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電子書籍で「新サラリ-マンの法則」 「笑いの宝庫」を出版しました。

日本拳法 最高師範 

2007-07-01 05:40:14 |  人の縁は不思議
今年の2月11日(建国記念日)に、日本拳法最高師範の森良之祐先生がなくなった。自分の誕生日の翌日で、たまたま伊豆に旅行している時に知ったが残念ながら葬儀に参列出来なかった。今までの自分の生き方に身内以外でこれほど影響を与えた人はいなかった。自分が大学3年のときに、コンピュ-タの勉強をしたくて1年休学して九州から東京に出てきた。当時は両親が東京にいたので、安心して上京したのだが、わずか1ケ月で、父親が名古屋に転勤になるというので、両親が相談して、どこかの家に居候させてもらうようお願いをしていたのを覚えている。その結果、JR中野駅の北口近くにあった、日本拳法の道場に居候することになった。この道場が日本拳法の本部道場で、師範をしていた森良之祐先生に最初に会った場所である。先生がまた42歳。奥さんと小学生の娘さん二人と一緒にこの道場に住んでいた。先生の第一印象は、白髪交りのロングヘアで、身体も大きいし、声も非常に大きかったのを憶えている。口を大きく開けてワハッハッ!と笑い声も豪快。日本拳法というのは、少林寺拳法とは違い、全身に防具を装着して試合をする。当時としては画期的なスーパ-武道だった。顔には面をつけ、腹部にはしっかりとした作りで金属入りの胴をつけ股当ても付ける、手にはグロ-ブ、足はシュ-ズを履く。突く、打つ、蹴る、投げると技はなんでもあり。飛びけりもあれば、ハイキックも寝技もありと現在のテレビで放映されるK-1やプライドに近い実戦格闘技と言った方が分かりやすい。当時は、先生の家族の生活も苦しい時で、貧乏な事を絶対に恥じないという精神には何度か教えられる事があった。練習生の型演技を写真に撮っては、どこが良くないのか練習生に説明する。撮影後は、近くの写真屋に現像を出すのだが、お金がないので、お金があるときに払うと言って何ヶ月も払えない時もあったが、常に堂々していた。外出しない限り、いつも道場の安楽椅子に座り新聞を読みながら、練習生の練習を時折見ていた。時折、おい、誰それと誰それがリングに上がって試合をしろと大きな声が飛んでくる。相手が同じ体格だとか、同じ初心者レベルなら分かるが、あるときに初心者である自分に身長も体重も大きい全日本の重量級のチャンピオンと戦えというのだから、ある意味滅茶苦茶である。相手のパンチの重さに耐えれず結果は当然数十秒でノックアウト負けである。しかし、不思議なものでこういう練習を毎日していると、強い相手と戦うこともノックアウトされることに恐怖感がなくなる。逆に強い相手に一撃でも与えてやろうという気力が充実して練習に力が入る。強くなる為には場数を踏むというのは本当に大事な事だと教えられた。先生が外出するときは風呂敷を愛用した。永田町の議員に日本拳法の普及に協力を求めに行くときも、中野の警察学校に逮捕術を教えに行く時も常に風呂敷に本や書類を詰めて持ち歩く姿が懐かしい。礼儀や挨拶の仕方にも人一倍厳しかった。その後サラリ-マンになってから、数年後に会社に拳法部を作ったのだが、部員の指導に頭を悩ましているときに先生に色々協力を頂いたし、海外で仕事をするようになって治安が良くない国に行っても怖いという思いを感じないまま快適な生活が出来たのも先生のお陰である。先生の次の言葉を今でも大切にしている。

拳法とは大生命力にふれるために小さい自我を撃破する道である。  森良之祐



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