteningly now, with Twitter citizen armies wielding brooms and mops, buckets, and duct tape. And they are cheering every police vehicle they see. Now let’s sort out those children of ours.

今の警官の上層部の世代は、民生委員の人種差別問題の「あるべき集」と文化的配慮という衣をまとった相対的道徳観を学び、受け入れることによって今の地位を得ている。 トッテンハムでは神経質な警官達は、当初自制し、ダガン射殺事件で生じた怒りに敏感になっており、英国警察が好んで使う「説得、助言、そして警告」という段階を踏まねばという気持ちが、商店の窓ガラスが破壊されても、より強制力のある対応をすることを躊躇わせてしまった。つまり、もう一つのトッテンハム暴動を恐れるあまり、暴動が目前で起きているにも関わらず、まるで彼らの行動をデモのように扱っている。ロンドンは次々に火がつけられた。 しかし、このブラックベリー(スマートフォン)と煉瓦で武装した餓鬼どもに何でも出来るという考えを植え付けたのは、この苦境に立つ警察ではなく、社会としての我々自身である。 ロンドンは勇気をもっていま、彼らに立ち向かっている。ツィッターで市民が箒やモップ、バケツにダクトテープをもって自警団を組織し、警察車両を見ると応援している。 さあ、我々の餓鬼どもをやっつけよう。
August 9, 2011 3:35pm

ティーパーティクイーン ミシェル・バークマン

2011-08-09 | コラム
Bachmann: Tea Party Queen
Why Michele Bachmann is riding high going into Iowa.
バークマン: パーティクイーン
何故ミシェル・バークマンはアイオワで意気軒昂なのか


米国をデフォルトの危機に追い込んだティーパーティのクィーンと呼ばれるバークマン女史
わかりやすい説明で大衆の心を掴んでいるのは事実だが、危うい一面もある。国民が現状の政治家と
政治に倦んでいるところは米国も日本と同じ、こういう膠着した鬱の時代には、明るくて頼りがいのある
ヒーローやヒロインを大衆は求める。誰か政治や環境を変えてくれと・・そうすれば自分も変わる、でも
変わる自分が一体どんなことをしているのか。 それは棚に上げている。
大統領としての資質はともかく、人間的にはバークマンは立派な人に思えるのだが・・・・・。


by Lois Romano | August 7, 2011 10:0 AM EDT

Michelle Bachmann on the Campaign trail
キャンペーン中のミシェル・バークマン

Barreling past Iowa’s iconic cornfields aboard a blue campaign bus, Michele Bachmann tries to explain the uncanny political force that has catapulted her from a backbencher in Washington to a leading contender on the presidential trail. She has just finished electrifying a crowd in Ft. Dodge, Iowa, with a folksy assault on a bloated federal government that she and her Tea Party compatriots routinely vow to dismantle. “Obamacare” will be repealed in a Bachmann administration, the Republican congresswoman from Minnesota vows. G-men won’t tell you what lightbulbs you can use, either. And more of your hard-earned money will end up in your pocketbooks, not on the ledgers of mindless bureaucrats.

アイオワのシンボルであるトウモロコシ畑を疾走するブルーのキャンペーンバスに乗って、ミシェル・バークマンは彼女を一介のワシントンの陣笠議員から大統領候補の筆頭にまで飛び出させた異様な政治勢力について説明しようとしている。 彼女は、彼女やティーパーティの仲間がいつも解体すると誓っている、肥大化した連邦政府への庶民的な分りやすい批判で、アイオワのフォートドッジの聴衆を沸き立たせいた。 「オバマケア(オバマの健康保険提案)」はバークマン政権にとって代わられるだろうと、ミネソタ出身の共和党議員は宣言する。政府の人間もあなたがどんな電球を使えるか知らないわ。 あなたが一生懸命働いて稼いだ金は愚かな官僚共の元帳に預けるのではなく、自分の手帳で管理すべきだわ。

Such refrains have become all too familiar in Bachmann’s other world back in Congress, thanks to the yearlong rise of the Tea Party that just brought Washington to a standstill and the nation to the brink of default. But in Iowa, Bachmann’s simple, black-and-white distillations of complex problems are cheered as refreshing and tough. It’s part of the reason she finds herself favored to finish near the top of the Ames Straw Poll on Aug. 13, the first political-strength test of the arduous 2012 presidential contest.

