巣鴨・駒込周辺をぶらぶら歩いてきました。コロナ禍でもコロナに負けずに旅に出るべきです。家にこもってばかりいると体調が悪くなります。老化が進むとコロナ一過となっても足腰が弱ってどこにも行けなくなる。それが一番心配です。
都営地下鉄・西巣鴨駅近くの巣鴨北中学校は戦前は映画撮影所でした。最初は河合映画製作社、次に大都映画となります。戦争が始まると大都映画は新興キネマ、日活と合併し大日本映画製作(大映)となります。大映は現在の角川映画につながります。




大都映画の主な俳優は、ハヤブヒデト(大人気のアクション俳優)、水島道太郎(戦後は東映で活躍)、近衛十四郎(松方弘樹の実父)、大山デブ子(大人気の喜劇女優)、水谷八重子(先代)など。娯楽映画専門の映画会社でした。
巣鴨北中学校(以前の朝日中学校)の校門
大都映画の時代の映画産業の様子は石神井公園ふるさと文化館で紹介されています。

四谷怪談お岩の墓がある妙行寺です。


魚がし供養塔
浄行像
うなぎ供養塔
納骨堂
立正大師正蓮聖人像
本堂
お岩の寺
お岩の墓は明治時代に四谷から移ってきました。
お岩の墓
田宮家の墓
浅野家の墓
当ブログで紹介した新宿区四谷の於岩稲荷、田宮稲荷のページはこちら
ゲーテの小径
東京ゲーテ記念館
公開展示は終了し、情報提供に専念するそうです。。
記念館の前のゲーテ・ポケットパーク
「ファウスト」
ゲーテ年譜

「旅びとの夜の歌」

六地蔵のある不動院
弘法大師



染井銀座
餃子店
霜降銀座
八百屋
魚屋。本店は砂町銀座です。
本郷通りからの霜降銀座入り口。霜降銀座商店街は内田康夫の推理小説の主人公浅見光彦の出身・居住の地です。内田康夫はながく霜降銀座のアンバサダーを務めました。
話題のいきなりステーキ
北区のコミュニティバス
駒込子育地蔵
ときわ食堂。本店は巣鴨で、大塚、駒込にも展開しました。大戸屋は池袋発祥で全国展開、海外にも展開しました。ときわ食堂は大戸屋のあとを追うのでしょうか。
旧駒込橋の高欄(欄干)
駒込駅。バックはホテルメッツ駒込
旅を終えて、巣鴨という地名について軽くコメントします。
現在、巣鴨といえば巣鴨駅周辺を指します。巣鴨という名称の駅としてはもう一つ、都営地下鉄の西巣鴨駅があります。西巣鴨駅のすぐ近く、大都映画撮影所跡に巣鴨北中学校があります。JR巣鴨駅から見れば西巣鴨駅も巣鴨北中学も北西方向なのでどちらもほぼ正しいですね。巣鴨の地名にちなんだ名称といえば、なんといっても巣鴨プリズン。もう一つ、地元民には私立巣鴨高校・中学校ですね。
巣鴨という地名は江戸期からの巣鴨村に由来しますが、もともとの巣鴨は現在の豊島区東南部、文京区北部、北区南部を指します。江戸時代は中山道を沿道の商業地とその周辺の農村地として存在しました。明治の初期、徳川慶喜が静岡から東京に戻ると現在の巣鴨駅近くに屋敷を構え、その後、小日向に移って晩年を過ごしました。
巣鴨でもう一つ、幸徳秋水の自宅および平民社は巣鴨村、現在の大塚駅近くにありました。幸徳は湯河原に滞在中に逮捕され、市ヶ谷富久町にあった東京監獄に収監され、そこで絞首刑となりました。
東京監獄(東京拘置所)は市ヶ谷のあと巣鴨、つまり今のサンシャインシティの場所に移り、現在は小菅にあります。
地名というのは面白いですね。拡大していく地名と縮小していく地名がある。巣鴨は縮小しましたが、池袋は拡大しました。今や池袋、西池袋、東池袋、南池袋、池袋本町、上池袋と広域化しています。一方の巣鴨は巣鴨と西巣鴨の2つだけ。豊島郡(現在の23区北部)の豊島は区名として存続していますが、町名としては現在北区に豊島があるだけです。








大都映画の時代の映画産業の様子は石神井公園ふるさと文化館で紹介されています。





















当ブログで紹介した新宿区四谷の於岩稲荷、田宮稲荷のページはこちら








































旅を終えて、巣鴨という地名について軽くコメントします。
現在、巣鴨といえば巣鴨駅周辺を指します。巣鴨という名称の駅としてはもう一つ、都営地下鉄の西巣鴨駅があります。西巣鴨駅のすぐ近く、大都映画撮影所跡に巣鴨北中学校があります。JR巣鴨駅から見れば西巣鴨駅も巣鴨北中学も北西方向なのでどちらもほぼ正しいですね。巣鴨の地名にちなんだ名称といえば、なんといっても巣鴨プリズン。もう一つ、地元民には私立巣鴨高校・中学校ですね。
巣鴨という地名は江戸期からの巣鴨村に由来しますが、もともとの巣鴨は現在の豊島区東南部、文京区北部、北区南部を指します。江戸時代は中山道を沿道の商業地とその周辺の農村地として存在しました。明治の初期、徳川慶喜が静岡から東京に戻ると現在の巣鴨駅近くに屋敷を構え、その後、小日向に移って晩年を過ごしました。
巣鴨でもう一つ、幸徳秋水の自宅および平民社は巣鴨村、現在の大塚駅近くにありました。幸徳は湯河原に滞在中に逮捕され、市ヶ谷富久町にあった東京監獄に収監され、そこで絞首刑となりました。
東京監獄(東京拘置所)は市ヶ谷のあと巣鴨、つまり今のサンシャインシティの場所に移り、現在は小菅にあります。
地名というのは面白いですね。拡大していく地名と縮小していく地名がある。巣鴨は縮小しましたが、池袋は拡大しました。今や池袋、西池袋、東池袋、南池袋、池袋本町、上池袋と広域化しています。一方の巣鴨は巣鴨と西巣鴨の2つだけ。豊島郡(現在の23区北部)の豊島は区名として存続していますが、町名としては現在北区に豊島があるだけです。
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