「本日も読書」

読書と映画の感想。ジャンル無関係、コミック多いけどたまに活字も。

ギークス

2005年07月04日 | パソコン関連
この本はアメリカのコンピューターオタクの
少年たちを扱ったものだが、今の日本にも
当てはまるし、もっと「オタク」全体への
公平な視点があって読んでいて好感がもてました。

長いですよ。ずっと書きたいと思ってた本でして。

「ギークス-ビル・ゲイツの子供たち-」
ジョン・カッツ 飛鳥新社 2001年

まあ副題のビルゲイツ~ってのが適当とは
思えないのだが、いわゆる外向的で
自信に満ち溢れている、輝いているような
連中には全く分からないであろう世界が
世の中には存在するわけでございます。

私は多分両方を経験したっぽいので、
すごく著者がうまく書いていて凄いなあ
と思ったんです。

著者はジャーナリストとして、アメリカの
片田舎でコンピューターオタク=ギーク
として生きる少年と交流を持って、実際に
会いに行くんですね。

それがジェシーとエリック。
彼らはオタクです。
決して友人は多くないし、いわゆる体育会系
のカッコイイ連中とは全く違うタイプ。
人付き合いも無い。

そんな2人との交流を結んでいくうちに
著者は2人を大都市シカゴ行きを後押し
し、ついにはジェシーをシカゴ大に入れてやる
ため、大学の選抜部長にまで会いに行く。

これって実は大変な物語で、まず田舎のオタクが
どんだけしんどいかってこと。
人付き合いの下手な奴にとって新しい土地で
働くということがどんだけ大変かってのが
もう読んでて辛くなるほど、身に詰まされた

あ、この絵文字?初めて使ったなあ・・・
どうでもいいけど。

電車男が流行しても、絶対オタクが世間に認められ
ることは無いだろうな、と思っているんですよ。
絶対馬鹿にする奴はいるし、どんだけオタク文化は
素晴らしい、日本の強力な武器だって言っても
オタクじゃない人たちのオタクへの意識は変わらん
だろうな、という。

んで、この本にも、底流にあるのは
「どうせ分かってもらえないよ」という諦め
失望、絶望みたいなオタク達の気持ち、怒り
があるように思える。

もちろんオタク達も心を開かないんだけどさ

今日はこの絵をたっぷり使ってやる、ウケケケ・・・
しかしイマイチ意味不明であるな。

まあ、とにかく2人のギークがギークのままで外の
世界へ出て行く話なんだ。
その間にコロンバイン高校の事件があったりして
ギーク達が一気にメディアや人々の槍玉にあがり
悲鳴を挙げる。
それが実は最も危険なことなのに、ギークじゃない
人達は気付かないんですね。

日本ではそこまではないけど
近いことはあるでしょ。
最近の事件でも、少年がインターネットを
やっていた、と。
友だちがいなかった、少なかった、と。
何を考えているか分からなかった、と。
あまり喋らなかった、と。
暗い、と。

別に犯人は全く庇う余地も無いと思うんだけど
そのメディアの流す貧困な加害者像に
当てはまる子供たちのことを考えるとね。

私はもうそんな世界からは解放されたけど
高校までくらいは針のむしろなんてことは
あることだと思う。

嫌なもんですよ。
犯罪者とおんなじだーみたいな、ね。
そして「自分ももしかしたら同じことを
していたかもしれない」と思う自分への怖さね。

ま、こんなこと書いても仕方ないかもしれんけど。
今、クラスで針のむしろになっているあんた!
高校卒業までの我慢だ。
そうすればくだらねーなって思える。
ま、受け売りですけど、本心でもあります。

そんな受け売りも含めて心に残った部分を引用。

「僕たちはもう何年もお前たちのグループに
同じ思いをさせられてきたんだ、って。

でも解かってもらえたとは思わないけどね。
何年にもわたって毎日味わされる苦痛がどんなものか
なんて解るものか。

アウトサイダーであるということがどんなもんか、
人に解らせようとするのはすぐに諦めたよ」80頁

「ギークはどこでも好きなところでやっていくことが
できる。失業率ゼロであることを知ったのだ」82

この部分はあくまでギークのみに当てはまるんだけど。
コンピューターのできない私のようなオタクには
失業は身近な言葉です。

コロンバイン高校の事件のあとの言葉↓

「奴らはコンピュータ・ゲームとネットを非難する。
僕みたいなギークで、まだ高校にいる奴の生活は
地獄になるだろう。・・・たぶん、もうそうなってるよ」
203ページ

コロンバイン高校の事件のあとに教師にもクラス中
の連中にもボロボロにされ、自殺を考えている子への言葉↓

「歯を食いしばれって言ってやってよ」

「高校は地獄かもしれない。でも人生はその先に
あるんだ。言ってやってよ。ネットの上では
、僕たちギークはもう孤独じゃないんだって」
219

もしかしたら、殺人や自殺を防ぐのに彼らの言葉は
ものすごく効果があったかもしれない。
ジェシーもエリックも大学も出ていない、ただのコンピュータ
オタクだ。

しかし彼らの言葉はアウトサイダーになった
ことのない、ギークになったことの無い偉い人々の
言葉よりもはるかに説得力があり、そして信用される。

「リトルトンの事件を見た教育機関の多くは、変わり者や
ギークに対して、他人を虐殺しないことの重要さを説いた。
だが、彼らに対して、大量虐殺をするな、などという指導は
ほとんど無用だ。

彼らは、おそらくアメリカにおいて、
最も人殺しに手を染めそうもない人間たちなのだ。
彼らの選ぶ武器はモニタ上の炎であり、実物のマシンガンでは
ないのだ」229

実はここからギークたちは反撃するんだよね。
自分たちギークは人殺しじゃないってことを
親や大人、そしてメディアへ訴えていく。

だけどあれですな、そう言えば、
私だって高校時代は親を本当に殺したいって
思っていたことが何度もあったのに、
今では親が本当にありがたいもんだ、と思えるよう
になりましたしね。

あれは反抗期の一言で解決はせんわなー
しかし一人暮らししてからやっぱり考え方
とか変わるんでしょうな。

今になって「機動警察パトレイバー」の
4巻のラストで、ヒロミちゃんとノアが
話しているのを理解できたような気がします。
大人って完璧じゃないんだよ、って。

子供は親を絶対視していることがある。
だけどある時、親って完璧じゃないんだなあ
って静かに分かるときがくる。
そうなると、許せるようになるんですかねえ。

あの時もノアは後藤隊長への怒りみたいなのが
あったけど、徐々にそれが解けていく。
誰にでもあるもんなのかもしれない。
殺してしまったらそれもわからんのかも。
分かってももう遅いし。

・・・脱線しまくり。
最後に訳者のあとがきにこんな一文。

「文化系であろうと理科系であろうと、本当の意味で
創造的な仕事を成し遂げようとするなら、
人はオタクにならざるを得ないということは明らかだ」
  277ページ

ま、マイケル・ムーアのボウリング・フォー・コロンバイン
も見ろとは言わんけど、いろいろ考えていかないと、
本当に頭の中がワイドショー的になってしまうわな。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あう・・ (秋山からす)
2005-07-04 17:11:33
終わってみたら

全然、絵文字使ってねーな、と思いました。
返信する

コメントを投稿