ワシントンを凍りつかせ、米国を債務不履行の淵に追い込んだティーパーティの一年にもわたる躍進のおかげで、議会の裏のバークマンの独自の世界では、このフレーズのリフレインは、あまりにも知れ渡っている。 しかし、アイオワでは、バークマンの複雑な問題を白黒に分ける、単純明快さが新鮮で力強いとして喝采を浴びている。 それが2012年の困難な大統領選候補選びの最初の政治力テストである、エイムズ世論調査で彼女の支持をトップ近くにした一つの要因である。

Petite and prim, the 55-year-old mother of five delivers her stump speech with the earnestness of a preacher. She pulls out a huge whiteboard and for dramatic effect scrawls just how many zeros can be found in a trillion.
The elderly, the unemployed, the exasperated, and even a few disillusioned Democrats crowd her rallies and cheer her not-going-to-take-it-anymore shtick, even as they recognize some of its inherent contradictions.
“You use the word ‘anger.’ It’s not anger,” Bachmann told NEWSWEEK. Americans aren’t expressing “unhinged anger,” she says. “People are saying the country is not working.”

Married in 1979, Bachmann raised five children in Stillwater, Minn., and eventually fostered 23 kids. She has said her husband directed her to study tax law, and she obliged because “the Lord says: be submissive, wives; you are to be submissive to your husbands.” Asked about her choice of words, she explains, “That means that I respect my husband, and he respects me.” But in a Bachmann White House, she adds, “I would be the decision maker.”

小柄でキチンとした、5人の子持ちの55歳の母親は伝道師の真摯さで街頭演説をする。彼女は大きなホワイトボードを引っ張り出して、劇的な効果を出すために、1兆という数字にどれくらいゼロがつくか実際に書いてみせる。
老人、失業者、憤慨した人々、そして、中には民主党員で失望した人さえ、彼女の集会に群がり、そして幾ばくかの本質的矛盾の存在を知りながらも、彼女の「これ以上もってかないで」式ギャクに共鳴する。
「あなた達は「怒り」という言葉をつかうが、それは怒りではない。」とバークマンはニューズウィークに語った。 アメリカ国民は「度を越えた怒り」を表現していないと彼女は言う。「人々はこの国が機能していないと言っているのよ。」
1979年に結婚し、バークマンは5人の子供をミネソタのスティルウオーターで育てた。そして23人の子供の里親でもある。彼女は夫が彼女に税法を勉強するように命じたと言う。そして彼女は従った。なぜなら「ご主人が主婦は従順たれと言うから」、つまり夫には従うべきだわ。」 彼女が選んだこの表現について聞かれて、彼女はこう答えている「それは、私が夫を尊敬し、彼も私を尊敬しているということ。」 しかし、バークマンのホワイトハウス(家)では「私がディシジョンメーカー(決定権者)でしょうね」


Just months ago, Bachmann was the butt of jokes on late-night TV for her flawed grasp of U.S. history. But all that changed one night this spring when she took the stage at the first major GOP presidential debate with the middle-aged, drab men running for the nomination, and set herself apart with poise and precision. When others meandered or waffled, she shot back with answers that reduced Washington’s dysfunctional gridlock to understandable soundbites.

数か月前、バークマンは米国の歴史についての彼女の誤った理解がテレビの深夜番組で冷笑の種になっていた。しかし、この春その評価は一変した。 彼女は最初の大きな共和党の大統領候補者討論会で、中年の、風采の上がらない現指名候補者の連中を相手に、そのバランス感覚と正確さで大きく水をあけたのである。 彼らが遠まわしに、ぐだぐだ話すのに対して、彼女はワシントンの機能不全の行き詰まりを解消すると、分り易いテレビ受けする表現で答えたのだ。

In Iowa, where she was raised, Bachmann has become the living embodiment of the Tea Party. She and her allies have been called a maniacal gang of knife-wielding ideologues. That’s hyperbole, of course. But the principled rigidity of her position has created some challenges for her campaign.

