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オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

東京ドーム野球殿堂博物館「昭和、平成と長嶋茂雄展」

2018年05月12日 | 東京
たまたま東京ドームの中華店で昼飯を食べたあと、長嶋茂雄展のポスターを見つけました。野球殿堂博物館で「昭和、平成と長嶋茂雄~ミスタープロ野球、プロ入り60周年記念」という企画展を開催中です。初めて野球殿堂博物館に入館します。私は東京ドームで野球の試合は一度も見たことがない。ドームには文化放送ジャンボ中古車市、鹿島アントラーズの親善マッチ、あとは確かオフロードバイク・レースでも入場しました。旧後楽園球場では1970年ころ札幌から上京したとき日本シリーズを観戦したことがあります。2018年の殿堂入りは松井秀喜、原辰徳、金本知憲、瀧正男(アマ野球指導者)の4氏。北海道日本ハムファイターズのユニフォーム戦前の名選手たち。藤村富美男、千葉茂、スタルヒン、景浦将、若林忠志、沢村栄治、二出川延明。私は解説者としての千葉茂、審判としての二出川は覚えています。1960年ころの名選手。米田哲也、稲生和久、長島茂雄、中西太、別所毅彦、川上哲治、杉下茂、大下弘。なぜか金田正一はいない。歴代の三冠王と完全試合投手の一覧。三冠王は7人11回、完全試合投手は15人。三冠王は年間を通しての打者の栄冠ですが、完全試合は1試合だけの偉業で、運にも大きく左右されます。三冠王と完全試合を同列に論じるのはいかがなものか。初の完全試合投手、藤村富美男。この銅像は長崎平和記念像を制作した北村西望です。藤村のサイン球団変遷史王貞治が選手時代に練習で使用した日本刀756号記念レリーフ1934年日米野球のポスター1872年に野球を日本にもたらしたホーレス・ウィルソン。第一番中学(のちの開成学校、第一高等学校・東京大学)の教官でした。正岡子規の俳句野球殿堂先月亡くなった衣笠祥雄長島茂雄新世紀表彰者。鈴鹿栄(軟式ボール発明者)、ホーレス・ウィルソン、正岡子規、フランク・オドール(日米野球交流に貢献)。あこがれの像。モデルは西沢道夫(中日選手)長嶋茂雄企画展内部雑誌メディア
バッターボックス体験コーナーテッド・タナベの作品。たしかサンシャインシティの内部にもテッド・タナベの壁画があります。大阪タイガースのポスター高野連の審判委員永年功労者記念像。モデルは郷司。長嶋茂雄名場面

私は元々は長島ファン・巨人ファンでしたが、長島の現役引退後は読売嫌いのため巨人とは縁切り、監督長嶋茂雄とは一定の距離をもって接しています。
長島が選手時代は新聞の表記は長島が主流でしたが、最近はほぼすべて長嶋で統一されています。いつごろからこうなったのか興味があります。戸籍上の本名は長嶋です。私は本人がある時点で「私は長嶋です」とアピールしたのかと思っていましたが、どうもそうではないようです。長島茂雄はああいう性格ですから、そんな細かいことを言うはずもない。マスコミの流れなのでしょう。本人特定がうるさくなってこうなってきているのだと思います。
ちなみに伝説の名投手は沢村栄治、現役の投手は澤村拓一、投手のタイトルは沢村賞。巨人の澤村は入団当初は沢村賞級の新人と期待された。沢村栄治は戸籍上は澤村だと思います。1980年ころまではマスコミでは細かいことにはこだわらなかった。
小沢一郎は政治家としては小沢で通していますが、本来は小澤です。不動産関係の記事でそうなっていました。
もう一つ長嶋茂雄に関する昔のお話。1960代前半に「ナガシマくん」という漫画が月刊「少年」に連載されていました。作者はわちさんぺい。「がんばれタブチくん」「ワイはアサシオや」など実在のスポーツ選手をパロディ化した漫画の先駆け的な存在でした。

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