こんな世の中になりませんように。
ワクチン接種は「あくまで個人の自由意志によるものであり、任意です」
これでいいと思います、「努力義務」などという気持ち悪い表現はやめてほしい
町永 俊雄さんのコラムにとても腑に落ちる一文がありました、以下町永さんのコラムです。
「義務教育を考えればわかるが、子供に教育を受ける義務があるのではない。
親の側に、子供に教育を受けさせる義務があるのである。子供にあるのは、
教育を受ける権利である。 つまり、ワクチン接種を考えるとき、私たちの
側にあるのは、義務ではなく、権利なのである。
そして、その義務を担うのは、この場合は国である。
国は私たちに接種の「努力義務」を押し付けるのではなく、私たちが接種を
受ける権利を安心して行使できるように、私たちの理解と納得と万全の実施
をする義務がある。 「努力義務」は、お国の側にあるのだ。
私たちは理解し納得の上で、接種する、あるいは接種しない権利を行使する。」
ワクチン接種は「あくまで個人の自由意志によるものであり、任意です」
これでいいと思います、「努力義務」などという気持ち悪い表現はやめてほしい
町永 俊雄さんのコラムにとても腑に落ちる一文がありました、以下町永さんのコラムです。
「義務教育を考えればわかるが、子供に教育を受ける義務があるのではない。
親の側に、子供に教育を受けさせる義務があるのである。子供にあるのは、
教育を受ける権利である。 つまり、ワクチン接種を考えるとき、私たちの
側にあるのは、義務ではなく、権利なのである。
そして、その義務を担うのは、この場合は国である。
国は私たちに接種の「努力義務」を押し付けるのではなく、私たちが接種を
受ける権利を安心して行使できるように、私たちの理解と納得と万全の実施
をする義務がある。 「努力義務」は、お国の側にあるのだ。
私たちは理解し納得の上で、接種する、あるいは接種しない権利を行使する。」
私は今はワクチン打たないのですが、いかに少数派であるかが
ここに来てよく分かりました。
おっしゃるとおり、時間を経ないと分からないことだと思います。
それぞれが自分の人生を自分のやり方で決めていくという自由、
それが奪われることはつらいですね、束縛はされたくないという気持ちです。
お互いの意見を交換しあう場にいられて参考になりました。今は怒涛の真っ最中、時が過ぎて初めて
どれが良かったのか知るのでしょうか。
ただワクチン接種に関しては「受けない」という権利は確実にあるわけで
あえて差し出す(?)義務を求めるとすれば、
「感染しないためにワクチン以外の予防策と我慢を徹底致します」
というようなことでしょうか、等価交換の成立しない例かも知れませんね。
デリケートな問題なので様々な考え方があって当然と思います。
貴重なご意見感謝致します。
私は、権利と義務は等価交換と思っております。
例えば生存権を得るための生活保護を受けるには選挙や私的契約に関する権利を差し出さなければならないように。この等式に従えば、ワクチン接種を受ける権利には国の義務という対価があるために等式が成立しますが、接種を受けない権利には等価とすべき義務が何処にもないために等式は成立しないように思えます。
この等式は西側諸国でのみ成立するもので、香港や新疆自治区では、権利<義務の不等式でしかなく、自分のような異見をすら弄べる日本は、まァ恵まれているようにも思っています。
書いてましたね。ただこればかりは親子でも考えが違って当然、
それぞれが自分で考えた上で行動することで良いと思います。
それが自分に責任を取る生き方だと思いますよ。
ありそうですね、いままで「努力義務」という言葉はそれほど深く
考えずに過ごしていましたが、微妙に立場がすり替えられていることに
気づきました。
「そうだよ、なんかおかしいと思ったらこのことだったんだ」という感じです、
「努力義務」にはどこか上から目線の臭いがしてます。
義務と権利の履き違えは困りますね。
私事ですが、我が息子の長男は打たない派
次男は打つ派です。どちらも言い分があります。それで良いと思っています。
この国の政治家はいつの頃からか、国の義務を国民の義務・自己責任・自助努力のように置き換えるようになってしまいました。
自助・共助・公助の言い方が典型だと思います。