One is overcoming the perception of hypocrisy. Democrats—and some of Bachmann’s Republican opponents—have noted the gulf between her rhetoric and record. She earned a federal salary as a lawyer for the IRS (an agency despised by the Tea Party), for example. Pressed on whether she took Americans to court to force them to pay back taxes, she answers carefully. “Our employer was the United States Department of Treasury. That’s who paid my salary,” she says. “And the client that we represented was the IRS.” She also says that the job opened her eyes to the “huge bureaucracy and how devastating high taxes are on almost every sector of the economy…farmers and families and small businesses and individuals.”

彼女が育ったアイオワでは、バークマンはティーパーティの生きた体現者となっている。彼女と彼女の同志はナイフを振り回すイデオロギーの熱狂的ギャング共と呼ばれている。 もちろん、これは誇張だが、彼女の頑固なまでの原則的な立ち位置が彼女のキャンペーンが批判に晒されている原因でもある。
一つは偽善の認識の克服である。 民主党員と幾らかの共和党の批判者は彼女のレトリック(口先)と実績の大きな隔たりを指摘する。例えば、彼女は(ティーパーティが軽蔑する)国税庁の弁護士として政府から報酬を得ている。税金を払い戻すように国民に上手に強いていたのかと畳みかけられて、彼女は注意深く以下のように答えている。「我々の雇用主は連邦財務省 でした。給与はそこから支払われていました。そして、顧客は私たちが代理人であった国税庁でした。」 そして、彼女は更に、その仕事が「とんでもない官僚主義と、いかに巨額の税金が全ての多くの分野の経済活動に課せられているか・・農家、家庭、中小企業そして個人に」について彼女の目を開かせてくれたと言う。


Bachmann owned a stake in her father-in-law’s farm that received more than $250,000 in federal agriculture subsidies between 1995 and 2008. She says that money all stayed with her in-laws. In Congress, she tried to secure more than $3.7 million in federal earmarks for her district—the kind of pet projects she has blamed for excessive spending. And she railed against Obama’s $800 billion–plus Recovery Act as wasteful, then signed a half-dozen letters seeking stimulus funds for local projects. Her requests in 2009 echoed the arguments Republicans lampooned Obama for using. A bridge project could create nearly 3,000 jobs a year, Bachmann wrote, while a highway project would “promote economic prosperity.”

バークマンは義理の父親の農場の株をもっているが、その農場は25万ドルの連邦農業補助金を1995年から2008年の間受け取っている。 彼女は、その金は全て彼女の義理の父親が受け取っている金であり、自分は受け取ってないと言っている。 議会で、彼女は、彼女の選挙区のために連邦予算枠を3.7百万ドル以上取ろうとしていたが、それは誰有ろう彼女が浪費だと指摘する類の長年暖められてきたプロジェクトのためであった。 そして、彼女はオバマの8千億ドルプラスの景気刺激策を無駄と言う一方で、自分の選挙区のプロジェクトの6つの景気刺激対策費の陳情書にサインしている。 彼女の2009年の要求は共和党が、オバマが予算を使うように激しく皮肉った議論を反映している。 橋のプロジェクトは3000の仕事を年間に生み出し、ハイウェイのプロジェクトは経済繁栄を推進すると彼女は書いている。

But far more damaging than the charge of double standards may be the growing realization among Americans of just how radical the Tea Party movement really is. The willingness of its most committed members to risk national default for the sake of achieving its political goals has no doubt contributed to the dramatic rise in the number of Americans who view the movement unfavorably. In a New York Times/CBS News poll published on Aug. 5, 40 percent of respondents described their opinion of the Tea Party as “not favorable”—up from 18 percent in April 2010.

