オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

秩父路の旅 武甲山博物館、龍勢会館、秩父事件の井上伝蔵邸

2016年06月10日 | 埼玉
またまた秩父の旅です。今回は交通不便な場所へいくために車で出かけました。

最初に訪れたのは羊山公園です。春は芝桜の名所です。

秩父市の中心部

忠霊塔

羊山公園から見る武甲山

秩父鉄道の初代社長・柿原萬蔵の像

武甲山資料館の入口

同館は秩父セメント(現太平洋セメント)、三菱鉱業セメント(現三菱マテリアル)、武甲鉱業などによって1981年(昭和56年)に建設されました。武甲山の山頂爆破は1980年ですから、罪滅ぼしの意味で資料館を建てたのでしょうか。

石灰石鉱山の分布図。埼玉県は県別生産量で大分、山口、福岡などに続き全国7位です。山口県は小野田セメント(現太平洋セメント)、宇部興産、福岡県は麻生セメント(現麻生)ですね。私が子供の頃に住んでいた函館の近くの上磯町(現北斗市)には浅野セメント(日本セメント→現太平洋セメント)の工場があり、セメント工場は身近な存在で、函館市内から工場の煙突はよく見えました。石灰石は近くの峩朗鉱山で採掘しました。峩朗鉱山とは私には初耳で、ガンロウと読むそうです。峩朗鉱山は北海道唯一の石灰石鉱山で、今も操業中です。

秩父市の太平洋セメント、三菱マテリアル、武甲鉱業3社の関連図


武甲山のジオラマ

武甲山の昔の写真(左)と今の写真

武甲山は古代から順に嶽山、知々夫(ちちぶ)嶽、祖父(ちちぶ)ケ嶽、武光山、妙見山、武甲山と名前を変えました。秩父という地名はなんとなく北海道的だと思っていましたが、古代は知々夫といい、秩父と当て字をしたようです。北海道には秩父別という町が北海道中央部の空知北部にありますが、秩父からの移住者が開拓したのではなく、アイヌ語のチクシベツに漢字を当てたものです。私は秩父という地名は秩父出身の力士、若秩父で初めて知りました。若秩父以外では武甲山という力士もいたようです。

山頂爆破前の武甲山の写真。撮影者は清水武甲さん。武甲はペンネームでしょうね。


武甲山資料館に隣接するやまとあーとみゅーじあむ。展示は棟方志功の作品が中心ですが、内容はやや不満足でした。

旧下吉田町の道の駅龍勢会館の龍勢茶屋

龍勢会館。入口を入って右側が秩父事件の井上伝蔵邸、左側は伝統的な農民ロケット龍勢の展示館です。秩父事件は秩父困民党事件として知られ、1884年(明治17年)に秩父の農民・商人が決起した一揆です。



井上伝蔵邸への廊下



井上伝蔵邸は映画「草の乱」(2004年)で使用された映画のセットを移設したものです。私も映画を見ましたが、主演の緒形直人は頼り無い印象でした。

伝蔵邸の入口




内部

困民党の衣装

井上伝蔵は困民党の会計役でした。乱の鎮圧後農家に匿われ、のちに脱出し北海道へ逃れて1918年(大正7年)まで生きました。写真は北海道野付牛(現北見市)で家族と一緒に撮られたものです。

北海道新聞の記事

井上伝蔵は丸井商店の当主でした。

困民党事件を題材とした本。井出孫六の「秩父困民党群像」が一番ポピュラーです。私は読んでいませんが。

映画のキャスト。総理役は故林隆三でした。

困民党の旗。映画の小道具です。大宮郷は今の秩父市中心部です。

井上伝蔵邸の外観




龍勢会館。入館しませんでした。

龍勢の奉納者。五穀豊穣を祈念し龍勢を自作して奉納する伝統文化で、ロケットの元祖です。

道の駅龍勢会館の案内図

困民党軍が蜂起のために集結した椋神社の鳥居。この鳥居は椋神社の脇を新道が通り新道側に新たに作られたものです。

社殿

社務所

旧道側の古い鳥居

龍勢記念碑

龍勢のポスター

集結地の碑

秩父困民党が行動した経路。困民党軍は敗北し上野村(日航機墜落現場)、十石峠を越えて信州佐久へと逃れ八ヶ岳山麓で全滅しました。


秩父事件百年碑。なんともイメージとは異なる碑です。


旧下吉田村の旧武毛銀行本店。武毛銀行は秩父銀行、第八十五国立銀行、埼玉銀行と合併等で変遷し現在の埼玉りそな銀行となっています。

建物は1918年(大正7年)建築、登録有形文化財です。



同じく旧下吉田村の秩父小次郎の酒造所




最後に秩父鉄道の旧秩父駅を訪ねました。登録有形文化財ですが、駅から遠いので見学者は皆無、ずっと休館です。痛みが目立ちます。




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