「本日も読書」

読書と映画の感想。ジャンル無関係、コミック多いけどたまに活字も。

暗闇坂の人喰いの木

2005年06月08日 | ミステリー
住んでいるのが横浜ってこともあって、
読んだ後、いろいろ調べたのがこの本。
御手洗潔シリーズの3作目。

「暗闇坂の人喰いの木」島田荘司 講談社ノベルス

いきなり巻頭の写真に気味悪がること請け合い。
横浜の「暗闇坂」にある大楠は人を喰うらしい・・・
というおどろおどろしく、悲しいお話。

ただ、御手洗がそれまでより異常っぽくないです。
事件が異常過ぎて霞んでいるのか(苦笑)

えー実際に「くらやみ坂」は存在します。
もっともとにかくあのあたりは坂が多過ぎで(笑)
勾配がすごいぞ。

まあ、見に行きました。石碑と祠があります。
綺麗なところですよ。住むにはいいところです。
横浜MM地区のランドマークタワーも見れます。
市街に近いしね。

ネットでも写真が見れます。
バス停が近くにありますね。
「光源寺」という「ひかるげんじ」で良いのかなあ。
すごい名前だ。横浜は私の故郷と較べて凄い名前
があるからなあ。
「桜木町」に「紅葉ヶ丘」・・・本当にあるんだもんなあ。

今回ネットにかけたら「暗闇坂」ってのはいろんな
ところにあるんでビックリしましたよ。

そんで横浜のは「くらやみ」を「暗闇」「闇」「蔵止」「鞍止」
と時代・文献・地図によって当て字が違うそうで、確定
していないみたいです。(『西区再発見』横浜市西区の区政推進課
が発行している薄っぺらな本にそうありました)

どれもあてはまりそう。
「鞍止」については源頼朝まででてきます。
(「ものがたり西区の今昔」昭和48年 194ページ)
頼朝がこの坂で休んだという。
あとは単純にきつい坂なので休憩場所だったという。

「蔵止」は、くらやみ坂のある戸部町と帷子川(あのアザラシ・
タマちゃんがきて大騒ぎしてた川である
・・・どこいったんですかねえ)
を挟んで浅間町というのが
ありまして、これが昔、蔵の町なんですね(旧東海道に面してた)

そのあたりのことは「西区そぞろ歩き」という本(西区役所)で
描いている長谷川氏が綺麗な絵と文章で教えてくれます。
いろんな坂の名前が出てきて楽しいよ。
「尻こすり坂」や「百段坂」なんて別の意味で恐ろしい(笑)

まあ、とにかくちょうど蔵の止まる坂って感じでもある。

そんで本書でも述べられるとおり「暗いから」という
理由で「暗闇」「闇」とも名づけられたという。

んで、ここが処刑場だったのも本当。
西区の古地図で「戸部監獄」を確認。
神奈川奉行所とかが前からあったみたい。
明治には戸部裁判所になってる。(横浜市史・第三巻上)

さらに横浜市の教育委員会文化財課による「横浜の古道」
という本(冊子?)の10頁に最後の2行。
「暗闇坂を経て野毛切通に至る道もあった。この道は
古くからあったらしく~」とある。

この「古く」は相当古いぞ。
開港に合わせて作られた「横浜道」より古いってんだから。

ふふふ、「いわくつき」っぽいことが次から次へと出てくる。
関東大震災や戦時中の空襲でもこのあたりは酷い目にあって
いてねえ。

くらやみ坂で処刑された人の慰霊塔がある寺に、葬られた寺に
とどんどん話が出てくる。
そうそう、この「くらやみ坂」の近くの願成寺の昔の住職さんの
苗字が「楠」なんです(笑)
他にも「楠町」ってのもあるよ。

まあ、そしてとどめっぽい話が
「ものがたり西区の今昔」という昭和48年の西区観光協会
発行の本。そこの巻末年表をみるとねえ・・・

「1920、大正9年、魔の池の惨劇発生」

・・・怖すぎ。
これ、「西区そぞろ歩き」でも少し触れられているが、
それのさらに詳しい話が「~今昔」の185ページから。

昔、くらやみ坂のすぐそばに池があったんだけど、これが
大正9年の9月30日に決壊して、死者19名。
供養塔が願成寺にあるって書いてある。

さらに昔の話。
元々暗い池で、ある時、「坂」のカーブを曲がりきれず
米屋の車(台車?)ごと小僧さんが落ちて、死んだ。
母親が観世音の石碑を残した。

水死体だとか、池の水で死体を洗ったとか、いやんな話。
そして空襲で焼けた祠を直す尼さんの話が出るんだが、
この祠って石碑のこと?
今の「くらやみ坂」の脇にある祠ってこのことなのかなあ?

だとすると話がいろいろと違ってくる。
というのも、この尼さんの直した祠は「弁天様」のものだから。
尼さんの夢に池の神である弁天様(白竜の弁天様)が出てきて
それで祠をつくったんだと。

あの祠、処刑された人のために作られたのか、と思ったけど
ちがったのか。戦後の話で、しかも女性の竜神様である。
おお、別の意味でなんだかワクワクするぞ(アホか)

くらやみ坂の西中に刑場はなく、もっと上のほうだったとか。
血染めの桜とか。
首を洗った井戸によく落ちたという地元の人もいる(笑)

だが、平成7年発行の「西区史」にはこの池の事件は全くなし。
ただし社会主義者や大杉栄の名前が出てくる。

大正9年の3年後、大正12年に関東大震災。このごたごたで
大杉栄はは妻子とともに殺される。
やっぱりなんだか暗い話につながるなあ。いわくつきだ。

そうそう、この大杉栄を殺害した(とされるが本当はよく
わかっていない)「甘粕大尉」の本はすごい暗くて、
旅に持っていったのが失敗だったと思いましたねえ。
旅には明るい本を持っていかないと、嫌になります。


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