しかし、これらダブルスタンダード(二重基準)の咎よりも、更にダメージが大きかったのは、ティーパーティの運動が本当に過激すぎるということにアメリカ国民が徐々に気づき始めたことかもしれない。政治目的を達成するためには国家をデフォルト(債務不履行)という危機に追い込むことも辞さないという同パーティの主流の考え方は、間違いなく国民がその運動を望ましくないとする割合を増やす方向に作用した。 ニューヨークタイムズとCBSの8月5日の世論調査では、ティーパーティの意見を望ましくないとする人たちが、2010年の4月の18%から、一気に40%に増加したことを示している。

At a time of population growth, increasing health-care costs, swelling ranks of retirees, and a sharp and prolonged economic slump—all of which point to the need for increases in federal spending just to meet government’s existing obligations—Bachmann and her Tea Party allies demand that Washington spend less. But they don’t just demand that spending increase less from year to year than previously planned; that’s what Congress and the president agreed to in the deal that ended the debt standoff, to the tune of $2.4 trillion over the next 10 years (albeit followed by a downgrade four days later). Rather, Bachmann and the Tea Party go much further, insisting that the federal government actually shrink over time, spending less money from year to year as its commitments grow.

人口が増加する時代に、医療コストは増加し、定年退職者も増加し、そきに、急でしかも長く続く経済不振が襲った―――これらの全ては、政府が直面する責任として、これに対応するために連邦政府の支出を増やす必要があることを示している。―― バークマンとティーパーティのメンバーは政府の支出削減を要求している。 しかし、彼らは支出増加を毎年、計画よりも抑えろ、つまり議会と大統領が同意した、2.4兆ドルもの額(4日後に下方修正されたが)を10年に亘って削減し、債務問題に決着をつける・・・というだけでなく、寧ろ、バークマンとティーパーティは更に連邦政府を徐々に縮小し、政府のコミットを増やしながら、支出を毎年削減することを主張している。

That means, of course, that its commitments would have to shrivel as well. In the Tea Party’s ideal vision of America, large federal agencies and federal programs would be dismantled and the savings redirected to states with block grants and individuals through lower taxes. Whether that would leave people at the mercy of the freewheeling (and often treacherous) marketplace remains an open and untested question.
Asked if her positions are extreme, Bachmann replies that the Tea Party’s ideals are simply the most rational solutions to a broken and profligate government, and that the only option is to stand tough. “I do not twist in the wind,” she says proudly.

もちろん、これは政府のコミットメントは同様に縮んでいくことを意味している。 ティーパーティが掲げる理想のアメリカ像は、大きな連邦機関と連邦政策を解体し、その予算を各州に交付金という形で配分し、個人には減税を通して還元するというもの。 国民を自由奔放な市場(しばしば恐ろしい)の意のままの状況下に置くというのは、いまだ未解決で未検証の問題である。
政治姿勢は過激ではないかと問われて、バークマンはこう、誇らしく答えている。 ティーパーティの理想は破綻してもなお浪費する政府に対する、最も理性的な解決策に過ぎない。そしてその唯一の選択肢は強硬姿勢にならざるを得ない。「私は渦巻の中でも、捻じ曲げられない」


There’s no telling if Republican primary voters will reward such intransigence. Even within the Tea Party itself, Bachmann is a polarizing figure. Many—especially in Iowa, with its high percentage of evangelical Christians—respond rapturously to her combination of antigovernment fervor and religiously inspired moral traditionalism on issues like abortion and gay marriage. But others are more consistent in their distaste for governmental meddling. For Matt Welch, editor in chief of the libertarian Reason magazine, Bachmann isn’t the “queen of the Tea Party.” In fact, he says, “she will have trouble” with its rank and file “if she’s seen as being more concerned about social issues” than cutting the federal budget.

共和党の選挙民の主力がその非妥協姿勢を受けいれるかについては何とも言えない。 ティーパーティの内部でさえ、バークマンは評価が二分する存在なのだ。 多くは――特に福音派(エバンゲリッシュ)キリスト教徒が高い比率のアイオワ州では――彼女の反政府熱と宗教観からくるゲイの結婚や堕胎のような問題についての伝統的倫理観からくる主張の組み合わせは熱狂的といえるほど受けるのである。 しかし、その他の人々は政府を引っ掻き回すやり方に、より嫌気がさしてきている。 自由主義者のリーズンという雑誌の編集長であるマット・ウェルチにとって、バークマンは「ティーパーティの女王」ではない。 実際、彼は、彼女が連邦予算削減よりも、社会問題について関心を持つような存在に見られると、陣笠議員連中にとっては疫病神になると言う。

For Bachmann, those issues are personal. Raised a Lutheran, she says she converted to a “living faith” at the age of 16 after attending a prayer meeting with a friend. “All I can say is that, you know, the Holy Spirit knocked on my heart’s door,” Bachmann recalls. “I literally got on my knees with some of my friends and then confessed my sins …I gave my heart to Jesus Christ.”
Other criticisms of her candidacy point to what she’s done since arriving in Washington. “Her record in Congress is…great remarks and great speeches, but in terms of results and accomplishments, nonexistent,” says former Minnesota governor Tim Pawlenty, whose presidential campaign has the most to lose in Ames. Bachmann dismisses the critique, hoping to convert a strong showing in the straw poll into momentum among voters and fundraisers elsewhere.

