ブロブロガー@くつログ

Proと呼ばれたい...そして日々悪戦苦闘する
Brofessional な職業人の安息の日誌

◇63年目の原爆記念日に哀悼の意をこめて。。。アインシュタイン博士と原子爆弾

2008-08-06 | 科学技術
> 広島に原爆が投下されて,もう63年目なのですねぇ...


ええ...アメリカのB29 エノラ・ゲイ号が広島上空で投下した時刻は,午前8時15分17秒と記
録されています。。。

> ちょうど朝の出勤・通学時刻であった事も,被害者を拡大した要因と云われていますよね。。。

私たちの少年時代には,毎年8月6日前後になるとテレビや新聞などのメディアが一斉に特集を
やったりなどしていましたので,かなり詳しく知っているのですが,近頃はめっきり少なくなった気
がします...

> そんな事ないと思うのですが...
> しかし日本人の貴重な記憶を風化させてしまってはいけませんよね...
> 犠牲者の魂がうかばれません...

史上初の原子爆弾が作られ,使われた経緯を忘れない意味で,今日は「原爆の父」とされる
事のあるアルベルト・アインシュタイン博士の「特殊相対性理論」の話をします。。。


> Bro は以前,「歴史認識における相対性理論」の話を半ば冗談半分にしてましたよね...

。。。本人は結構,真面目に語っていたのですが,あまり話が飛躍すると,読者に頭を疑われて
しまいますからねぇ。。。詳しい説明は,それだけで本一冊分は必要だし...

> 半ば真面目に語っていた訳だ...でも,Bro は物理学の専門家ではないでしょう?

私がアインシュタイン博士の著書「我が相対性理論」の和訳本を本屋さんで立ち読みしていて
衝動買いしてしまったのは,まだ中学三年生の時でした...

> へ~え...結構頭良かったんだ...


学校の成績は「並」でしたけどね...
それに「我が相対性理論」は一般読者向けに平易に書かれた本でしたから...
自分にも解るかもしれないと思えたので,思わず買ってしまったんです。

> ...理解できたんですか?

繰り返し,繰り返し読みましたからね...
それに「特殊相対性理論」自体はそれほど難解ではないですよ。
数学的にも「ローレンツ変換」程度について行ければ理解できます。

> ...なるほど...でも一般的には「難解」と言われてますよね?

それはおそらく,それまでの物理の一般常識を覆した部分があったからでしょう。
革新的であった部分の本質は,「人間の認識の方法と限界」についての哲学的な考察です。
物理的な対象を観測しようとしている観測者の「立ち位置」が,絶対的な静止座標上に在る
のではなく,観測者自体が運動している座標系の上に乗っているので,対象と観測者の双方
の相対的な運動の結果しか人間には観測する事ができません。。。
そして,さらに大多数の観測行為は,「光」を捉える事で観測を行う...
我々も花火大会などでは,花火の光とドーンという爆発音とがズレる現象は日常的に経験し
ていますよね。。。

> う~ん...しかし,それらの純粋な物理理論から,どうやって原子爆弾が作れるのだろう?


だから一般に誤解があると思うのですが,アインシュタイン博士の理論が直ちに原子爆弾の製造
に繋がる訳ではない...
特殊相対性理論の理論的帰結として,「質量とエネルギーの等価原理 E=mc^2 」と云う式が
導出されます。
そして,この式が「原子核分裂→質量崩壊」の際に生ずる莫大なエネルギーの量を正確に計算
可能である事を示していたにすぎません。。。
もっとも「質量とエネルギーの等価原理」を知って,ごく少量の物質から莫大なエネルギーを取り
出す技術的な可能性を予見させたとは云えるのかもしれませんが。。。


> じゃ,アインシュタイン博士と原子爆弾製造とはまったく無関係??

問題はそこですが,アインシュタイン博士が後日後悔したのは,相対性理論を創った事ではなく
ルーズベルト大統領への原子爆弾製造計画の嘆願書にサインした事でした...

> ...サインしただけ?...

そう,しかしアインシュタイン博士のサインこそが,ルーズベルト大統領を動かす鍵になる事は,博
士に要請したレオ・シラードの説明から自覚していた事と思います。。。
実際,博士は2週間悩んだすえに,署名に応じたらしい。。。
そしてナチス陥落の2ヶ月前,2人は再び大統領への嘆願書を作成しています。
それは,原爆の日本投下を阻止しようと大統領に働きかけるものでした。
しかし,この手紙を読まないまま,ルーズベルト大統領は死亡しました。

> 戦後,彼らが大統領への手紙にサインする様子を再現した写真が撮影されていますね...
> この時には,もう博士に後悔の念は無かったのでしょうか?

戦後,日本の雑誌編集者からアインシュタイン博士に送られた非難の手紙への返信で,博士
はこのように書いています。
「原爆が,人類にとって恐るべき結果をもたらすことを,私は知っていました。 しかし,ドイツでも
原爆開発に成功するかも知れないという可能性が,私にサインさせたのです。」
そしてアインシュタイン博士は,戦争が許される条件を次のように示しています。
「私に敵があって,その敵の無条件の目的が,私と私の家族を殺すことである場合です。」


> 日本人は,アインシュタイン博士の来日の折,熱烈な歓迎こそすれ,決して殺そうなどとは
> 考えていませんでしたけどね...むしろナチスのユダヤ人迫害に批判的だった人が多い...

結局,アインシュタイン博士は原爆製造の父ではあっても,原爆使用については反対者でした。

> ありがとう。。。今度は原爆を開発した「マンハッタン計画」とトルーマン大統領の決断について
> 考えてみたいです。。。




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