たびたび登場する「暇と退屈の倫理学」最後の方まで読んできましたが分かったような
分からないような・・もう一度読み返さないとだめかもしれない。
そもそもこんなに分厚い本になるくらい暇と退屈は深いものなのか・・・
とは言え過去にもいろいろな哲学者が触れていることなので、人間の根源的なテーマ
と言えるのかも知れませんね。
「結論」のなかにこうありました、「マルクスは自由の王国の根本的条件は労働の短縮
であると言っていた、誰もが暇のある生活を享受する王国、それこそが自由の王国である。」
つまり誰もが暇を味わえる社会が作られねばならないということですね。
「今の世界は人間らしい生を許さない出来事に満ち溢れている」とも、まさにその通りで
それを思うと暇や退屈を味わう幸せを感じないではいられません。
分からないような・・もう一度読み返さないとだめかもしれない。
そもそもこんなに分厚い本になるくらい暇と退屈は深いものなのか・・・
とは言え過去にもいろいろな哲学者が触れていることなので、人間の根源的なテーマ
と言えるのかも知れませんね。
「結論」のなかにこうありました、「マルクスは自由の王国の根本的条件は労働の短縮
であると言っていた、誰もが暇のある生活を享受する王国、それこそが自由の王国である。」
つまり誰もが暇を味わえる社会が作られねばならないということですね。
「今の世界は人間らしい生を許さない出来事に満ち溢れている」とも、まさにその通りで
それを思うと暇や退屈を味わう幸せを感じないではいられません。
おりました。まさに何というか背中で何かを
語ってるような印象です。深いですね〜。
昔は暇は暇としか考えてなかったけれど
今、この歳になってぽっかりと空くと、何やら孤独を
感じたりもしますが、自由だなぁと楽しむ余裕も
出てきました。桜をゆっくりと時間をかけて
眺めるゆとりも出てきましたね〜。でも昔を思い出す
ことは嫌ですね。そんな時はピアノに没頭するとか
小説書くとか没頭することも自由時間の過ごし方
ですかね〜
暇とか退屈とか孤独とか・・なかなか難しいテーマですね。
パーティーの最中に退屈を感じたり、大勢の中にいて孤独を感じたり、
人間というのは複雑な生き物だと思います。
好きなことに没頭できる時間はいいですね、一人時間の自由も必要だし。
人と話もしたい・・やっぱりバランスの問題っていうことでしょうか。