バークマンにとって、それらの問題は個人的問題である。 ルター派で育ち、彼女は16歳のとき友人と参加したお祈りの会で生活信条になったと言う。 「私が言えることは、わかりますか、聖なる魂が私のドアをノックしたのです。」「私は文字通り、友人と共に膝真づき、そして懺悔し・・・私の心はイエスキリストに捧げました。」とバークマンは回想する。
彼女の大統領候補に対する批判は、ワシントンに来て以来の実績を指摘している。 「彼女の議会での記録は・・・コメントやスピーチは派手だが、その実績となると何にもない」と前ミネソタ州知事のティム・ポウレンティは言う。 彼の大統領候補キャンペーンはエイムズ世論調査で事実上、敗退している。 バークマンは批判を跳ね返し、このエイムズ世論調査が示す力強い結果を、あらゆる選挙人とファンドレイザー(寄付金集金人)の力のうねりに変えていきたいと考えている。


If there’s one threat on the horizon, it’s Texas Gov. Rick Perry’s expected entrance into the race. He, too, offers evangelical fervor coupled with a stand against big government. But he has something she lacks: an executive record as the longest-serving governor in a state that is thriving in hard times. It doesn’t seem to faze her.
For now, Bachmann revels in the Iowa crowds, which don’t fuss about the missing fine print behind her ideas, the perceived contradictions among them, or their radicalism.

もし、見通しうる将来に脅威があるとすれば、テキサス州知事のリック・ペリーが指名レースに名乗りを上げることが予想されていることだろう。 彼も、彼女同様に福音派の熱と大きな政府への反対の姿勢を併せ持っているが、彼には彼女に欠けているものがある、それは州知事として、厳しい時代に州を繁栄に導いた長きにわたる実績である。 そんなことで彼女は動じないと思うが。
今のところ、バークマンは、彼女の考えに詳細な裏付けがないことや、出てくるその矛盾や或いは急進主義をぶつくさ言わない、アイオワの群衆を大いに楽しんでいる。


David Dankel, a lifelong Democrat who voted for Obama, came to Ft. Dodge to see Bachmann because he was “tired of paying for everyone else.” In April, Dankel saw his $16-an-hour factory job of 23 years move to Mexico. “I was getting ahead and now I can’t find a job. Obama promised change—well, where is it?”
Sitting on the edge of a metal folding chair in a sweltering parking lot, Donna Fouts, 73, doesn’t seem to care that Bachmann planned to vote against the debt-ceiling compromise that would ensure the arrival of her Social Security check and the military benefits owed to her sons and nephews. “Well, I’m sick of all them other politicians that tell me what to do with my life,” she answers. “Something about her tells me to follow her.”

オバマに投票した、根っからの民主党支持者である、ディビッド・ダンケルはフォートドッヂにバークマンを見に来た。なぜなら彼は「他人に支払うのに飽き飽きしたからだ」。 四月に、ダンケルは23年も働いてきた彼の時給16ドルの工場の仕事がメキシコに移転したのを見た。 「私は先に仕事に就いていたが、今は仕事が無い。 オバマはチェンジを約束したが、それは一体どこへ行ったんだ?」
うだるような駐車場の折り畳み椅子の端に腰掛けながら、ドナ・フォウツ73歳は彼女の息子や甥に対する社会保障や軍福利を保証する負債上限妥協案に反対票を投ずる予定のバークマンを気にしていないように見えた。 「私は、私に何かしてくれると言う他の政治家、皆にうんざりしているの。」「でも彼女のなにかが、私を惹きつけるの」と彼女は答えた。

August 7, 2011 10:0am