オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

日鉱・日立・日産グループ発祥の地、日立鉱山跡の日鉱記念館

2016年08月05日 | 茨城


助川城から日立駅に戻りました。駅前の発電用蒸気タービン動翼、直径5.4m。日立市らしいモニュメントです。



日立駅


情報交流プラザ

自由通路の側面

野外ステージ

日立シビックセンター

日立風物流

プラネタリウム

図書館



シビックセンター内部。日本建設業連合会BCS賞を受賞、設計は坂倉建築研究所、故坂倉準三が創設した設計事務所です。

平和展を開催中。日立は臨海工場地帯であったため空襲、艦砲射撃で大きな被害を受けました。

B29から投下された大型5トン爆弾。長崎で投下された原爆ファットマンと同じ大きさの通常型爆弾です。原爆の投下実験を行いました。

日立メディカルセンター。病院ではなく健診施設です。日立市は日立総合病院のほかに日鉱記念病院もあり医療施設は充実しています。

駅前のイトーヨーカドー

平和の鐘。日立は戦災で一面廃墟となりました。戦後復興はめざましく日立の企業力もあって道路や公共施設の整備は素晴らしい。

駅前からバスに乗り日鉱記念館にきました。日本鉱業(現JXグループ)が旧日立鉱山の跡地を活かして記念館をつくりました。

栄斜坑



鉱山資料館


資料館内部

銅鉱石

北海道の豊羽鉱山産出の鉱石。札幌市の郊外、定山渓にある鉱山です。日鉱の鉱山だったとは知らなかった。


削岩機のコレクション

削岩機の先端のピットとロッド


巻揚げ機


削孔機。岩盤に発破のための穴をあけます。

蓄電池式の機関車

坑道断面図

電気機関車

久原本部。日立鉱山を開発した久原房之助が陣頭指揮をした事務所兼住居。

「苦心惨憺處」久原の筆です。

塵外堂


日鉱記念館本館。日本建設業連合会BCS賞を受賞。

日本鉱業の社章「日月併輝」。太陽と月の金環食をデザイン化しました。私は蛇の目かと思ってましたが。

日立鉱山の鉱石

久原房之助像


35ミリ映写機。鉱山には映画館や芝居小屋がありました。

本館2階からの眺め

日立鉱山の全景

第一竪坑(左)と第十一竪坑のヤグラ

日立鉱山から3kmほど海側の日立鉱山のシンボル、大煙突(写真上方)と第三煙突(手前)。製錬にともなって発生する亜硫酸ガス煙害対策のため1915年に標高328mの山の上に高さ155mの巨大煙突が建設されました。煙突は1993年に老朽化で倒壊しました。
大雄院地区には現在も操業中の精錬工場があります。日立鉱山は1905年に本格的に操業を開始し、1981年に閉山しました。大雄院の工場は当初から他の鉱山で産出した銅鉱石も買鉱して製錬を行い、1972年に製錬は終了しました。今も電解精錬、金属リサイクル精錬の工場は操業を継続し、大煙突は機能を続けています。
日立製作所は日立鉱山の電機部門が独立した会社です。
久原房之助の後継となって久原鉱業を経営したのは久原の義弟、鮎川義介。鮎川は日本産業(日産)コンツェルンを形成し、旧満州にも進出しました。日立製作所も日産自動車も日立鉱山、日本鉱業をルーツとする同根の会社です。













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